「アップデートする仏教」で心をアップデートする(書評)
1.はじめに
前回の記事で紹介した「アップデートする仏教」という本をご紹介です。
まず、仏教なんて葬式や法事の時くらいしか触れることはないから、自分には関係ないのでは?そう思ったあなたにこそオススメの本であることを冒頭に記載しておきます。
2.どんな本なのか?
この本は、藤田一照さんと山下良道さんという2人の少し風変わりなお坊さんが日本のみならず世界の仏教という観点で、これまでとこれからの仏教を対談で論じている内容となっています。
風変わりと言ったのは、ご自身たちもおっしゃっているのですが、お二人アメリカで長期間禅宗をアメリカの方々に広めることをされていました。
さらに山下良道さんは、帰国がさらにビルマで昨今日本でも度々目にする「マインドフルネス瞑想」を行う「テーラワーダ仏教」の修行をされたという経緯があります。
多少経緯は異なれど、日本を離れ世界の仏教・仏教徒と触れ感じたことを、仏教界だけでなくこの社会と絡めてお話をされているので「仏教?私無神論者ですけど?」という人が読んでも全然面白い内容となっています。
3.不安多き時代
現代社会は、VUCA(ブーカ)な時代と言われ社会の変化が激しく、不確実で複雑・曖昧だと言われています。
ビジネスの世界では、だから変化に対応できるよう論理的思考だけでなくメタ思考も重要で、イノベーション力が大事だよねなんていう記事をよく見ると思います。
実際に、努力されている方も沢山いらっしゃると思います。だけど・・・正直疲れませんか?
確かなものは何一つない。毎日努力し続けろ、そうでないと取り残され、誰にも相手にされない。
そんな風に不安を煽られた結果、Youtubeの広告とかで良く見るかもしれませんが、「会社員と同じ給料がもらえるだけのプログラミンスキルがなんとたった1週間で身に付来ます!今なら無料テキスト配布中!」・・・普通に考えたらおかしいのに、騙される人が出てきたりします。
とにかく不安を煽る情報が溢れています。「こうでないと」「こんなことやってませんか?」「●●の時に嫌われるNG行動10選」みたいな・・・
日本だけでなく世界でもかもしれませんが、治療を受けていない精神疾患者が多いと言います。あなたも、心の底から自分は常に満ち足りていると言えるでしょうか?僕は残念ながらそう言えません。
自分の能力に疑問を持ち、心の不格好さに怯え、社会と接する際には心に鎧をまとっています。
でも、多かれ少なかれみんなそうなのではないでしょうか。
他人から見れば、キラキラ輝いた毎日を送っているような人だって、内面でどのような苦しみを抱えているように思われます。それを決して人には見せないだけで。
要するに私たち(私たちの心)は疲弊してると思います。
4.アップデートする仏教とは
この本で対談をされているお二人は元々ご実家がお寺だったとか、そういうわけではなく、やはり社会の中で教えられる「頑張れば、いい未来が待っている」という学校や社会の教えに疑問を持ってしまった。
そこから、最終的に自分自身の疑問を解消するために、禅宗の僧侶となり、マインドフルネス瞑想や禅宗を心を整えるためのメソッドとして熱心な仏教徒が多かったアメリカ人たちと言語で明示的にコミュニケーションをし、自分自身が修行者となりマインドフルネス瞑想を実践し、結果自分達はこの社会において何をすべきか?という結論を得た訳です。
ぜひ、詳細は本で読んでいただきたいのですが、すごくざっくりまとめると以下のような内容です。
(1)仏教1.0
現在の日本の仏教を、仏教1.0と表現する。寺を病院、僧侶を医者、病気を心の問題とすると、病気を抱え治療を求める患者がいるのに、病院が治療をしない不思議な状態だと。
これは、なぜかというと、日本はそもそも自分の心を話すことがタブー視されていてみんな表面上取り繕おうのが慣例。
仏教も所作等に関する教えは正しく引き継がれているが、「なぜ、そうなのか?」や「心の問題」は解決されている前提での内容となっており、形骸化している。結果、医者も患者も医療(仏教の教え)を信じていない。
これが日本の仏教の姿だと言っています。冒頭記載の通り、法事=仏教と思っている私の感覚もあながち間違っていないということでしょう。
(2)仏教2.0
マインドフルネス瞑想というメソッドとして取り上げられることが多いですが、瞑想を通して「自分の心の問題」と向き合う方法です。
それこそメソッドというくらい、実践方法が明確で真剣に修行に取り組んでいる。
ただ、一つ問題があり、いくらメソッドを実践しても「俺が思いを手放すのだ」と「俺」が主体となってしまうと、実態として「思いを手放す」ことができない問題。
特に欧米人は、「俺」が主体なのでほとんどの人が到達できない。
(3)仏教3.0
心の問題がすっ飛ばされることで形骸化していた日本の仏教(仏教1.0)に、
欠けていた仏教2.0要素で息を吹き込むことで、本来の仏教の姿(仏教3.0)に戻すこと。
そして、お二人はそれを今の言葉で、きちんと分かるように説明することが自分達の役割だとおっしゃっています。
5.まとめ
文中出てきますが、オウム事件が日本で仏教2.0が受け入れる契機となったような記載があります。
当時、なぜこんな優秀な人間が・・・?というような報道もされていたと思いますが、心を無視すること、心を捨てることを教えられ、救いを求め真剣にこの世の中に対ししなければいけないことを「本気」で実行した結果だったのではないかと。
つまり、物事を適当では済ませられない真面目さ故の悲劇だったとすると、本当にこの「表面的」にうまくいってますよ感を醸し出さなければいけない社会の弊害が噴出した形なのかもしれません。
全てを投げうち、仏門にみんなが入ってしまったら社会は回らなくなってしまうかもしれませんが、「心の問題」に蓋をせず、「正直、疲れてる」「不安でいっぱいだ」という負の感情を周囲を憚らずに言えること。
不安を解消するための方法や、それに携わる人間がいること。これだけでも、この歪な社会は少し「生きやすい」世の中となるのではないでしょうか。