|なら旅日記| 天武忌の薬師寺で
奈良市・西ノ京と呼ばれるエリアにある大寺、薬師寺。
ここを訪れるのはいつ以来だろう?
東塔の修復が終わるタイミングを見計らって旅を計画していたものの、感染症騒動で予定が流れて・・・
とにかく、ずいぶん久しぶりということは確か。
最寄りの駅は、近鉄「西ノ京」
駅から歩いて5分もかからないアクセスの良さ。
数年前まではこれ幸いと最短コースを歩いていたわたしですが、健やかになりつつあるいま、ほんのすこし遠回りして<南門>から参拝することにしました。
南門の手前には、薬師寺の鎮守社休ヶ岡八幡宮があります。まずはこちらへお参りを。
現在も薬師寺の僧侶は八幡宮の祭礼に参列して神前読経を行ったり、また薬師寺の法会の前には八幡さまに守護を祈願するそうです。神さまも仏さまもどちらも大切にする習わしが今も残っているなんて、奈良らしくていいですね。
では、南門からおじゃまします。
そのまま真っ直ぐに金堂へ進みたい気持ちをぐっと堪えて、まずは回廊の外を散策。
崩れかかった土塀と石碑が、いい味だしてますね~
そして、振り向けば東塔と西塔が並び立つようす。
これぞ薬師寺、これが見たかった!
このすぐ脇に、「東院堂」という国宝の建物があります。
そちらの聖観世音菩薩はたいへんな美仏で、しかも躍動感ある四天王像に護られていると本にありました。
美仏と四天王像?
それは拝まねば!
靴を脱いで板の間へあがると、菩薩さまの正面で尼僧らしき方々が厳かに読経中でした。あまりうろうろするのも憚られたのでおとなしく座って拝みましたが、なるほど、遠目にもとても整った立ち姿。「白鳳の貴公子」と呼ばれるのも頷けます。いつか写仏・・・は難しそう。笑
さて、では回廊のなかへ入りましょうか。
金堂から、読経と、その後マイクをとおした案内が聞こえます。この日はちょうど『天武忌法要・万燈会』だとリーフレットで知りました。薬師寺にしては観光客が少ないな~と思ったのですが、そういうわけだったんですね。
東塔側の芝生には、整然と並べられた灯籠。これに明かりが灯されたようすを想像しただけで、うっとり。
そもそもなぜ「天武忌」なのか?
それは、薬師寺が天武天皇の発願で建てられたお寺だからです。
天武9年(680)、妻である持統天皇が病がちだったため早くよくなるようにと、薬師寺の創建を発願。しかしその後天武天皇は亡くなり、志を継いだ持統天皇によって<藤原京>に造営が始まります。持統11年(697)には本尊薬師如来の開眼が行われました。
ようやく完成したのも束の間、平城遷都(710)にともない薬師寺も藤原京から現在の場所へお引っ越し。これで安泰!とはならず、奈良の多くの古寺がそうであるように災害や兵火にいくたびも見舞われます。
その都度復興されるもいつからかそれも難しくなり、昭和初期にいたっては、往時のたたずまいを偲ばせる建物は東塔だけとなりました。
しかし、そこから白鳳伽藍はよみがえります。
昭和42年(1967)、高田好胤管主により失われた堂宇の復興が発願されました。それも「お写経勧進」という資金調達方法で。そんなことできるのかと、みな驚いたことでしょう。
それでも地道に説法でお写経をよびかけ、金堂・西塔・中門・回廊・大講堂・食堂がみごと再建されました。
檀家をもたない奈良の古寺にとって、資金調達は企業からの寄付がもっとも有力な手段。しかし高田管主はあえてそうせず、お写経勧進を通じて人々から広く浄財を募ったのです。
いまわたしが目にしているのは朱塗りの美麗な伽藍ですが、それを支えているのは、写経を納めた人々の「こころ」なんですね。
高田好胤さんの説法、聞いてみたかったなぁ。
写経をした人、建築木材を提供した地域(海外含む)、宮大工、さまざまな人のこころがこもった金堂にいらっしゃる、白鳳美仏の薬師三尊像。
やさしい、薬師如来のお顔。
その正面で熱心に祈りをささげる人。
じっとみつめる眼差し。
こちらの三尊のお顔はもちろん本などで見ていたけれど、それでもいざ実物を前にすると、やはりというか全然ちがった印象をうけます。
とくにわたしは日光菩薩から目が離せなくなりました。
美しく微笑んでいるんです、あきらかに。なんとなくではなく、はっきりとした微笑で。にこにこ~って☺
月光菩薩からはそれは感じられなかったのですが・・・
思わず売り場でハガキを買い求めましたが、やはり実物ほど微笑んでいるようには見えません。角度によるのかな。
美仏で胸がいっぱいになったあと、つづいて食堂を拝観しようとしたのですが、残念ながら扉が閉ざされていました。
日本画家の田渕俊夫さんによる奉納画をぜひ見たかったけれど、「それはまた次の機会にね」ということでしょうね。はい、また来ます!
玄奘三蔵院伽藍を散策し、ふたたび白鳳伽藍へ戻ってくると、なにやら人だかりができていました。見ると、食堂の前にしめ飾りつきの太鼓が置かれ、それを囲むようにござが敷かれています。
せっかくなのでちょっと見ていこうかな?くらいの軽い気持ちでしたが、その力強く迫力ある演奏はもちろん、奏者のバックグラウンドを知ってさらに胸が熱くなりました。
奉納演奏をされていたのは、ことし年初の地震で被災された能登の方々でした。
石川県無形文化財指定
「御陣乗太鼓」
メンバーのほぼ全員の自宅が全壊または半壊、避難生活をおくるなか奈良へ奉納演奏に来られたと。
日々あふれる情報に上書きされ、自然災害のこと・いまも避難生活を送っている人がいること、つい忘れがちですが、いまいちど思い出してこころを寄せるきっかけをもらった気がします。これもまた、お導きですね。
久しぶりの薬師寺、しっかりと記憶にとどめました。
つぎに来るときは、奉納画が見られるといいな。