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負の連鎖と今すでになる意識


人は目の前の現実に対して、意識しすぎることがある。目の前の出来事に右往左往して、振り回されることが当然だと認識している。これは当たり前の話だし、今この瞬間の現実を体験することが生きているということにもつながる。

目の前の現実に意識を向けるというのは、夢中になれていることであり、純粋にその瞬間を楽しめていると言ってもいいだろう。

しかし、ここで重要なのはその現実に対しての反応が、望む未来の現実に対してリンクしているのかどうかだ。


いつも同じようなことでイライラしたり、悲しんだり、辛くなったり、似たようなことを続けてしまうのは目の前の現実に意識を向けすぎるせいで起こるとも言える。

その現実の見方が1つの視点しかないせいで、同じ展開をし続けているのだ。

そのループから抜け出すには新しいフィルターを用意して、物事を見るというやり方がある。


なぜ同じような出来事が繰り返し展開されるのかというと、その現実の反応は過去でできたフィルターを通して見ているからだ。そのフィルターしかないと、

「やっぱりこうなるよね」

「いつも自分はダメなんだ」

「同じような人たちしかいない」

といった、偏った見方しかできなくなってしまう。ここを認識できると、次にどういったことをすべきなのか見えてくる。


そして、物事はただあるだけであり、人それぞれが意味づけをしているに過ぎないのである。しかし、ここに当たり前とか常識とかがひっついてきてしまうから複雑さが増していく。とはいえ、好きなように物事に意味づけをしてよくて、その結果が自分の理想につながっているのであればそれで良いのだ。

人生は自分がどれだけ今の現状に納得しているかが重要であり、納得できる選択をしていくことによりそれは展開されていく。


物事を多角的に見て、自分がどの選択をすれば一番納得できるのか、どのようなフィルターで物事を見るのが良いのか、そのためにはどのような情報を仕入れるのが良いのか。

これらが自然とつながってくるようになる。

そこで、今すでになるという意識が役立ってくる。


将来のためにやっていることが実は何の関連性もなかったりすることがあるし、理想を思い描いているだけでただの重りになっていることもある。

本当に必要な意識なのか、自分にとって納得できるものなのかという基準が理想の自分だったらどうするのかという捉え方をする。

それは過去のフィルターで物事を見ることではなくなり、いつもとは違うルートで歩いていくことになるので、新しいものに出会えることは間違いないのである。

さらに、その選択が理想の自分による選択なので、少しづつ近づいているという実感も湧いてくるのである。


生きているのはこの現実であり、いくら夢見な発言をしたところで、ただ苦しんでしまうだけじゃないかということもある。理想と現実のギャップにより、より一層辛い現実が目の前に現れるということもありえる話だ。

しかし、同じ思考のままでは同じ展開を繰り返すだけであり、苦しみの連鎖からは抜け出すことはない。

今すでになるという意識によって、新しい道が開かれます。






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現実とか理想とかそんなことは置いといて、今を楽しむ意識というのもまた面白い道が開かれるかもしれませんよ。僕は傍観の道へ歩いて生きます。


傍観者の戯論

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