いつかの貴方へ
殺人ウイルスがアルバイト先をとうとう休業に追い込んでしまい、この週末急にぽっかりと時間が出来た。
娯楽にどうも手が付かなかった。本も読めなかったし、映画もアニメも観続けられなかった、音楽だけを聞き流しながら、のらりくらりと夜までぼんやり過ごす。
夜になって急に、部屋の掃除を始めた。
どうでも良いけれど、掃除って然るべき時に出来ない。日中どんなに時間があっても、わたしはいつだって夜中に、ひとりこそこそと掃除をする習性がある。おかしい。
大学の書類やクレジットカードの明細や給与明細、銀行からの通知、病院の領収書、ひととおり、目を通す。個人情報のところを引きちぎりながら、いらない紙は無印良品の紙袋にぜんぶ詰め込んだ。
ぜんぶから生活の匂いがして嫌になった。
大学の書類が会社のものになって、クレジットカードが学生専用のカードじゃなくなって、光熱費の引き落としが増えたりなんかして、保険会社からの封筒が増えたりなんかして、社会にぎちぎちに組み込まれてく近い未来を想像していた。
書類をひととおり片付け、部屋の片隅に夏から放置していた紙袋の中を見る。
夏、ちいさな写真展を開いた時のフライヤー、会場となったカフェに置いていた感想ノートとボールペン、展示したパネル。
その中にひとつ、ミントグリーンの封筒があった。
顔も名前も知らないひとから、生まれて初めて頂いた、いわゆるファンレターのような、綺麗なお手紙である。
それを今日、久しぶりに読み返した。
何度見ても、丁寧に言葉を紡ぎ、そして記すひとだなと思う。こんなにも丁寧にわたしの写真と対峙して、抱いたきもちを見極めて吟味して、わたしに伝えようとするひとが居たことを、改めて凄いと思った。
わたしも、どこのどなただか分からない貴方も、お互いの顔も名前も知らないのに。
インターネットというものは時々、本来なら無かった筈のこころのやりとりを繋げてしまう。無機質な情報の海から、わたしにミントグリーンの手紙を授けてしまう。
それはなんだか狡い。
やさしい言葉をくれた貴方へ、どうか届きますよう。
貴方が去年の夏、わたしにくれた言葉が、今のわたしを未だ励まします。空気の手触り、時間の匂い、わたしの写真からそれらを感じ取ってしまう貴方の感性に、そっと触れてみたかった。わたしも貴方の書く言葉が好きなのに。インターネットと同様に貴方のことも少し狡いと思いながら、今これを書いています。
またどこかで、それはあのカフェかも知れないし街中かも知れないけれど、すれ違う日を、なんとなく祈ります。
部屋の隅で、ミントグリーンの手紙に綴られた言葉に、わたしが何回目かの励ましをもらったように、
生活の片隅からはみ出した言葉が、なにかのはずみで空気に溶けずに残って、誰かの何かを変えることを、やっぱりどうしても、願ってしまう。
わたしは抗いようもなく順当に大人になって社会に組み込まれていくけれど、わたしの発する言葉だけは社会に飲み込まれていかないように、
社会の為じゃない、大切な誰かの為に在るように、
わたしはわたしを、少し信じてみることにした。