毒親は差別と生き辛さを、機能不全家族家庭は認知の歪み、狭い世界を生む
素直な気持ち
朝からイライライラッとする。
我が家には境界線がない。
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ガサガサがさがさとウルサイ。
カチャカチャカチャカチャカ、ウルサイ。
殴り殺そうかと苛立つ。
更に頭の中が一杯一杯になる。
疲れる、苛立つ、疲れる、苛立つ、回復しない、煩い、イライラする、疲れる、回復せず、また朝が始まる。
これを延々と繰り返している。
繰り返しているのは僕の問題だと言われることに腹は立つ。
境界線が無い家で育つと常に過緊張のような状態で生活する習慣になる。
習慣の話だ。
癖や習性みたいなもので、それも人それぞれ良くも悪くも色々あるよねと言われたらそれで片付く。
結局は、ここまで苛立って、ここまで書いたとしても、気が付いた事と思う事は、死ね、という事と、こいつを捨てればいいだけだ、という事。
あとは後悔や執着だろう。
とはいえ、「後悔や執着を止めろ、良くない」と言うのは他人だから誰でも言える事だ。それは分かった上で、ものを言えと思う。
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散歩の道中、ゴミ収集車の車とすれ違う。
雑談しながら仕事をする人たち、高校生の時にゲームセンターで可愛がってくれたお兄さんたちも一時期働いていた記憶がある。
こういう仕事や人間を母は、毛嫌いして馬鹿にしていたなと今でも思い出す。
その根底にあるのは、自身(母)の父親、僕の爺ちゃんへの歪んた自尊心と愛着だろう。成長せずに少女老婆のぼけ老人になっているこの生き物が、地獄を味わいながら死んでいく事が僕の最期の救い。
けれど。
それだけを祈り願っていたら、ああいう連中と同じになるじゃないか。
僕の、外にあるモノと自分を同じように考えて反面教師にしようとする意識は、まだ腐ってはいないと思う。
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僕の親も、そのまた親も問題を連鎖させている。
だから僕のような、自分が安心できる居場所がない人間にとっては、家にいると、家にいるのに、常に精神を、死ぬまでうっすらと弱体化させられて共依存関係を仕掛ける親に殺される。
このままもう力が出せないまま、中途半端に生殺しで飼殺される。
それを嫌なら出て行けばいいじゃないか、などのように簡単に正論を言う人もいるけど、それが出来るなら洗脳でもトラウマでもないわ。
それが出来るから強くなるし、それが理解出来たら賢くなる。
それが理解できない人は、同じことを言っていればいい。
自分がその時になれば分かる、とは言わないよ。
馬鹿は死んだってわからないから。
老害も毒親も、その他の僕の周りにいる人間や生物も。
死ぬまで分からないんだから。死ぬまで解らないまま死んでいくんだから。
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毎日朝起きても、身体がしんどい。休めた気もしない。消耗し続ける。
朝も夜も実は関係ない。
朝から生殺し状態で目覚めてから家の中。
外でする仕事が無ければ僕は部屋で何かする事を探している。
でも我が家で僕は一切休まらない。気が休められない。気を許せない。
毒親や、異常な教育育児を受けた子供は、常に監視されて支配されている感覚を物心がついた頃から植え付けられているので、常に過緊張や愛着障害のような歪みや致命的な問題や病を生み連鎖させる。
でもそれを理解する事すら出来ないのが情弱老害世代の僕らの親の世代だと思っていたけれど、少し違う。
これは僕らの親の親の世代、その更に上の世代。
そこに生きていた人間たちが生んだと思う。
婆ちゃんを見て居たら分かる。
こういう人間が生んだ人間だから、そりゃそうなる。
そう言う人間が生んだ人間が生む人間なのだから、それはそうなるさ。
むしろ、親も異常な人間たちが異常に生まれてきた世代だという事を忘れては絶対に良くないと思っている。
時代は繰り返す。リバイバル、流行り、衰退、リバイバル。
親も子も人間は全員が同じ事を繰り返して連鎖させてこの社会や世界は成り立っている事を知らなければ苦しくなる。
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わかった
自分が正しいの!と押し付けて洗脳していたお前が、馬鹿で阿呆の障がい者だという事が許せないのだ。
だから、お前が正しいと言うお前の正解で、その結果を出せと言っているのだ。
私が言う事が正しいの!
