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壊れた車のアクセル踏んで

読むこと、書くことで生き延びてきたわたしが、読めず、書けなくなった。
大量の文字の羅列は、救いではなく苦しみとなった。
でも、メールやLINEなど、読むしかないし書くしかないときもある。そういうときは、どうにか、辛うじて読んだり書いたりしている。

こんな現状を、お風呂でお湯に浸かりながら、まるで壊れた車のアクセルを踏んでいるようだと思った。
壊れていても、どうしても動かなくてはいけない現実と、それでも動けない現実と。
その狭間で、無理矢理頭を動かしている。

そうすると、傍から見たら、少しだけ進んでいるように見える。「普通」に擬態できる。
苦しさは不可視化される。

以前の3分の1ほどしか頭が働いていない感覚がある。
それでいて、以前と同じようなパフォーマンスを求められるし、自分自身もそれを望んでいる。
あぁ、早く休みたいな。

趣味の本さえ読めなくなったのが、一番つらいかもしれない。
図書館で借りた本は、読めずに先日ほぼ全て返却した。
ページをめくることがどうしてもできなかった。
本を買わなくもなった。読めないまま、埃を被っていく本の山を見るのが、なんとも切ないから。


そんな中、久しぶりに本を買った。
点滅社さんの『鬱の本』だ。

いまはもちろん読めない。
でも、お守りに。
いつか読める日のために、手元に置いておこう。
そう思って、書店に足を運んだ。

店頭で見つけて、手に取り、レジまで行く途中に、表紙のタイトルの文字がきらりと光った。
鬱、という字が虹色に輝いている。


精神疾患は、基本的に「寛解」はしても、「完治」はしない。
わたしは、この先もうつとともに生きていくことになるだろう。

それでも、輝くものを見つけられるかもしれない。
輝くことができるかもしれない。
いまはできなくても、いつか。
光った文字は、わたしにそう教えてくれたようだった。


壊れた車のアクセルを踏みながら、なんとか、なんとなく生き延びて、
光る本を読めるようになろうね。


(現在、品切れの書店(ネットショップ含む)が多いようです。増刷中で、2024年1月ごろから手に入りやすくなるそうです。)

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