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noteを書き始めて36回目の記念日!のりまき3周年です。

毎月7日はのりまきのnote記念日!

知らない方のために、大切なお知らせです。
2020年4月7日にnote界に舞い降りて、その日から毎日noteを書き始めた私。
毎日連続で書くのは一年ちょっとでやめたけれど、気が向いた時にほぼ毎日のようにしょっちゅう書いてます。
そんな私のnoteの生誕を記念して、毎月7日はのりまきのnote記念日と自分で認定しお祝いするという世にもめでたい日です。
毎月書いてまとめてマガジン化してます。
書籍化の予定はもちろんありません。
あくまで、記録をするのが好きな自分のためです。
のりまきペディア


本日2023年4月7日は、わたくしのりまきがnoteを書き始めてから36ヶ月経った記念日です。
記念すべき3周年です!

noteも記念日らしいので、おめでとうnoteも。

またこの1ヶ月を振り返ってから、3年間を振り返ろうと思います。
先に書く人はめったにいないと思うけど今これを書いておく。
めでたしめでたし!

今月は10本のnoteを更新しました。
過去一番少ない投稿数だったように思います。
何故少なかったかはまた後述するとして。

フォロワーさんはこの1ヶ月で、1074人から10人だけ増えて、1084人になりました。
ありがとうございます!
インドの旅の話ばかり書いているので、興味のない方は飽き飽きしてきたかも知れませんが、私は現在無職で旅が生活となっていますので、これからも旅の話を書き続けると思います。ご了承ください。

さて。
36ヶ月間。
つまり3年間。
なんか、3年も何書いてきたんだろという不思議な気持ちです。
noteを書き始めて、あっという間に3年が経ってしまった気がします。
第1回目のnoteと、12回目の記念日、24回目の記念日を今自分で読み返してみました。

noteデビュー。

コロナ禍で、初めての緊急事態宣言が出された日から書き始めたnote。
旅に出られない閉塞感が、今となれば懐かしいくらい。旅に出れましたよ私。

そして12ヶ月目、1周年記念のnote。

1年後も緊急事態宣言下だったのか。
あの頃もしんどかったねえ、みんな。
この時はまだ毎日必ず更新をしていた。
フォロワー数は377人だったって書いてある。もう大半の人がnoteから離れていると思うけど、この時も今も読んでくれている人たちってありがたいなあと思った。
ありがとうございます。
ソロキャンプをしながら、気長に、私独自の緊急事態宣言を自ら解除して旅立てる日を待ちたいとかダサいことが書いてある。
今の私は緊急事態宣言を解除して旅立てたんだと思うと、感慨深い。(だけどまた別の予想外の緊急事態宣言が出たことは後述する。)


そして昨年。24回目、2周年記念のnote。

フォロワーさんは814人だったらしい。
ソロキャンプのネタがちょっと注目を集めてしまい、一気に増えたこともあった時期だと思う。
日本でのソロキャンプはもうしばらくお預けですが、また海外でのキャンプはやりたいと思ってます。
もう少ししたら、インドでのソロキャンプのことを投稿する予定なのでお楽しみに。(そしてそれが別の緊急事態宣言のきっかけとなるのはまたその時に。やたら引っ張る人。)
もう昨年の今頃には世界多分一周旅についての構想を始めていたらしいので、それを叶えている自分が、過去の自分に対して少し誇らしいような気もする。

そんな感じの3年間でした。
やっぱり記録に残しておくと、自分で振り返れて色んな気付きが得られるからいい。
来年の48ヶ月はどうなっていることやら。
旅を終えて新しい仕事をしているのか、予想もつかない事態になっているのかは分からないけど、今の私と同じくらいかそれ以上に、毎日の生活が楽しくなっていればいいなと思う。


では、今現在の話を。

先月の記念日のnoteに私はこう書きました。

先月はジャイサルメールの砂漠で満月を見ていた私ですが、今月はリシケシュの山奥でソロキャンプをしながら、インド人たちと満月の下で歌っていました。
1か月前にも予想がつかない展開。
我ながら、面白く旅してるなぁと思います。
36回目ののりまき記念日から自ら抜粋
今月の記念日は、アレルギー発作が出てしまい、また咳が止まらなくなってますが、元気は元気なので、インドの薬キメてゆっくりします。
来月こそは元気はつらつで、体調も100%良好であることを祈りたいです。
さあ、来月の記念日頃は、予想ではパキスタンのフンザにいて花見をしていたいのだけど、どうなることやら。
36回目ののりまき記念日から自ら抜粋


