やっぱり呼吸
朝から少し刃物を
研ぎ始めました。
約2時間、
ほぼ通しで続けてしまった。
刃物を研ぐって、
何かを磨くのと同じくらい、
我を忘れるようです。
ほぼ2時間、
暑い日差しも気にせず、
結構やってしまいました。
切れる刃物であれば
料理は楽しくなる。
気分良くなるから、研ぎ始めたのかは
わからないけど、
どうも夢中になってしまう。
ただ2時間ほぼ通しでやってしまうのは、
正直驚きました。
二日連続なので、なおさらです。
途中で少し水飲んだだけで、
ほとんど休んでいない。
いったいなんなのか、
と思えば、事前に読経をしていた。
拭き掃除は読経の前にした。
全て呼吸が良くなるトレーニングみたいなものです。
やはり読経、
これはすごいかもしれない。
現段階でわかっているのは、
読経で呼吸の力がつく。
呼吸する力、
体力とは全く違う力だと思う。
酸素か何かを多く吸える状態だけなの
かもしれない。
エネルギーを吸うか生み出して
何かする。
となると、
呼吸する力をつけることは、
とても良いと、確信してきました。
いかなる手段であれ
呼吸を見直す。
最初は丹田呼吸をなんとかやろうと
思ってました。
ある時に読経を始めたものの、
2年くらい経ったころ、
どうも呼吸自体が変わってきたのは
実感してました。
腹式呼吸となかなか区別が
つきにくかったものの、
読経自体が丹田呼吸のトレーニングだと
言っても良いかもしれない。
般若心経や観音経、
延命十句観音経などの
意味は知らない。
知らずにただ読んでいるだけですが、
知らない、考えない、というのが実は
良かったのかもしれません。
ちなみに読経は、
場所や時間が問題なければ、
結構大きな声で読み上げています。
大きな声の方が、
断然と良い感じで読めます。
さて暑さを忘れ、
何かやり続ける。
しかし、2時間の研ぎは
体力でも忍耐でもない。
そもそも体力をつけるために、
特別に何かしてはいない。
正確には、刃物研ぎはその最中で
実は丹田呼吸、良い呼吸をしていたのではないか。
そうでなければ、飽きるか疲れるか
のどれかのはず。
刃物研ぎ好きというよりは、
呼吸が良い状態だった。
だから続けている、と言えば
説明がつくと思う。
とはいっても、
錆びたりきれない包丁だと、料理をする気が起きない、という理由で始めたのは
事実です。
理由やきっかけはこの際、
どうでも良い。
呼吸さえ良ければ、
何かと道が開けるように思う。
使っている包丁は、
ステンレスではなく、
鋼(はがね)。
すぐに水分を拭き取らないと
錆びますが、
研ぎやすさ、切れ味はすごい。
鋼に関して思えば、ずいぶん前、京都のお寺の境内の市で手にした、
実演販売の包丁がはじまりでした。
動画をさがしてみると、
ありました。
あまりにも懐かしく今もお元気なのか、
わかりませんが、
長い間みていません。
目の前で見ると、かなりの迫力の
実演販売でした。
このときに鋼の包丁の良さを知ったのがきっかけです。
包丁は切れれば、
扱いやすい。扱いやすければ、料理もしやすい。
鋼だとさっと研げばすぐに
最高の切れ味の
状態にできる。
どれもこれも一緒、というのが
直次郎さんの口癖ですが、
鋼(決して高価な種類ではない)だと
どれもこれも研げば、いっしょ。
とにかく切れる。
料理の世界も、ほぼ皆、いっしょ。
似たような鋼でした。
鋼を毎日研ぎ、最高に切れる状態に
していました。
今人気で高級なVGや高級ステンレス包丁を使っている人は一人もいなかった。
青紙などの硬い鋼も同様。
硬くて刃が欠けやすい、研ぎにくいというのは、野菜を大量に細かく切るようなところでは向かない。
高級な包丁、高価な材質ではないものが
現場ではよく使われいる。
ただ、よく刃物を研いでいた。研ぐ回数は多いけど、
時間をかけない。
人気がある包丁が
全ての人に必ずしも良いとは言えない、
ということです。
直次郎さんのいう鋼、
どれもこれもいっしょ、
で十分なわけです。
脱線しそうなので、
またいつか。
ネギに当てたらネギが飛ぶような状態。これだと簡単に
料理もできて、何より気分が良い。
長い間切れ味が保てるという包丁は
あるそうですが、
使う時に研ぐ、
なるべく研ぐ機会は
あった方がいいと思う。
たとえば、ネギなどの
みじん切りのとき、
ほんの3分でもよいので、
さっと砥石で研ぐ。
そのほんのわずかな時間で
気持ちを整える。
みじん切りも、刃が尖ってさえいれば、
まったく簡単。
技術ではなくて、
