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春、一マス進む

今年の春の私のことを綴りました。
公開が夏になったことは、私とあなたとの内緒です。
7月4日  


ずっと前から、私ではない別の人に(それは誰でも構わないんだけれど)言ってもらいたかったことがあった。


2021年からの冬は記憶がない。2020年からの冬はもっとだ。
冬は寒くて、全てが凍りつく。文字通り全て。冷気は、末端から私を染め上げるかのよう。私の指先は青紫色に変色し、日に焼けることなく真っ白なはずの太ももは青や赤の斑模様になる。私の外部で生起する現象を感知する為のバロメーターが、その針に氷柱を作る。氷漬けだ、私の心のあたたかくてやわらかなところが全部。全部。
生活そのものが、遠いところで回ってるような心地がする。本当は時間の流れに乗って、私自身も一緒に一日を、一週間を、一ヶ月を、巡るはずなのに、私はなぜかずっと同じ場所にいる。あるいは、牛乳を水で薄めたような、自分の輪郭すら見えない場所にいる。
私にとっては、そういう印象しかない。冬が、
そして憂鬱が。

自覚したのはいつだろう、自分の何かがおかしいと思い始めたのは5年前、17歳になる前のことで、私はそれを高校が自分の肌に合わないせいだと思い込んでいた。思い込もうとしていた。
身体は倦怠感が強く、首筋や肩が凝り固まっていた、晴れていないと頭が痛くて、立ちくらみと目眩と耳鳴りとは友達よりもずっと一緒にいた。朝は特にそれが酷くて、父にベッドから引きずり出された記憶が何回か。朝、駅まで自転車を漕ぎながら私を追い抜いていく車を呪う。車道を走る私を、そんなに上手く避けなくていい、轢いてしまっていい。高校まで、幾つか電車を乗り継ぐ間、ずっとその線路を見ていた。電車しか走らない道を私が歩いてみれば、あっという間にここから逃げられる。あるいは、走る電車の窓から飛び降りたら?

大学に入ってからも、心身の調子が悪い期間とそれが和らぐ穏やかな期間とを繰り返しながら私は、ぼんやりと実感の無い生活をしていた。ただ、高校生の頃と違うのは、人に恵まれているということ、自分の好きなことを勉強できるということ。私の大学生活は、あのウイルスが流行ったこと以外は幸せなものだ。
このまま心根のやさしい人たちに紛れて、生きていける気すらした。少し調子の悪いときがあるだけ、誰だってそんなもんでしょう?このまま治っちゃったりしないかな。

それがやっぱり私の浅はかな思い込みだと思って諦めたのが今年、2022年の春で、私はようやく近くの精神科へ予約の電話をかけた。
やっぱり私は、人に恵まれていると思う。背中を押したのは幼馴染3人で、心身の調子が悪いことをふんわりと伝えたら軽い声音で「行ってみなよ、メンタルクリニックみたいなの」と言われた。あれがなかったら、私は今も憂鬱の波の中をたゆたう生き物だったろうと思う。
もとい、まだ寛解には至っていないのだけれど。
私は、そうして5年越しに精神科に行き、直接的に鬱病という言葉で診断を受けたわけではないけれど、問診票に乱雑に書いてしまった「うつっぽい」という私の記述を見ながらその精神科医は、私に「あなたがおっしゃる通りだと、僕も思いますよ」と穏やかに言い、抗うつ薬を処方した。
それは、ずっと他人に言われたいと願ってきたことだった。私が怠惰だから出来ないことが増えたんじゃない。病気だよと、それは病気だからだよ、治せるよ、と。
処方箋を見た時、それでも私は情けなくて、けれどここ数年で一番安心した。


診断が下ったことで処方されたたった3種類、合わせて5錠の薬が、私のことをすんなりと変えてしまったのなら、私はそれこそ、本当に悔しい。けれども――
最初は気持ち悪かった。ずっと、何となく気持ち悪くて、それは副作用らしいけれど、軽い目眩もしたし、過眠が少し酷くなった。それが過ぎ去ると、薄まっていく憂鬱があった。春の日差しの中、根拠の無い薄靄のようなそれが、ほんのり晴れて、少し見通しが良くなった。
私は現代医療へ、改めて感服した。

生活を掴もうと、こちらへ、私のもとへ手繰り寄せようとする気持ちがぽこ、ぽこ、と小さく泡立つ。
サイダーのような小さく弾ける心持ちで、私は春を過ごした。ここ数年で1番軽やかな春だった。

もちろん調子の波はゆるやかに続いている。月が満ち、欠けてゆくのと同じくらいのスピードで、調子の良い時と悪い時とを繰り返す。
ただ、その波がやさしげになってきたのは私の中で大きな変化であった。私はいつしか未来のことを少しずつ考えられるようになった。再来年の春までに、毎日たくさんの本を読んだり知識を蓄えたり知らない場所へ行ったりして、それを経て得たことを自分の言葉でもって再構築しながら、自分の気持ちの赴くままに緻密に思索できる人間になりたい、それを面白いと、心の底から思えるようになりたい。私は自分の、大学院へ進むという進路を、就職活動からの逃げではなく、自身の為であると、今は強くそう思うことが出来る。

焦らず、ゆっくり、ご機嫌に。

そう、合言葉を唱えながら、私はゆっくり歩き出している。

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