今のこの瞬間は、元気はつらつで体調も120%良好ですが、
1ヶ月前には予想がつかない展開。

それはその通りで、今は日本にいます。

パキスタンで杏の花見ではなく、予想外にも日本で桜の花を見ました。花粉症までありがたく頂戴しています。

いわゆるちょっと長めの日本でのトランジット中です。

3月下旬に、アレルギーが重症化してしまったのと、標高が高めのダラムサラで、軽い高山病とがタッグを組んで私の首を全力で絞めてかかってきて、常に酸欠状態になってしまって、なんと食事も食べられなくなってしまい、これは緊急事態と判断し、山を降りるだけではなく、インドからも脱出して日本に戻ってきました。

ここで帰るのは悔しい、
体調が戻るまでここでゆっくり療養すればいいんじゃないか、
でも最近療養ばっかりしてないか?
ごはんが食べられないって今までなかったぞ、初だぞ食欲無くすの、
これ以上標高の高いパキスタンのフンザは諦めろ、死ぬぞ、
でもここよりも標高の高い立山では大丈夫だったのにな、
どう考えても体力落ちてるって、
インドに来てからお腹の調子が良くて咳が出ていない日って何日あった?ほぼなかっただろ、
咳は良くなってもまた悪くなってを繰り返してるだろ、
インドの薬もきかなくなってるじゃないか、
などなど。

毎日横になりながら脳内会議。
悶々とした脳内会議を経て、友達のしめちゃんにも泣き言の電話をしたりして、ダラムサラのちょっといい部屋の天井ばかりを見つめて、夜になると溺れるような呼吸をして。
帰国を決心したあの瞬間からは、残りのエナジーを全て注いで大慌てでLCCを予約して、決心から3日後には気付いたら日本の自分のベッドで寝てました。
決めたら早いので、一目散です。

蓋を開けてみたら、おそらくアレルギーからの重症の喘息発作ということで、ステロイド薬を日本で服用(吸入)すると一気に咳が治まったので、帰国して正解だったと思っています。
まだ薬は2ヶ月続けないといけないけど、咳の症状は全くなくなりました。
しめちゃんには、「旅先で怪我したり体調を崩したり、何かと毎回いろんなトラブルがあったけど、弱音を吐くとか途中で帰ってくるとかギブアップとか一回もなかったから、よっぽどの緊急事態なんやろなって思ってた。」と言われましたが、その通りです。
かなりの緊急事態でした。
その証拠にnoteも全く書けませんでした。あの時はしんどかった。
良かった、元気になって。

今はすっかり食欲も戻り、しめちゃんとヤサグレ帰国会と称して、2ヶ月ぶりのしめちゃんと2ヶ月ぶりの牛の肉に、思わず牛の舞を踊りたくなったし、
来週はポン子さんにも会うし(ポン子さんもnote3周年おめでとう)、
白ごはんを食べまくってるし、
確実にお湯が出るシャワーを浴びれて、
湯船にも毎日浸かれて、
洗濯機で洗濯が出来る幸せに感動し、
ベルトが3箇所もちぎれてボロボロになって処分したTEVAサンダルも、新調して買い直せたし、
いいリフレッシュになっています。
まさか、日本で今年の桜を見られると思っていなかったので、花見も楽しめました。
友達のことで気になっている問題があったので、会って話を聞いてあげることもできたのでそれも良かったです。

いつもは、海外の旅から帰国したら、物すごいスピードで洗濯と最低限の荷解きをして、風呂に入って、翌朝から、休みの間の仕事が山積みになっているのに埋もれながらの仕事の日々に戻るというパターン。15年間ずっとそれを繰り返してきたので、旅から帰ってきたのに、仕事に行かなくていい生活に少し戸惑っています。まあ今はトランジットで日本を旅していると思うことにしているけど。

帰国直後は体調もまだ悪かったので、ただひたすら寝ていましたが、最近は完全回復したので、ウォーキングをしたりゴロゴロしたりテレビを見たりしています。
世界一周航空券の途中で、LCCで帰国してきたため、またインドのデリーに戻らないといけなくて、世界多分一周旅の続きは、デリー発の航空券でフランクフルトに飛んで移動することとなります。

