その2、卑弥呼が天照大神だとしたら
❍卑弥呼は天照大神なのか
残念ながらそうではないようです。卑弥呼は248年に亡くなりました。その卑弥呼を天照大神と考えると、時代的に合わなくなってしまうそうです。残念ですが仕方ありません。
以前にも書きましたが、日本神話を執筆した人物は、魏志倭人伝を参考にした、可能性が高いと考えています。卑弥呼と天照大神の物語は、どこか共通する部分もあるような気もしていたのですが。
つまり、これから先は仮定の話になります。でも、卑弥呼を天照大神と考える方も、おられるみたいですので続けていきたいと思います。まぁ、ある意味妄想です。
❍卑弥呼の実績で注目したいもの
やはり、注目すべき実績は卑弥呼の最晩年における、魏との外交活動と狗奴国との戦いだと思います。
これらの行動は、大変な決断力と行動力が必要だと思います。もちろん、優秀なブレーンがいたに違いありません。
魏との外交活動では、金印を授っています。これまでは、奴国が前漢から金印を授っていました。詳しくはこちらを御覧下さい。それに対して、狗奴国と戦う前にその状況を覆したのです。素晴らしい判断力ではないでしょうか。
卑弥呼というとその名前の先頭の「卑」という漢字、を誰もがいやがると思います。そのため、忌み嫌ったりする人も多いです。
しかし、実際は素晴らしい判断力と勇敢な行動力を持った女性ではないでしょうか。誰かがあんな字を当てたせいで、非常に残念です。
❍天照大神の実績で注目したいもの
天照大神はあくまでも、神話の世界の方なので実績なのかわかりません。がしかし、大きな出来事としてはいくつかあると思います。
あまり、詳細に読んだわけではありませんので、反論や間違えもあると思います。決断力や判断力を用いたものとしては、天孫降臨や出雲の国譲りではないかと思います。
この2つの実績は、なんとなく、卑弥呼の実績と似ているような気もしませんか?
❍現代にも残る天照大神の実積
しかし、あえて現代の私達にも直接つながっている天照大神のもっとも大きな決断が、日本における皇位継承方法を定めた事だと思います。
つまり、八咫鏡・天叢雲剣(草薙剣)・八尺瓊勾玉という三種の神器を、天皇家は現代までいまだ伝世しているのです。
西暦2000年を超えてもまだ続いているのです。驚きです。このことは、結果が出ているので実績と呼べますね。
❍卑弥呼が天照天神だとしたら
現代まで続く皇位継承方法を考え出した天照大神。
そして、以前に奴国王が前漢から金印を授かり王となった。その王位継承方法を引きつぎ、今度は、魏から王として認められた卑弥呼。
この机上で記された人物と神様が、仮に同一人物であったとしたら。何がすごいか前から思っていたんですよ。
つまり、卑弥呼はまずは前回に続いて、王位を他国に認めてもらう形をとったわけです。しかし、もし卑弥呼と天照大神が同一であったとしたら、その舌の根も乾かぬうちに、日本独自の皇位継承方法を発明したわけです。
つまり、今後王位の継承権を、他国に委ねる事に対して大きな危機意識を、すでに持っていたことになるのです。
そして、もし、奴国の時と同様の手法が引き継がれていたら、以降も引き続き同じ王位継承方法が行われていた可能性もあるのです。
もしかしたら、天皇家は代々、中国に金印をもらいに行く事になっていたかもしれません。
もちろん、聖徳太子とかがいたのでそんな事は考えられませんが。そもそも、卑弥呼と天照大神は同一ではないので・・・。
❍最後までお読みいただきましてありがとうございます。
やっぱり、天照大神が決断した日本独自の皇位継承方法が、千年以上続いているのはすごいですよね。これは事実です。
結局この事以外は、ほとんど妄想になってしまいました。
もし、面白いと思っていただけたら、次回もよろしくお願いします。よろしければ、お手やわらかなコメントをしていただけるとありがたいです。
このような単純な推理になります。ご了承いただけましたら、次回以降もぜひお読み下さい。
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日本神話の正統な解釈はこちらを御参照下さい。https://www.jinjahoncho.or.jp