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私たちは心地よく呼びかけられたい

磯野真穂さんのダイエット幻想からの着想が止まりません。

私たちは心地よく呼びかけられたい。
(中略)
自分の名前がちょっとでも間違えられると訂正したい気持ちになりませんか?(中略)どんなおとなしい学生でも即座に訂正します。

『ダイエット幻想』磯野真穂

仕事や生活、2人の関係においてなにも影響がないのに(呼ばれた側が呼びかけた側への認識を少し改めるくらい)、即座に訂正したくなる。
分かる、本人じゃなくても気づいたら教えてあげたい。
なぜなら「単に心地が悪い」から。
呼ばれた側は絶対気づいてるし心地悪いだろうなと感じるから。

心地が悪い。心地が良い。
「心地が良い」ってワードが絶妙。
すごくスウッとストンと心に落ちるの私だけ?


どうしてもコミュニケーショントピックを育児に結びつけてしまうのだけど、

相手がどう思うと思う?
優しくして!
なんで怒ってるの!!

って子どもに怒りながら伝えるのも、自分が

叱らない!
褒める!
寄り添う!
認める!

って意識するのかなりむずい。
むずいというかめんどい。
分かっててもできないのが大半だし、私なりにやっても全然子どもに刺さってなくて徒労感。

それを「相手が心地よい呼びかけをできているか」って考えるのはどうだろう。
「心地悪くない呼びかけができているか」でもいい。

なにも私からの働きかけで相手の気持ちをプラスに転じさせる必要はないのよ。
相手がピクッと目線をあげ「違いますオギワラじゃないですハギワラです」とつい言いたくならないような、目を伏せててもいいからこちらの話を聞いてくれるような。

自己肯定感界隈で言うところの「認める」もきっとこれなんだろうけど、言葉のニュアンスだろうか、「肯定しなくちゃ」と焦ってしまう。
でも、相手が心地悪くならないように呼びかけよう、と思うと、自然と「そうか、そう思ったんだね」とかって言葉がかけられそうだよ。


あと「呼びかける」という言葉のチョイスもいいですよね〜。

例え返事が返ってこなくてもまあいいじゃないの、こちらが勝手に呼びかけただけなんですから、という気持ちになる。

「声かけ」「褒める」「認める」だと、相手に正しく伝わったかな?と気になってしまうけれど、「呼びかける」だけだったらこちらも気がラクよ。


これを未就学児にもナルホド〜!って思ってもらうのはちょっと難しいけど、
この感覚を持った私が彼女たちに伝える言葉はきっと変わってくる。
はず。



こういう気付きがあるたびに、言葉のパワーに唸ってしまう。
普段読まない著者さんの本を読むことの面白さはこういうところにある。


次は本丸「食べること」について!

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