インドに戻ってインドの旅の続きをすることも考えたけど、インドの大気汚染具合や、ハウスダスト的な温床の宿(全部ではないけど他の国とレベルが違う)、お腹のこと、インドの一番暑い時期がやってきていることを考えると、喘息発作再発のリスクを考慮しインドは今回はここまでにして、先に進むことにしました。
インド国内にまだまだ行きそびれた場所がまだあるので、それはまた別の旅で。

フランクフルト空港はEUの入り口として選んだだけで、1ヶ月後の今日は、本当にどこにいるか予想がつきません。
まあそれは毎月だけど。
EUに行ったら、春のうちにカミーノの巡礼旅をしたいと思っているので、5月8日はどこかの道を毎日歩いているのかなあという気はしています。
歩き終えたらスペインのアンダルシアで味噌汁を飲みたいし、ジュンさんとどこかでピザを食べるだろうし。
なので、楽しかったタイ・ラオス旅が第1幕としたら、怒涛の渦の連続のインド旅が第2幕。それが終わって今休憩タイムで、第3幕はサマータイムのヨーロッパ編かなと思っています。ワクワクしてきた。
歩き旅に備えてもう少し足腰を鍛えて体力も完全以上に戻したいので、日本トランジット中に仕上げていきたいです。あと英語力も上げたい。

日本にいる間にインド編の思い出をnoteに書き上げて、スッキリして第3幕の旅を始める予定です。
もう少し連続の#世界多分一周旅インド 編にお付き合いください。

そういえば、まだ日本に自分が帰ると思ってもいない2月の中旬頃に、デリーから送った荷物が実はまだ日本に届いておらず、私の方が先に帰ってきてしまいました。

追跡番号で調べてみると、私の荷物がデリーの郵便局を行ったり来たりしていることが分かりました。日本に帰れなかった私の魂なのかもしれません。
魂とかどうでもいいけど、インドのジェルが5本も入ってるし、ジャイプールの小皿とかアノーキのポーチとか、巨大ブレスレットとか、どこにでも売ってそうなタッパーとか、私の旅のエッセンスが色々入っているから、来年までには何とか私の元に届いてほしいなと願っています。

今後の予定としては、2週間後くらいには、トランジットを終えて、また日本の外にいる予定です。
中央アジアを1回はさんでEUに行こうかなと思っていて、毎日安い航空券探しをしているので、旅の体力も回復しているのを感じています。

いやあ。
いろんなことがあるもんです。
無理しないのが一番。
「今日本に帰る選択肢はないわ」と何度もインドで思いましたが、自分で自分の選択肢を狭めない方がいいと思いました。
インドが好きで、インドに行きたいと思い続けた3年間だったのに、インドから出たい、日本に帰りたいと思うなんてもったいないと思って、帰るという選択肢を打ち消していました。
でも、何を選んだって自分の自由だし、やっぱり当たり前のことだけど、体調が悪いとメンタルにもろ影響を及ぼすし、旅を楽しめないので。
これからも、いつでも日本に帰ったろうという選択肢を持ちつつ、楽しく旅を続けようと思います。お金はかかるけどね。

体調がどんどん悪くなっていくさなかのインド旅もこれから綴っていく予定ですので、乞うご期待。(乞うご期待は変かな。)
最後に帰国を決心した時に、ダラムサラで優しい人に出会ったりして気持ちが救われたので、旅での出会いは本当に大きいなあ、とありきたりな言葉でまとめる私です。

いつも読んでくださったり、心の中やコメント欄で優しくて楽しい言葉をかけてくださる方々、いつもありがとうございます!
今日はインドではご法度の牛の肉の塊を食べてやろうと思っています。
現在は嘘偽り見栄や気遣い調子乗りもなく、フルに元気ですのでご心配なく。
また気が向いた時に気楽によろしくお願いします。

もはや旅で数字を見つけることをやめてしまっているので、日本で見ることができた桜の写真を。



新しく買い直したTEVAサンダルは、メンズでほんの僅かにベルトが太いので、日焼け跡がぼやけそうな気がする。また、まだまだベルトが固いので、日本でも履いて馴染ませてから旅に出たい。

そういえば、ラオスで会ったドイツ人カップルは、日本のどこで桜を見たのかなあと思い出したりしました。

それではまた、予測不能な場所からお届けするのりまき記念日でお会いしましょう。


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