私が言う事が絶対なの!
私が言う事が正しいの!
私が言ってあげてるの!教えてあげてるの!
自分の言う事以外は間違っているから気に入らないお前が自分で言っていた事だ。
その答えを見せろと言っている。
お前が自分で言い切ったんだ。
私が言う事が正しいの、私が言う事が正解なのだと言っているのだ。
私が言う通りにすれば良いんだろ。良いんだよな。そう言ったよな。
そう言って僕の人生を壊したよな。
私が言う通りにすれば成功するんだろ。
だから、それを今見せろと言って突き付けているだけだ。
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今さら今になって、私はアホでした(笑)、で済まされると思うな。
その怒りや恨みや悔しさ、本当は人間なんてそんなもので、世の中の全てがその程度の事だと分かってきた今でも、行き場のない怒りだ。
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僕はエヴァの最期が好きだ。
でも、シンエヴァの最期が気に入らない人は嫌いだ。
僕はアニメ版の最期が好きだった。
けれど、あれは、子供たちの世界、箱の中で終わっていると僕は思う。
シンエヴァでは、その次、それでも人間は生きていく事を提示した。
傷ついても、何があっても、僕らは生きていくしかない。
シン・エヴァが気に入らない人は、その「それでも」が気に入らない人達なのだと僕は思っている。
だからチルドレン(子供)なんだろう。
大人になれない子供たち。
それもエヴァのテーマじゃなかったのかな。僕はそう思っている。
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僕もアニメ版の世界でずっといたい。
それで現実の僕の人生や生活が成り立つなら、それが楽だ。
ようは、辛い辛いと言っている内が華なのだ。
「辛い、辛い」と言って、何もせずに生きていられる現実に甘えているだけの人間が、不幸をさも美しいように語るだけで終わるのだ。
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僕の日記は同じような事を書き続けています。
これも何度も目だろうかと思い出す事も今は遠い遠い霧の中のようで。
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僕の日記に何かしらのアクションを届けてくださる方には感謝しかありません。
僕の日記は、少し変わった書き方と公開の仕方をしています。
僕の日記に、スキ、を押していただく事があります。
それも過去の日記に時々アクションを頂けます。
そんな時、僕は当時の日記を振り返る事になります。
「あ、こんな事を書いていたのか」
「この時はこういう事を考えて言っていたな」
と思い返させてもらえます。
忘れていたり見失ってしまっていることがあればそれに気が付きます。
そうやって毎日24時間、皆さんからのアクションに活を叱咤激励を頂いています。
これも生きる力です。ありがとうございます。ありがとう。
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後悔ではない。けど、生き恥晒してるなと思いながら。
笑えないけれど、これも僕の生きた証や物語だから、隠す気もない。
カッコよく美談にする気も無い。
今のまま、公開日記、としてこのアカウントのままで残して続けている。
今は少しは言葉には気をつけるけれど、そこまで意識していない。
僕は僕だし、僕は何度も言うように所詮は人間なので、僕も同じように良い事も悪い事も変な事も、あり得ないような話も、色々、色々、あり過ぎるのも僕の人生です。
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楽しんでもらえる人がいれば友達や知り合いになりたいし、わからない人は死んだってわからないからブラウザバックで拒否してください。
noteが僕の生きた証として存在してくれた今この数年間は、僕に生きる力について考え、生き辛さから、呪縛から、自分の人生の問題を解決させていく自戒の日記です。
それにアクションを届けてくれる人は、僕の先生やパートナー、コーチみたいな存在だと最近思っています。
やっぱり人様の日記にコメントを僕は残す事に抵抗があるのですが。
つい、いつも日記を読ませてくれてありがとうございます、という気持ちで僕はスキのアクションをしています。