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シナノの歴史に興味津々! 長野県立歴史館

長野県千曲市、森将軍塚古墳館の公園をはさんだ隣に、長野県立歴史館の建物があります。古墳見学を楽しんだあと、せっかくだからと立ち寄ってみました。

1994年開館のこちらの歴史館、古代から江戸時代あたりまでの展示かと思いきや、なんと近現代までの歴史を網羅していました。その分、広く浅い、とも言えるかもしれませんが、私にとっては、へぇ~!という発見が多くとても楽しめたので、印象に残った箇所を紹介したいと思います。

◇ ◇ ◇

展示室へ入ってすぐ、左手の壁に古代から現代までの年表がありました。ざっと目をとおした中で、古代好きのわたしが一番気になったのは、こちらの時代。

パネルの一部

704年、国名の表記が「科野」や「信野」ではなく、「信濃」に定められたのですね。そしてその次、

721年 信濃国を分割して諏方国がおかれる
731年 諏方すわ国が廃止される

わずか10年で廃止とは、いったい何があったのか?!
おそらく諏訪大明神(諏訪大社)絡みでしょうが、ちょうど来年は諏訪の歴史を学ぼうと思っていたところだったので、課題としておきます。

さて、ここからは各時代の展示へ。

まずは原始時代

入口で、いきなりインパクト大のナウマンゾウがお出迎え。しかもこの復元ナウマンゾウ、動きます!センサーで感知しているのか、近づくと頭部が動き、一瞬おどろきました。

剥製かと思うほど精巧なつくりです

長野県の北端にある野尻湖のじりこでは、4万年前の骨や歯がみつかっていますが、古代人たちはこんなに大きな生き物に挑み、捕らえて食していたのでしょうか。何人がかりでどうやって仕留めていたのか?急所があるのか?気になります。

原始エリアはこの他に、黒曜石や土偶・土器、それから竪穴式住居と縄文のムラの復元展示がありました。ムラの季節は秋で、ビィーっという鹿の声まで聞こえてくるという、なかなかの凝りようです。


5500年前の黒曜石原石
美しくてかっこいい

続いて古代

さて、やってきました。大好物の古代エリア。
土器あり、木簡あり、さいごに奈良の中央政府との関係がうかがえる、古代信濃国の特産物と東山道が表示された地図があり、しばらく真剣に見入ります。

こういう地図、大好きです

この地図にによると、奈良時代の国府と国分寺の所在地は、現在の上田市。

20代の頃、いっとき上田市に住んでいたのですが、近くに信濃国分寺があったことを思い出しました。しかし当時はまったく興味がなく、軽やかにスル―してその先にあるTSUTAYAへ通っていた若き日・・・懐かしい。

地図へ戻ると、地元である伊那郡の特産物は、鹿肉麻布。鹿肉は現代でもジビエとして売り出していますが、あまり好んでは食べないですね。

そして、信濃各郡の特産物を都へ運んだ道が東山道とうさんどうということですが、この道がなぜか、最近とても気になるのです。中山道なかせんどうが整備されてから廃れたせいか、ばっちり通過している地元のわたしも最近まで知らなかったという認知度の低さ。

特に、美濃(岐阜県)との国境である神坂みさか峠は、現在は中央自動車道のおかげで楽に越えられますが、古代は相当の難所だったようで、都へ向かう防人が詠んだ歌が万葉集にも残っています。万葉歌あり、帚木ははきぎあり、阿智神社あり、やっぱり気になる!ので、機会をみて訪れよう。

次は中世

こちらで再現されていたのは、鎌倉時代の善光寺門前と民家。全体的に薄暗いのですが、電気がない時代というのはこういう感じだったのかな。

膝とお尻が痛くなりそう


善光寺

善光寺のこれは・・・絶対秘仏の御本尊ではないでしょうか?!
光り輝く一光三尊阿弥陀如来、こういうイメージなんですね~。絵をみる限りそこそこ大きく、これを奈良から運んでくるのは大変だったでしょうね、本田善光さん。

そして近世

江戸時代の村と町のくらしがテーマでしたが、そろそろ見学疲れしてきました。笑

印象的だったのは、松代藩主真田信之ら信濃の5大名が担当して、1647年に江戸幕府へ提出した大きな信濃国絵図(地図)。大きすぎて写真に収められなかったのですが、西が上になってはいるものの、ちゃんと長野県の形になっていました!江戸初期の測量技術はあなどれませんね。

さいごに近現代

ようやくここまで辿りつきました。
このエリアで目立っていたのは、なんといっても製糸場の復元展示。しかも定期的にギコギコと動いていましたよ。

蚕のサナギがけっこうリアル・・


明治~昭和初期、養蚕業は長野県の重要な産業でした。「蚕糸王国」といわれ、蚕を「おかいこさま」と呼んで大切に育てていたことは、親から聞いたり学校でも学びました。

そういえば小学校では、何年のときか忘れましたが、教室の後ろでお蚕さまを飼っていた時期がありました。桑の葉をはむはむするお蚕さまは、虫嫌いのわたしでも不思議と眺めていられました。桑畑も当時はまだありましたが、今はもう見当たりません。

その養蚕業も昭和初期の世界恐慌によって大きなダメージを受け、一大産業を失って困窮した長野県からは、全国一という多さの満州移民を送り出すことになったのです。

◇ ◇ ◇

なんとも壮大なシナノの歴史。
ついで気分で入ってみたものの、予想以上に夢中になり、30分程度でさらっと見るつもりが結局1時間半も滞在しました。でも、楽しかったので良しとします!

最後に、お国自慢をひとつ。

全国1位!

なんと長野県のミュージアム数(博物館や美術館)は、★全国1位★だそうです。

そういうわけで、来年は県内のミュージアムもちょこちょこ周ろうと思います。心に響く場所に出会ったら紹介してゆきますので、どうぞお楽しみに~。


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つきふね
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