不登校という経験をネガティブなだけのものにしたくない
小学校3年生不登校児の娘。
(現在は登校リハビリ期ですが、心のハードルは上がり下がりしながら頑張っています。)
先日、「なぜ学校生活が嫌なのか」ということを、話してくれたことがあった。
以前「学校が怖い」と言っていたこともあったが、何がどう怖いのかは聞いても答えることはなく、本人もよくわかっていなかった。
今回娘が教えてくれた嫌な理由。
それは『今の学校は、先生も周りの子も「これはこういうものです」ということばかりで、「話し合う」ということがないように感じる』ということらしい。
そのことについて娘がこう例えた。
『例えばお花を植えようってなった時に、私ならみんなで話し合うと思う。
この花壇にはパンジー、この花壇にはチューリップ。
もしそれが嫌な子がいたら、パンジーとチューリップをまぜて植えたり、植え方をその子の好みに変えたり。みんなが納得できなくても、みんなの意見を聞いてちょっとずつ入れたらいいと思う。それなのに、今の学校では、ここにはパンジーです。そういうものです。と、先生もそういう感じで、お友達もそういう感じ。それが、なんでだろ?ってなんでこんな風に全てのことが進むんだろって嫌だなぁって思うの。しかも、その通りにしないとだめで、少しでも違うことしちゃうと怒られたり、責められたりするんだよ、、』
この話をしていた時の娘の熱量は凄まじく、
娘の心からの叫びなのだろうと感じた。
「そんなのこういうもんだって割り切ってスルーだよ」そう言ってしまいそうにもなるが、それができたら苦労しない。
割り切るのにストレスがかかるということなのだから、すごく辛いと思う。
そもそも、割り切ることスルーすることは、楽だけど、正解なのかなんて私にもわからない。
娘にとって今の学校は、合わないのだ。
そして、そこにいることが、とにかくストレスがかかる状態なのだということはよくわかった。
ただ、その理由がわかったとしても、その学校に戻すか、転校するかしか選択する余地がないのが現実だ。
・・・・・
さて、娘のお花の話しだが。。
実際に花を植えたわけではないのに、この例えを使って教えてくれる娘の言語化能力って、すごい。。(Oyabaka )
娘は深く深く自分の思考に潜る子だ。
前はあまりにも深く潜ってしまって溺れて苦しんでいるようにも見えたが、最近は割と上手に自分の思考と向き合えるようになり、さらにそれを言語化して伝える力を身につけ、上手に浮上するようになったように思う。
これは、彼女がこの不登校という、自分ですら訳の分からない状況に陥ったからこそ身につけた力だと思っている。
私は、娘の力に、個性に、強みに、それに気付くことが、親である私の役目だと思っている。
「娘のその力ってすごいよ!」とどんな些細なことでも、見つけて伝えることにしている。
私は娘の不登校という経験をネガティブなだけのものにしたくない。
だから、例えこの不登校経験で苦しんでいる中にも、光はあると信じている。
娘だけの、娘ならではの力。
それは、未来への光に繋がると信じている
・・・・・
でも、本音としては、そもそも、不登校にしない方法というか・・・
学校の選択肢がもっとあったならば、不登校という概念すらなくなるんじゃないか、娘はこんなにも苦しまなくてすんだんじゃないかとは思っている。
一体この学校制度は今後どう変わっていくんだろうと。
私は世の中の不登校が増えているという実態も娘に伝えていて、「なんでこんなにも増えたんだろう?」という質問を娘にしてみたことがあった。
「学校に行くのが当たり前だとは思うんだけど、ママ達子供の頃の30年前になかったものが、今は当たり前にあることもあるんだから、当たり前だったことが、当たり前じゃなくなることだってあると思う。」
哲学者なのかな、うちの娘は。。(OYABAKA)
「ただ、学校には行きたいけど行けないんだよ。でも、家にいてもつまらないよ。外の世界に行きたいよ。だから苦しいよ。きっと他の子だって、行けるなら行きたいんだよ。」
そうだよね。苦しいよね。。
どうしたら、学校に行けない子が、安心で安全でポジティブな場で学べる場に出会えるんだろう・・
娘のように「ここの学校が合わない」と思う子がいたら、じゃー別の学校にしようと、それが当たり前の選択になったなら、もう少し苦しまなくて済むんじゃないかなぁ、、と思う。
(教育委員会が用意してくれているフリースクールもとっても良い場所だったが、やはり学校に戻ることが前提で、「学ぶ」というよりは、心を休める場所にちかく、元気になってからはどこか物足りなさというか、居心地の悪さを感じたようだった)
あと、「不登校」って言葉もよくない。
「不」がよくない・・
ワークスタイルだってこれだけ色々選べる時代になっているのだから、
スクールスタイルだって、色々選べるといいのに。
パラレルキャリアみたいに、パラレル登校という呼び名にしたらどうだろうか。
破裂音が入るだけでなんとなくポジティブな気がする。
・・・・・全てただの私の願望、いやもはや、妄想 w
どんなに願ったとて、簡単に学校が社会がかわるわけではないのだから。
現時点でできることをする。
親として、私は娘の不登校という経験をネガティブなだけのものにしたくない。
苦しかったたけで終わらせたくない。
娘の今を見つめて、沢山のいいところをみつけて伝えている。
娘の良いところを100個書いてみてのだが、不登校を経て見つけた良いところが沢山あった。
不登校を経験した彼女の作る未来はきっと優しくて暖かいと、私は心からそう信じている。
そして、簡単に学校が社会がかわるわけではないからこそ、いちお母さんの私ができることをしていこうと思う。
それは、こうして不登校児の現状を伝えること。
そして、同じお母さん達の話を聴き、きもちに寄り添えることなのかなと思っている。
小さな渦だけど。
不登校の未来に光を照らせる何かに繋がるといいなぁ。