日記 わたしなりの気づかい
今日は久しぶりに男の子とデートだった。
楽しかったけど疲れた。
楽しかったというのは、会話が楽しい何かをして楽しい、ということではなくて、自分のことを好いている相手といるという状況が楽しいっていうだけで、こういう場合は引き際をわきまえないと面倒なことになる。
負けず嫌いが出てきて、その先のことを考えるよりもただ落とさないと気が済まないという気持ちが混ざって、引くに引けずズルズル、、みたいな。前回はそれで失敗したので、もう同じことはしない。
なんか男の子といるモードが楽しいかたわら、常に冷静な自分がいて、頭の中では
美味しそうにしているわたし、無邪気なわたし、意外と芯があるわたし、、、好きだろ?これだろ?全部わかってやってんだ、、今可愛いって思っただろ?本当のわたしのようだろ?でもな、帰ったあとこんなしょうもねえ文章書いてるような、どうしようもないただの女が本当のわたしなんだよ、、、、
とか思いながら、盛大にぶりっこしてる。なにやってんだモードが常にある。まじではしたない。
でもはしたないどうでもいいことほど楽しくない?楽しいよな?誰か?わたしみたいなやつ、けっこういるよな?
てか全然わたし純です、みたいな感じだけど、意外と自己顕示欲半端ない肉食系みたいなやつの方がやべえと思っちゃうから、わたしみたいな男子中学生レベルのしょうもなさの方がまだ可愛いと思うんだけど。
どっちもどっちか。どっちもはしたないよ。
人と付き合うことについては、お互いに合わせようと思わなくても合う人とお互いが無理をせずに一緒にいることが良い関係だと思っているけど、自分が一緒にいたい相手はこれか、もしくは、一生好き好んでかっこつけ続けてくれるかどっちかがいい。どっちにしろわたしは無理をして相手に合わせてまで人と付き合いたくないし、相手にも無理を強いて一緒にいたくない。でもたまにかっこつけるのが楽しくて、それを生き甲斐にずっといきいきしてる人もいるように感じるので、その場合はいつまでもかっこつけ続けて欲しい。無理がないのならば。
荷物持ってくれるとか。ガチで首の骨格的に肩が死ぬほど凝るから切実に持って欲しい。お願いだから。誰か持って、、、
わたしが人といて疲れる理由は、気を遣うからというのとも少し違って、いや気を遣ってることに間違いはないんだけど、なんというか、気を遣って合わせるんじゃなくて、相手といてわたしが楽しいと思っているように見せてあげないと相手の顔を潰してしまって可哀想とか、とにかく相手の顔を潰さないようにしなければいけないという気持ちが強いというのが大きい。
恥ずかしい思いをさせたら可哀想とか、そんな感じ。で、気を遣ってるように見せないよう演じて、それを相手は自然体だと思い込み、居心地がいいねというけれど、わたしは全部作り込んでそれだからしんどい。そちらが居心地が良くても、こちらは頭が痛い。解散した瞬間からこめかみと後頭部がぐわんぐわん痛む。
これは男であっても女であっても、先輩でも会社の人でも、同い年でも年下でも、みんなにそう。
相手が可哀想じゃないようにしなきゃいけないって気持ちが本当に強い。可哀想ってなんだろうと思うけど、とにかくそんな感じ。
でも今日はいっぱい褒めてもらった。
褒めてもらうと嬉しい。絶対わたしのこと好きじゃんね。(まじ傲慢)
内面を褒めてもらうと、ところどころ脳内で別の自分が出てきて、おう!場数踏んできたからな!とか言い出しながら、え〜そうかな、ふふってこれまた自然体のように流す。わたしほんと嫌なやつ。
前の彼と付き合ってた時はわたしの精神状態についてよく理解してくれてたから、一緒にでかけている間じゅうずっと、綺麗かな?太ってない?肌汚くない?大丈夫?普通?って確認してなだめてもらってたけど、今はもうできる相手がいない。
たまに不安でたまらなくて、わたし綺麗ですか?ってそこにいる誰かに確認してしまいたいような気持ちになるけど、そこまでいくといよいよやばいやつなのでするわけもなく。
なので、こうやって褒めてもらった日のことを何回も頭の中で繰り返して、また褒めてもらう日まで生きていく。
でも最近ほんとに、わたしって案外いけてるかもって思えるようになってきた。うれしい。