ちょっと休憩

この一ヶ月程、近江で一番熱心に仏教の事を考えていたのは私だと言って良い。どれだけ複雑な事を考えていたかはともかく、熱心に仏教々々と言っていた事は確かだ。凡夫さ故に、必死になっていたとも言える。ただ、一寸しばらく仏法追求も休もうかと思う。些か理論を詰め込みすぎた。いや、理論に拘る様になってしまっていて、正直やや疲れてしまった。

やはり理論との格闘と云うのは根気が居るもので、逆に言えば根気が無ければ格闘は出来ず、私にとって理論との格闘は根気の精神をもってやる行いである。楽な事ではない。根気を生じさせる何かが無ければ、理論との格闘はただ苦しいだけである。疲れに依ってその根気がやや薄れて来た気がしていて、この状態で格闘をやっては複雑骨折をしてしまうと思った。

中村元先生の『龍樹』を途中まで読んでみたが、中村先生の如き天才は、人生の中の時間のかなりの割合を理論との格闘に使ってきたのだろうと思う。尊敬と云うより、畏怖である。何がそこまで人生を格闘に捧げるのか。中村先生が涅槃に至ったかは知らないが、少なくとも"凡"夫ではないはずである。覚者か凡夫のどちらの方に近いかと言われれば凡夫かもしれないが、それでもただの凡夫ではない。『龍樹』の本からは非凡な能力を以って綴った文章が散見される。もっと言えば、私に何を言っているのかがわからない。

何れにせよ、私のこの夏の予定的に、こうやってゆっくり本の文字を追えるのは今月一杯だ。モンスターハンターライズサンブレイク、ゼノブレイド3、スプラトゥーン3、と云ったゲームが連続して待っているので、仏法追求も程々にしておかなければとは思っていた。丁度良く疲れて来たとも言える。

なので、今日は例のスーパーのイートインで、久し振りに小説を読んでいる。小説を読むのは恐らく四月上旬に読んでいた『終わらざる夏』以来で、随分と久し振りだ。能天気、とまでは言わないが、あまり頭を使う事が無いから、同じ本は本でも何やら随分と調子が違うなと思う。そうか、小説はこんなに疲れを癒やしてくれるものだったか、とやや感動している自分が居る。因みに、読んでいる本は『官僚たちの夏』である。以前政治学の本を読んでいた時に紹介されていた本で、いつか読もうと思って部屋の隅に積んでいたものだ。

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