ため息の刹那
ここのところ、
ママは穏やかに過ごしている。
要介護2。
穏やかに、というのは私の主観で本人がどう思っているのかは会話が成立しにくくなった今、推定でしかない。
例えば、トイレを失敗しないように
定期的に連れていくことで、後片付けの作業や洗濯は減った。
それでも、うっかりしていると
失敗未遂がある。
掴みかかってきて殴られたり、指を捻り上げられたり、引っ掻かれることはここのところない。
運動には送り迎えしているが、マシンでの運動を拒否するためコーチの腕を払ったり、叩いたり、大声を出したりもない様子。
食べ物に関して
好き嫌いというより気分なところが多く、
一昨日は喜んで食べたものに手を付けなかったり、残したりする。
あとで、と言いながら野菜を食べずにみたらし団子はペロッと食べるのは昔から変わらない。
最近、ママは自己肯定が恐ろしく高いのではないかと感じた。
全然それ、出来てないよね?ってことも、やらなきゃいけないよね?ってことも、
まぁいいわとやらない選択をしてきた。
私は出来てない、やらなきゃいけない、間に合わないには過度に慌てる性質なのでやらないという選択肢が、ない。
子供の頃から、
それはだめなんじゃないの?って思ってきたがママは
まぁいいわ、とその事柄に関することを封じてきた。そんなママをダメな大人と思っていた。
逆にダメでなく、自己肯定が揺るがない最強メンタルかもしれないと今になって、介護することになって気づいた。
少し体調を戻そうと寝ている間に、枝豆の鞘は湯呑みに押し入れられ、テーブルの上は小さなカオス。
起きてき来て先ずはそれらを片付ける。
それから、ママが食べるものを料理する。
まぁいいわ、
の連続で介護が必要な状態になっていったのに、その先の責任は取らず私が背負って来た。
筋力をつけるのにこういう体操がいいらしい、こんな栄養がいいみたい、こんな脳トレ。。。
こうなる前からあんなに言っていたのに、
ママはどれも結局、やらなかった。
ママは出来ないから、あんたやればいいじゃない
ママはこれ要らないからあんたが食べればいいじゃない
ママはやりたくないから、あんたがやればいいじゃない
その結果、こうなった。
だから言ったのにという言葉が何万回も胸元に込み上げる。
ママは韓国ドラマとバラエティー番組を1日中見て、運動もせず過ごしていた。
椅子にクッションを縛り付け足を少し上げられるように改造して。
面倒くさい、はママの免罪符みたいで、
それさえ言えばやらないことにする宣言みたいで私には耳障りだった。
で、こうなった。
そのママのために本当ならしなくていいことを1日中する、という現実がため息を生産し続けている。
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