美鈴(misuzu)/傍観者の戯論

傍観者なりたい人間によるお話を書いています。多角的な視点を手に入れられる記事を作成しています。絶妙な距離感を保ちたい人の安全圏を作る。そうすれば安心して楽しく生きていけると思うんだ。

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なぜ生きるのかという不安を解決する方法!『生きる意味』

幸せに生きたい。楽しく生きたい。でも、生きる意味がわからない。 全てが儚いとした上で、生きる希望を見出せない。 全てが虚しい。苦しい現実から解放されたい。 そういった疑問を抱いていて生きる意味を知りたい人に向けて作りました。 私自身も生きづらさを抱えていて、どうにかして不安から抜け出したかったのですが、抜け出し方がわかりませんでした。 色々探してみるものの自分が納得できるものに、なかなかめぐり合うことができませんでした。 今はもう自分が納得できるものを見つけること

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    • 基本は面倒なことと捉えて進める

      何かを始めようとした時に、面倒と思うことが多い。 細かくみると色々な事柄が混ざっていて、簡単に表現できる言葉が面倒ということだと思う。 でもその作業って、やらなければいけないことだと思う。 そもそもやらなくていいことは面倒という感情すらないわけだから。 面倒ということに対しての捉え方をどうにかしなければ先へ進めないところにいる。 どんどん行動している人っていうのは、そんなことすら考えていなくて面倒という感情と対峙していない。 当然のように受け入れているからできると

      • 想像しているものは遠い

        こうなったらいいなと思うものが実際に目の前に現れるとなんか違う。もっと楽しいものだと思っていたし、開放感に溢れているとも思っていた。 何もしないという選択肢はもちろんあるし、何にもとらわれる必要はないけれど、常に自由でいられる状態っていうのはどこにあるのだろうか。 世界は自分で創るっていうのは、好きなように捉えて好きにやっていいよという側面もあれば、自分が創らなければ何もないということも言える。 意味が存在しないから、自分で創るしかない。 自分で好きに定義づけていいん

        • どの選択をしても感じ方次第で変わってくる

          どの選択をしようが心の持ちようでどうにでもなる。 変な言い方をすれば、自分を正当化して開き直ればいいというところ。 今どんな状況であれ、自分にいいように解釈していく道に良いものが訪れる。 どんな物事でも見方を変えればどのようにでも捉えられる。 だから、良いものしか見ないしそう感じるように設定していく。いいことしか起きないと思うようにする。 もっと大きな喜びがあると思って生きてしまっているけど、実際はすぐそこにある。 もちろん想像を超えてくるものっていうのはあるけれ

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        なぜ生きるのかという不安を解決する方法!『生きる意味』

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          ないものに惹かれてしまう

          どんな環境であれ、やりたいことがあったら勝手にやっている。それをしていないということは所詮その程度のものだ。 ないものに焦点を当てて願っていたとしても、いざそれを手にしてもまた別のものに目がいく。 どんどんと壁が出てくる感じはなんなのだろうか。 こんなものだったのかという感情もあるし、自分が欲しいものが何なのかわからない。 求めているものは一体なんだ。 求めている時点でその状況がずっと続く感じがしてきた。何かに追われている感じから避けようにもまた別のものに追われる感

          ないものに惹かれてしまう

          どこまでの影響力を持っているのか

          小さな範囲内だけの話であれば、自分の立ち位置から判断できることはあるかもしれない。 しかし、大きな枠で見ると自分が持つ力がどのように反映されるのかわからない。 最近、どの意識で物事を捉えているのかがとても気になる。 意識する基準っていうのは、結局のところ自分自身で決めたらいい話と言われたらそれで終わるのだけれど、その基準を置いた確信する材料みたいなものが欲しい。 要するに自分自身の選択に対して不安ということも言えるし、他人が貫くエネルギーに対して興味がある。 一人の

          どこまでの影響力を持っているのか

          捧げる想いを同じ量にする意識

          生き方が下手な人っていうのは、望み方が下手である場合がある。 結局のところ、現実を物理的に変化させている人が、自分の望むものを手に入れやすい。 たとえそれが真に自分が望んでいるものでないとしても、現実を変化させる能力は高いと言える。 内面からにじみ出る美しさというのはもちろんあるし、表面だけのハッタリはいつか崩れる。と思う。 とはいえ、自分を魅せれる能力が高いっていうのは生き方が上手い人で、欲しいものに対して素直に行動している。 あれこれ考えて悩んだところで、物理的

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          最初から何もないから堂々としたい

          誰しもが何も持っていない状態で生まれてくる。 いつからか枠を設定してそこに収まろうとしてしまっている。 もちろん物理的な差がそこにはあるかもしれない。 でも、必ずしもそうとは限らないこともある。 自分を最大限魅力的に見せる能力って、いいよね。 どうせ自分はこんなものという枠を設定してしまうと、その通りの現実を望むようになってしまう。 なりたいものを望みつつも、自分はできないよねという下手な望み方。 素直になることも難しいというところ。 この変な思い込みたちを紐

