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喜びには3つあって…
喜びには3種類ある、とあるYouTubeでやっていた。メモして見ていた。
自分で自分を喜ばせる喜び
誰かに自分を喜ばせてもらう喜び
自分が誰かを喜ばせる喜び
その話の内容は
お腹を空かせた子供が待ってる。こども食堂に寄付をと頼まれ、大概な額を直ぐに振り込んだら、返事がありがとうの一言とありがとうのスタンプ1つだった、という事から始まった。
こんなにたくさんの文章で頼んで来たのに振り込んだら用無しみたいに味気なかった、少し怒りを覚えたものの、すぐに自分が同じようにしてるのではないか…と我が身を振り返った、という内容だった。
喜んで貰うことが嬉しくてする、
無償のとか見返りを求めたら何とか、等というもやっぱり喜んでくれると嬉しい。
私自身、して貰うことが下手で恐縮してしまう方が喜びより大きく感じてしまう。
して貰って嬉しい(*´▽`*)が本当は正解なんだろうと思った。
して貰うことを期待してくるタイプもいて、その辺りは相性だろうな、と思う。
喜び上手には、またしたくなる心理が働くこともある。
初代猫は猫じゃらしをくわえて持って来ては
遊んで♪
と誘ってきて、少し遊んでも嬉しそうにはしゃいだ。
にゃん太郎はスープを持つとハッ!とした顔してシッポ振って走ってくる。そういう喜んでる姿を見せる事が何よりのお礼だったりするんだろうな、と思う。
私は頼まれもしないのにしてしまうことが多々あり、見返りを欲しい訳でなくただ喜んでくれる姿が好物だったりする。
そして自分で自分を喜ばせるが、不足してた事に気づいた。誰かにして貰うでなく自分で自分を喜ばせる、小さなご褒美だけでなく嬉しいと思う選択をすることを増やしていった。
そして
ママは受け取り下手で期待過剰の為、もやもやとした気持ちが地層のように積もっていったんだ、という事にも気づいた。
今日は
ママの運動の日だった。
正直、面倒くさいししんどいしやだなと思った。しんどいのは支度と行き来の歩き、着いてからも迷惑にならないようマシンの移動を支える。
私の手を掴み杖のように下向きに押して歩こうとするから、時に爪が食い込みしんどいからと座り込んだりするのを立ち上がらせる。
行かない、と今日初めてママは首を横に振った。
そしてあんたはなんでそんなんするの!という。一旦もういいや、何故こんな事言われてまでママの筋肉の心配しなきゃいけないんだ?
馬鹿馬鹿しい。
労力と時間使ってひどい言い方されてる。
これは私を私が大事にしてないのでは?
と思ったが。。。
天気よくやっぱり歩かせたい( ;∀;)
立ち上がらせて出掛けた。
そして丁度外でママの友達にあった。
こんにちわ~!凄い笑顔で嬉しそうにした。
その笑顔を娘にもくれんのか?(;´∀`)
運動?と聞かれ、うん!と言う。
やるね、ママ。さっき玄関で座り込みしたのに。
結果、無事にいけて運動し、あまりに暖かく日差しが良かったので日光浴もした。
ありがとう、は無い。ずっと無かった。
ないけどやる。親孝行?もう、お釣りくるほどしてる気がする…。
そもそも昔から親孝行を期待する親って。。とも感じるのは私だけだろうか?
今まで育てたお金を稼げるようになったら返せ、という考え方もあるが投資ではない。
育てる喜びと共にいる喜びをくれたにゃん太郎に返して欲しいものなんて無い。猫でも。
何かしてもありがとうの代わりにおかわりを要求するようなママだけど、私の中でのこれはやる、という不問律でやっている。
それを一般的に介護、と呼ぶのだろう。
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