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祈りにも似た自己療養

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書くことで、自分の輪郭を保とうとする私がいます。
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春、一マス進む

ずっと前から、私ではない別の人に(それは誰でも構わないんだけれど)言ってもらいたかったことがあった。 2021年からの冬は記憶がない。2020年からの冬はもっとだ。 冬は寒くて、全てが凍りつく。文字通り全て。冷気は、末端から私を染め上げるかのよう。私の指先は青紫色に変色し、日に焼けることなく真っ白なはずの太ももは青や赤の斑模様になる。私の外部で生起する現象を感知する為のバロメーターが、その針に氷柱を作る。氷漬けだ、私の心のあたたかくてやわらかなところが全部。全部。 生活その

引力、反発、大気圏外

21歳、私は初めてまっすぐな失恋をした。 確信と共に人を好きになって、少し思わせぶりな彼に浮き足立って、初めてきちんと告白をして、振られた。 今、書いていて凄く恥ずかしい。それでもちゃんと言葉にしておきたいと思った。 人と向き合うということ。こんなにも難しくて、上手くいかなくて、自分はいつもちょっと下手くそで、だから悔しい。でも私はこれまでに無いくらい、自分の心に対して素直で“いようとする”ことが出来た。それは自分の中で、書き留めておきたいくらいの大きな成長なのだ。 1年

23.4度の憂鬱

地球は、その公転軸に対して約23.4度傾いたまんまで、自転している。 その傾きを正す術を私たちは持ち得ないし、地球はまだしばらく、私からすればほぼ永遠とも思われるような長い時間、自転しながら公転し、公転しながら自転する。それはつまり、非常に現実的な問題として、私がこの地表で生きる限りずっと、1年の中で変動する気温だとか日照時間だとかに振り回され続ける、ということを意味する。私はもちろん抗いようもない。 その回転は今年も変わらず、冬を連れて来た。 私はこの数年特に、巡る季節

恵まれているが心底どうでもいい

私はそれなりに努力をしていたのだった。 すべてが冴えなかった、悪くはないが良くもなくって、愛すべき日々ではあったが通りすがりの誰かのくしゃみで吹き飛んでしまいそうなくらいどうでもよかった。そして時折、胃袋が捻じ切れそうなくらい腹が立った。 勉強をしても上の下だった、楽器を吹いたら努力だけが認められた、人と精一杯関わろうと努力をしたら都合の良い人間になっただけだった。人生を通して何かとタイミングが悪かった。我慢強く努力出来たのに、自分の努力そのもののことを信じきれなくてあと少

『糸車と春、そして電話がなる』

かかってくる電話のことは好きにはなれないけれど、――だって私にかかってくるのは大抵つまらない電話だから―― 点と点を繋ぐ電話線のことならなんだか好きになれそうだと思う。 しにたいと思った日に電話をする、そんな約束を交わした過去がほしかった。約束はなかったから、街を歩いた。世界のことがどうでもいいとき、地球のことが愛せないとき、歩く街には記号しか落ちていない。記号の海からいくつかすくいあげて、撚りあわせて、糸にして、布を織って、服にして、遠くの何処かの私みたいな誰かを、温めら

ハッピーエンドしか書けない。

今年に入ってから、私の書いた短編を読んだ人に、あなたはハッピーエンドが書ける人だ、と言われた。 ハッピーエンドをえがこうとすれば、その幸福を強く印象付ける為にも、展開に緩急を持たせる為にも、その前の段階で悲劇や不幸、なにかつらく悲しいこと、強い負の感情を描くのがひとつのセオリーである。けれども、例えば5000字という制限の中で短編を書こうとすると、その不幸を収束させ幸福に転じさせるだけの尺が足りなくなってしまう。 たまたま私の大学には、5000字前後を基本とした短編を持ち寄り

夏が砕ける音・悲しい匂い

8月になった瞬間に蝉がわんわんミンミンぎゃんぎゃん鳴いている。2歳くらいの小さな子供はこういう泣き方をするような気がする。ひたすらに泣くことに専念しているような。 その日の昼下がり、酷暑のなか、バイト先に出勤するために自転車にまたがり漕ぎ出した瞬間に、前輪のところでパリッと音がした。夏が砕ける音。タイヤには蝉の抜け殻がくっついていたらしくて、少し後退させたタイヤの下からは、小金色の破片がぱらぱらとアスファルトにこぼれていった。それをもう一度轢いて、自転車を走らせる。出勤する

