今年も晴れの特異日を穏やかに過ごす
最近気づいた事に自分の頑固さがある。
どちらでも良いことや焦点の外の事、自分に対する評価みたいなものは割と関心がなく、これはと言うことに関しては、融通がきかない。
それには歴史があって…
自分がこっちかな、こっちだろうなと思っていて、そこに別の意見があり主張している側の人が押しの強いタイプだったり、違う意見を無いものとしたり、否定したりして話を進めた結果、その人が間違ってましたというケースに多く遭遇し過ぎたという事。
やっぱり違うと思った。。と後から言うのはすっきりしない。だから黙って過ごしたけど…喉に塊が残るような、そんな事が多すぎた。
ママもそのぐいぐい来るタイプで、何時までも間違っていても認めなかった。
それは親としてのプライドなのか、子供の方がものを知らな筈と思っていたのか分からない。
ただ、やっぱり違うじゃん!の喉元の塊は良く発生した。
それから、いやここは!と思った時には違うと言うように努めた。けれど、それでもぐいぐいの人たちは聞かない。完敗連続。
そうなると、
もういいや(*´▽`*)になって、そう思っておけばいいんじゃないかな?的表面は穏やかだけど、な事になる。
分からない事を分からないと言わないオトナが増えて、これどう始末するの?を『知らない』という成人が増えた気がする。
気のせい?
案外、小さな事に一つ一つ真摯なため、
これこんな風でいいの?に毎日頭が混乱する私は『知らない』で過ごそうとする場面に遭遇すると上半身の皮膚がきゅっとなる。
心配性の発作(笑)みたいなもので、
こうなる→するとこうなる→そしたらこうなる→続けてこうなる→結果こうなるかもしれない…
が挽回、やり直し可能かどうかで自動選別されている気がする。
どっちに転んでも、もう一度行けば、洗えば、取れば、書けばが5分程度ならもうどっちでもよい(*´▽`*)
簡単に言うと、自分の感受性が面倒と思うことがある。
そしてこっちかな…は割と当たっていて、答えを出すのに時間がかかる分、慎重で時間がかかって右か左か分からないものはもう、分からないで答えを保留にする。
著名無名関係なく誰かの一言、ベストセラーやロングセラー、見ず知らずの方のブログ問わず文章の1行で決定することはまずない。
深く感銘を受ける事は多々あるがそれは情報の1つでしかなく、自分の中の答えにはならない。
だから慎重過ぎて、答えは無いものが多い。
そんな私は11月3日、
晴れの特異日を昨日の雨から想像出来ない位の青空で、心地よくインディアンサマーみたいな空気を吸い込んだ。
ママは起きて来ずにゃん太郎も寝てる。
南のベランダへせっせと植物を運び、お日さまに当て床の掃除や洗濯をして、ゴールデンカムイの第4話を観た。
植物たちは…( ;∀;)
植え替えした多肉植物が何故かぽろぽろと葉を落とす。水が多いかな、最早きれいなロゼッタ状ではなく、悲しい姿だけどここからの復活に期待して眺めている。
そうは言っても。。
ママを19時過ぎに起こしてトイレへ連行。
ここ3日ノーミスでこれだけでストレスが激減する。
一人の午後をゆっくり過ごしたので肉じゃかや人参ソテー、鳥ササミとはんぺんの揚げ物を作った。
ママに出すと、うん!うん!とパクパク食べ、にこにこしてその内自分で食べた。ほら、やっぱり自分で食べられるのに出来ない振りしてた🤣やるなママ、女優だ。
この今、呼吸ひとつする間
鼓動が1つ脈打つ間の刹那、
ただ、
生きていることを感謝して。
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