          最初から何もないから堂々としたい

          自分から掴みにいかないと始まらない

          なにもない日々。 「なんかいいことないかな」と呟いてみても、虚しさがやってくる。 淡々と流れている毎日に嫌気がさす。 同じことの繰り返し。 実際のところそんなことはないんだ。研ぎ澄ましていくとあるんだよ。でも、ほとんど同じじゃないか。 同じ作業の繰り返し。 いつまでこれが続くのだろう。 永遠なんてないとわかりつつも、ずっと続くと思っている。 自分が何を求めているのかよくわからない。 確かに淡々とすぎていくお穏やかな日常も良い。 それで結局何なのだろうと考え

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          今に目を向けることで動き出すかも

          幸福について考えていくと、今ある幸せを感じるという話が出てくる。 今に感謝するという話も関連して出てくるのだけれど、そんなことできるか!という反論をしたくなる。 今が不安や恐怖によって支配されているから、そういった幸福論的なものにたどり着くのだと思う。 そんな時に、今に感謝してすぐに幸せになれるんだとか言われても理解しにくいんだよね。 これに関してはどんな捉え方でもいいと思うのだけど、そうすることによって現実に目を向けやすくなるのではないかと最近は思うんだよね。 今

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          行動と感情を一致させると抵抗が少なくなる

          自己一致させるといいという話を聞く。 いわゆるオールを手放して流れるように生きるっていうことにも繋がる話だと思う。 今回はそこについて書いていく。 やりたくないけどやらなければいけないことってたくさんある。 ここの捉え方を変えることによって、物事を進めやすくなるということを伝えたい。 やらなければいけないと思っていることを無くせるなら、それに越したことはない。 ただ、どれだけ抗おうとも結局したほうがいいのであれば、やりたくないと思う感情の方を手放したほうが良い。

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          入り込む感覚を忘れてしまった

          傍観者のポジションが一番心地よいからそこに居座るのだけれど、体験を純粋に楽しむことはできない。 純粋に楽しむっていうのは、その瞬間その体験の中に入っていて一体化している状態と表現したらいいかな。 多角的な捉え方をせずに、我を忘れて夢中になっているとも言える。 傍観者ってある意味、冷めた視点っていう捉え方もできるわけだ。 または観察しすぎて何を選択したらいいかわからないといった状況になる。 よく考えると感情が揺れることを拒否しているという捉え方もできる。 その体験を

          入り込む感覚を忘れてしまった

          自分に戻る意識を持ちながら創りたい

          価値の提供って人ありきなところがあるから、どうしてもそこのニーズに応えなきゃいけないと思いがち。 実際のところそうだし、しょうがないといえばそれで終わってしまうんだけど、そこに疑問を抱いてしまったからしょうがないよね。 しっかりと自分の世界観を創って、それを魅力的に見せて価値を生み出している人は一定数いて、そういう人たちのようになりたいわけだ。 結局僕たちは何と戦っているんだという話になってきてしまうし、自分が何をしたいかという話にもつながってしまうから面倒という曖昧な

          自分に戻る意識を持ちながら創りたい

          目指しているところを思い出す

          理想を思い描いたときって、大抵は現状とかけ離れている。 そこにたどり着こうとした場合、今できることっていうのはとても地味だ。 作業の積み重ねによってそこに行こうとするわけだから、その作業に対して何をやっているんだろうという感情が出てきてしまう。 面倒だと思ったり、途中で飽きちゃうとかそういう話なんだけど。 全部に対してそうなんだよね。 でかく夢を見すぎて、現状に押しつぶされるという表現がいいかな。 もちろん大きな夢っていうのは必要なことであるし、そこに対して望むエ

          目指しているところを思い出す

          方向だけ決めて何も考えない方がいい

          物事に対してどのような捉え方をするかによって、行動の意欲は変わってくる。 目標に向かってやらなければいけないことをどのように捉えているのだろうか。 結局どんな生き方や考え方をしようが、大きな枠組みで見ると作業の連続であって、その積み重ねでたどり着く場所が変わってくる。 なりたい理想も現状とは違う変化の積み重ねがあってたどり着くわけだ。 そこに対してネガティヴ意識で見ると、自分はどうしてこんなことをしているのだろうかとか、何も持っていない現状に対して不安になったりする。

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          見えないものに立ち向かう時の捉え方

          目標達成したい時に、間違い探しという捉え方がある。 現状と理想の違いは何なのかという視点で今現在できることをしていく。現状と理想の間には、何かしらの変化があるからそうなるわけで。 そこに気づけたら修正していくと言った方法。 とはいえ、作業内容は地味になってしまうため、これをして何になるんだろうと考えてしまう。 純粋に楽しいからやっていて、気づいたら自然とできてましたという状態が好ましい。 でも意識的に達成したい場合、悪魔のささやきがとても邪魔になる。 作業に熱中す

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