刃がしっかりついているか
どうかの問題。
思えば、料理と野菜栽培はつながっているとも言える。
何か切りたい、料理したい、
だから野菜をとりにいく。
切れる包丁って
何か良い影響があるのは
間違いない。
刃物を研ぐのは、
砥石があれば研げます。
ただ、最近分かったのですが、
v字型のシャープナーというものは、
使わない方がいいと思いました。
というのは、研ぎを頼まれて
進めていたところ、
包丁の刃が、まるで薄い銀紙の
ようにパリパリにとれていきました。
研いでも研いでも刃が
剥がれていく。
ステンレスの包丁でしたが、
v字型のシャープナーを
使ってきたらしい。
シャープナーは研ぐのではなく、
刃を削って薄くしていくようですね。
刃が薄く削られるから、
確かに一時的に切れるようになる。
でも使いすぎると、刃が
壊れていくようです。
特にステンレスだと硬い鉄なので、
包丁本体に見えにくいヒビでも入っているのか、薄くなってしまっているのか、原因は不明です。
剥がれるように刃が欠ける。
研ぎ終えるのに結構時間が
かかりました。
便利に見えるシャープナーの
致命的な欠点がわかってきました。
シャープナーは簡単で便利だろうけど、
使わない方が無難、ほんの少しなら
まだまし、というくらい。
使い過ぎたら、
おそらく刃が欠けやすくなって、
最悪刃物がダメになるかもしれない。
便利、って何だか弊害が
ある意味も含んでいるように
思ってきました。
だったら初めから使わない。
安価な砥石でもいいので、
さっと砥石で研ぐ方が
ずっといいです。
砥石で研ぐのは、書道で言えば、墨をする作業が近いと思う。
その研ぐ間に、乱れた心を正す
役割もきっとある。
野菜、野菜作り、刃物研ぎ、料理
丹田呼吸、読経、どれも実はつながっているとも言える。
というのも、呼吸さえ
しっかりできていれば、
どれもスッと野菜を切るように、
スムーズにできることばかり。
ぬか漬けと切れる包丁、
関係はありません。
ただ、包丁があれば台所に立って
ぬか漬けでもだそう、
と自然と思うようになります。
何も考えずに、ぬか床を
毎日混ぜるようになるのも、
切れる包丁があるから、
とも言える。
切れる状態の包丁が
心を支えて、生活豊かにする、と言ってもいい。
糠漬けって、毎日まぜるだけ、
簡単です。
立派な一品だし、何よりも
おいしくて簡単。
でも、簡単なことが
できなくなるときもある。
そういう時に限って、きれない包丁、
包丁が錆びていることもある。
料理したくない、
気が乗らない、というときは、
おそらく、呼吸が
乱れているような気がする。
となると、やはり呼吸は全ての源、エネルギー源といっても
良いと思う。
呼吸する力をつけていくには、
瞑想、集中、体操、ヨガ、色々あるとは思う。
どれでも、何でも良いと思う。
ただ簡単に始めて続けられるかどうかが
問題。
読経はほぼ費用がかからず、
日本語で音痴だろうが、関係なし。
その気にさえなれば、素人でも
始められるし、続けることもできる。
どうもしんきくさい、
暗い、と思われがちで
また僧侶だけが読むものとも思う人もいるらしい。
もっと日常的、気楽なものこそ
読経で、呼吸ないし健康状態になる秘訣と言ってもいいくらい。
私の場合は、読経があまりにも
進めやすく、強力だったと思う。
読経は日本語、
日本人にはちょうどいいし、
日本人ならではの何か大切な
隠しカードか
切り札にも思えてきました。
しかも、音痴音階等関係がない。
慣れれば、誰でもつまらずに
読めるようになる。
読みやすい音で
組み合わされていると思う。
読経は呼吸、文字があるのは、読み上げるために必要な
音符だと考えれば、
気軽にできるように思う。
それに、観音経で観音様の
ご加護がある、
読経で何か悟る、などと
考えるのは、何か
図々しいような気もする。
知らないけど、教えの本質は
もっと深いところにあり、
隠されているかもしれない。
よくわかりません。
だから何も考えず、期待もせず、
意味も考えない。
ただ文を大きな声で読む。
それだけで十分ですね。
思考が呼吸の邪魔をするかもしれないし、何も考えていない状態だと
ある面、瞑想ともなる。
読経は呼吸、瞑想、音、
その他何かあるはずです。
イライラする気持ちが減る、
訪問販売にきた人に気が付かずに
読経していたら、
帰っていたこともあった。
呼吸と何かしら精神面にも
影響しているのは間違いない。
何をするにも呼吸あってこそ、
呼吸さえできれば、
何かと良い。