124「死者の書」折口信夫
133グラム。表紙の写真は無念の死をとげた大津皇子の墓がある二上山である。知らずに見ると普通の山だが、神がかった少女には、落日の瞬間この山越しに素晴らしいイケメンが見えた。イケメンのうえに、でっかい。
『死者の書』の読み頃は冬である。そして新月、部屋の電気を消せば真っ暗になる夜がいい。布団に入って読む。そして電気を消し、布団にすっぽりくるまって、浸る。
彼の人の眠りは、徐(しず)かに覚めていった。真つ黒い夜の中に、更に冷え圧するものの澱んでいるなかに、目のあいて来るのを、覚えたのである。
した した した。耳に伝ふように来るのは、水の垂れる音か。ただ凍りつくやうな暗闇の中で、おのづと睫と睫が離れて来る。
死者が石室の中でふと目覚める瞬間を、感覚的に想像できるほどリアルに描くこの筆致がすごい。こちらは二上山の墓穴ではなくて、冬の夜に布団にくるまって想像しているだけなのであるが「冷え圧するものの澱んでいる真っ黒い夜」の重さが侵入してくる。ものすごく冷たく孤独で、しびれるようにかっこいい。
小説の冒頭で目覚めたのは、奈良時代、後継者争いに巻き込まれて処刑された大津皇子だ。死者は墓の中で少しずつ感覚と記憶を取り戻していく。
裸だ、寒い。妻子は殺されてしまった。俺の名を継ぐ者がいない。殺される前に一瞬ちらっと見たあの人、美人だったなー。俺の子を産んでくれ。
その「殺される直前にちらっと見た美人」耳面刀自(ミミモノトジ)への想いが、二上山からわーっと降りてきて、その子孫にあたる少女のところへ押し寄せる。こんなしびれる恋愛ドラマがほかにあるものか。
さて、こちらは冬の夜に布団の中にいる私である。今度はその少女の役になる。貴人の娘で、美人で才女である。うらやましい。
少女は二上山のふもとのあばら家で物忌みをしている。皆が寝静まった夜更け。つた つた つた。と気配がする。
青馬の耳面刀自(ミミモノトジ)
刀自もがも。女弟(オト)もがも。
その子の はらからの子の
処女子(オトメゴ)の 一人
一人だに わが配偶(ツマ)に来よ
「嫁になれ」と心に直接呼びかけられてしまうのだ。そんな豪胆な口説かれかたをしたこの少女は、乳房からときめきが迸り出る。なんという恋愛。なんというプラトニックと官能の交差点。
自分の恋愛の相手がこの世ならぬものであることを知っている少女は、彼の裸を覆うための布を蓮の糸で織り、そこに阿弥陀如来図を描いて、死者の魂を鎮める。この鎮魂こそが、少女の恋愛の成就である。
さまざまな垣根を越境して呼び合う力と、強く想っているから魂を鎮めてあげたいという恋の形が、読んでいてたまらず夢中になるところである。
切なくも、恐ろしくも、愛しくも、いたわしくも。さまざま湧き上がる感情に、布団の中で身悶えしているうちに、いつの間にか寝入る。冷たい夜の闇にぴったりの小説である。たまらない。
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