煌めいて消えゆく

遠くの誰かの自死は妙に、余計なノイズが削ぎ落とされ洗練された哀しみを持つ。 誰かが死ぬことを決意した、その夜のことを想った。死の決意は、生きていた彼らのさいごの煌めきだ。死を認識するということは、生きていることの証なのだから。 夜の闇で小さく光る家々の、その灯りの中で誰かのさいごの煌めきを見失う。 決意は誰にも悟られない、止めようがない、彼らの周りはきっといつだって夜で、彼らは点々と散らばる灯りの外に居る。揺るぎない速さで夜は更けゆき、灯りの点々は少なくなる。彼らが帰るべ

君の誕生日に思うこと

君っていうのはもちろん、今からこれを読む君のことだ。 21回目「誕生日って、そんなにおめでたいもんかな」 帰り道。だって大人になんかなりたくないし~、と笑う友達のその一言が妙に心に引っかかった。たしかにーと返しつつ、万国共通で”うれしい日”なんだと相場が決まっている年に一度の誕生日の正体を、私は分からずにいた。 たしかに、私たちは大人になることに、私たちを大人へと押しやってしまう時間の流れに、抗うことを夢に見た。朝は迎えたくなくて、遮光カーテンの隙間からさしこむ朝日を無

制服が好きになれない皆へ

この記事は、大学生になった私から高校生だった私へ向けて、そして今実際に学校生活が好きになれないきもちを抱えている全ての高校生に(あるいは中学生にも)向けて書きます。 (さらに書き足しておくと、学校生活を謳歌してる皆はそのままでいいんだ。思うままに、全力で楽しんで!!やりたいことを大好きな人達と全力でやることに重きを置きつつ、未来の自分のためにも沢山悩んで、いっぱい笑って、元気に卒業してね。私も大学生がんばります。) 高校生の頃、私は学校へ行くことが大嫌いでした。 たった1年

生活と行間

時代の隙間に必ず文学が存在している。その膨大さを目の前にすると、いつだって私は死んでしまいたいと思う。 図書館にいるとお腹が痛い、文学に生かされていると信じていたかった。言葉の表面を覆う綺麗な上澄みに騙されていた。生活はもっと生々しくて凶暴だったよ。効かない鎮痛剤とか、クレジットカードの明細とか、遠い国の痛ましいニュースとか、茶葉をケチった薄い紅茶とかで、日々は出来てる。誰かの唯一無二になれないのなら、新明解国語辞典のいかにも狭そうなあの行間に身をうずめてしまいたいな。辞書の

いつかの貴方へ

殺人ウイルスがアルバイト先をとうとう休業に追い込んでしまい、この週末急にぽっかりと時間が出来た。 娯楽にどうも手が付かなかった。本も読めなかったし、映画もアニメも観続けられなかった、音楽だけを聞き流しながら、のらりくらりと夜までぼんやり過ごす。 夜になって急に、部屋の掃除を始めた。 どうでも良いけれど、掃除って然るべき時に出来ない。日中どんなに時間があっても、わたしはいつだって夜中に、ひとりこそこそと掃除をする習性がある。おかしい。 大学の書類やクレジットカードの明細や

眠りたくない

疲れたのに早く寝ようと思った日に限って、書きものをしたくなるのはなんでなんだろう。いつもは垂れ流して聴き流してしまう音楽に、じっと耳を澄ませたくなるのはなんでなんだろう。頁に整列した言葉ひとつひとつの頭を撫でてやるように、ゆっくり本を読みたくなるのはなんでなんだろう。眠たいのに眠りたくない、抗いたくなってしまう。 まあ大した理由なんて無いんだろうな。 私にこびりついてる子どもの所が、まだ反抗期の真っ只中なだけ、たぶんそれだけ。 嫌だなほんと、大人になるのは嫌だな。 明日

理由とかそんな大層なもの、

無いんだよ別に。 写真を撮るにつけてもそう。 以前のわたしは、何を始めようが終わらせようが、何を好きになろうが嫌いになろうが、そこに当たり前に理由があると思ってた。だって、そう教わったんだもの。 写真を撮る理由を、このnoteに書き並べてみたことすらある。けれどもそんな大層なものを常に抱えている器用さを、わたしは持ち合わせていない。 年越しと私、撮る理由。|月嶋 真昼 @noontime_moon #note https://note.com/noontime_moon/