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「あなたに五重丸をさしあげます」
3月になってしまった。
なってしまったんだな。
いまだに2025年の2月というものがわたしには整理がつかない。
まず、2月から新しい職場に勤めはじめ、不安と緊張の中でとにかく必死にがんばっていた。
昨年まで、社会に出ることが難しい若者たちの社会復帰の支援をしていたわたしは、働くことに怯える若者たちに対して、
「最初は3日、次は3週間、そしてとにかく3ヶ月だけはがんばってみよう。はじめは誰だって緊張するし、心細いし、こんなのできないって思う。でも3ヶ月くらい続けていくうちに、なんだかできそうな気がしてきたりするものだから」
なんて励ましていたのだ。
しかし8年振りの転職、しかも地域福祉のソーシャルワーカーから国へ、つまり省庁での社会福祉士職へと転職した(してしまった)わたしは、慣れないラッシュやよく分からん省庁のしきたり、少しずつ見えてくる人間関係、想像していたのとは違う支援のあり方や対象者の人たちなどなど、一気に「なにこれ」「こわ」「むり」が押し寄せ、心のハチマキを何度も何度もしめなおさないとくじけそうになった。ほぼくじけて泣いてしまった朝や夜もある。行きたくないよー。
上品先生にもずいぶん心配をかけてしまった(いまも心配されてる)。
新しい職場に怖い人は誰もいない。皆さん優しくしてくれる。でも、自分に自信がなくてくじけそうなのだ。自分が一番の敵とはよく言ったものだよ。すこしはがんぱれよ、がんばれる自分になれよ、と思う日々。
かつて支援した若者たちだってがんばっている。引くわけにはいかない。とりあえず3ヶ月やってみなきゃわかんないこともある。
そんな中、身寄りのない高齢の叔母が救急搬送されたと連絡がきた。急ぎ病院にかけつけ、よく分からないままに病院の様々な書類にサインをする。ケアマネさんやヘルパーさん、主治医の先生、そしてわたしの母などとさまざまに話し合わなければならないことがあり、一気になにかの流れに巻き込まれた感があり、とても気が重かった。
そして、そしてつば九郎さんが亡くなった。
こんなことってあるだろうか。
2月16日、私が娘と「apbankフェス」を東京ドームに観に行き、Mr.Children「HERO」に泣き、大好きな宮本浩次さんが「ハレルヤ」「悲しみの果て」など大好きな歌を歌ってくれたあの日、つば九郎さんは亡くなっていたのだ。
知らなかった。
発表されていなかったのだから当たり前だが、2月16日はつーさんの誕生日でもあって、わたしはプレゼント(つーさんが欲しがっていたEDWINのジージャン)とお祝いの電報も送っていた、おめでたい日だったのだ。
この世から本当にいなくなってほしくない人がいなくなってしまった。
それからの2月はなんだかあまり覚えていなくて、必死で、泣いたり、出勤したり、泣いたり、出勤したり、家のことはもうほぼあきらめて「つくりおき.jp」というおかず宅配サービスを始めた。
(これはとても助かった。利用を決断してよかったと思う)
土日には、いくつか、映画を見た。
坂元裕二脚本の「ファーストキス」と、あとはドリームワークスの「野生の島のロズ」。
ひとりで暗い映画館のシートに身を沈める。
そうして自分とは違う人の人生を追っていると、心が軽くなった。自分じゃない人になれる。それはきっと映画館だからこそなのだろう。
「ファーストキス」のテーマでもある「喪失の悲しみと寂しさの正体」については、観ていて、ああ、と深く心に届くところがあった。とても良い映画だったです。もう一度観たいくらい。
・・・
みなさんは、どんな2月でしたか?
3月は、春です。
春が来るんです。
嬉しかろうが悲しかろうが、桜が咲いてしまうんです。
2月はいろいろありすぎてなかなか人に会えなかったけど、今週末は幼なじみのこまちゃんとルミネtheよしもとに行く。
月半ばには、ムロヤマさんがもはやなんだかわからない「お祝い」でごはんをご馳走してくれる。たしか、前職の卒業祝いと就職祝いだった気がするが、国試の合格祝いにもなるのかもしれない(自己採点では大丈夫そうなのです)。
お祝い。
正直いまのわたしは喪に服していたい気持ちなのだが、それはムロヤマさんの気持ちには関わりのないことなので、普通にお祝いしてもらおうと思う。わたしがつば九郎さんや野球を好きだってこと、多分言ってなかったと思う。
・・・
そういえば、わたしがつば九郎さんの訃報を知っておいおいと泣き、翌日(テレワーク)になっても涙が止まらずどうしていいか分からないとき、わたしのつば九郎さんへの思いをよく理解してくれているであろうデビさんにLINEをした。
ボロ雑巾のような状態の人間からのLINEを受けるのはさぞ困惑であったと思うが、それは泣きますよ、なんでも言ってください、ずっと泣いてると体力なくなるから横になってください、など親身になっていただき、あの日のことを思うと本当に足を向けて眠れない。
何日後か、ようやく涙がすこし減ってきました、とお伝えすると、デビさんがこんなことを言った。
「涙が減ったならよかったです。
それは心で繋がっているということのようです。最初は悲しいがだんだんと同化していくのだと聞いたことがあります」
どういうことだろう?
その時はピンと来なかった。でも心で繋がれるならそれはとてもいいことだ、と感じた。
そしていま、デビさんの言うその現象を、わたしは既に知っているかもしれないと思っている。
亡くなった父だ。
8年前に急な病で亡くなった時は「もう永遠に父には会えなくなってしまった」ととても悲しかったけれど、いま、父はいつも心のなかに一緒にいるとほんとうに感じているのだ。
・・・
楽しいこと悲しいこと、淋しいこと。
それらは毎日大なり小なりこの身に起きて、私たちはそれを受けとめて生きていくしかない。
…っていうとなんか諦めのようだが、受けとめるしかないっていうことは、それを笑ってやろうが泣いてやろうがこちらの自由なんだ、ということでもある。
どうにもならないことがある。それを前に我々は、自由である。
どのような思いでそのできごとの前に立っていても(立たなくても)いいのである。
どんな楽しいことにも嬉しいことにも、そして悲しみにも淋しさにもきっと、誰かやあなたのひとつではまとめ切れないかたちにならない思いが溶けこんでいる。
私たちはそれを風のように受け、それでも帆をはって、そのままの姿でこの世に浮かんでいくしかない。
いつまでもどうしても悲しいこともあるし、失われた何かにもう一度会いたいとしか思えない日もある。
会えるものなら会いたい。忘れられない誰かに。
いつまでもそうやって思い続けることを、後ろ向きだと、あの人はそんなこと望んでないから前を向いて、なんて言われることもあるかもしれない。
でももう、会いたいのなら会いたいと思っていましょう。
もしかしたら、会えるかもしれない。
会えるかもしれないのだ。
そう思って、曇天の空を見つめていれば、風がわたしをあの雲の向こうまではこんでくれるかもしれない。
・・・
追伸にはなりますが、25年振りくらいに見た宮本浩次さんはあの頃とスタイルまったく変わらず、スラリとして細く、それなのにエネルギッシュで、着ていたジャケットもネクタイもあっという間にもぎ取ってしまい、そんなに動きまくっているのに決して音を外さず、死ぬほど歌がうまく、そして「みなさんに五重丸をさしあげます!!」と言ってくれた。
そうだ、宮本さんから五重丸もらったんだった。
だからそれだけで2月はもう充分だ。