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【心の居場所構想①】「輝ける場所」

【詩っぽい】居場所と自己肯定感

 居場所がないと感じること
 それは自己否定感に通じている
 自分が認められていない
 受け入れられていない。
 自分が自分でいられない
 単純にそこに居たくないと思うときも同じ
 自分の存在をその場所から否定することで起こる

 そこが自分の居場所だと思うとき
 それは自己肯定感に通じている
 自分は認められている
 受け入れられている
 ありのままの自分でいられる
 単純にそこに居たいと思うときも同じ
 その場所にいる自分を肯定的に感じることで起こる

 ……そんな気がする


自説『心の居場所』

 『心の居場所』はどんな場所?

 その問いに、ある程度納得できる答えを見つけました。

 それは『一人ひとりが輝ける場所』です。

 『華々しい活躍ができる』という意味とは少し違います。もちろん、そんな活躍ができればそれに越したことはありませんけど。

 ここで言う『輝ける場所』とは、
 『自分のことが好きになれる場所』のことです。それが『心の居場所』なのではないかと考えました。

心の居場所

一人ひとりが輝ける場所

自分のことが好きになれる場所

自分を好きになる

自己肯定感


 心の居場所と自己肯定感は密接に関わってくると思います。
 そして自己肯定感は自分の内部で完結させたものより、他の人との関わりで得られたものの方が大きく強固であると感じます。

 noteでの私を例にします。
 私は自己肯定感が薄めの人間です。
 自分が書いた記事が、あまり反響がなかったりすると、苦労して書いた記事でも消したくなります。
 自分では『良い』と思って投稿しても、ウケが悪いと『良い』が『ダメ』に変わってしまいます。
 自己肯定感がなくなってしまいます。

 逆に反響が大きかったりするとすごく嬉しくなります。
 自分に少しだけ自信が持てるようになり、自己肯定感が広がります。

 それと同じだと思うんです。

 他の誰かに認めてもらったり、声をかけてもらったり、心配してもらったり……。
 気にかけてもらうことで自己肯定感が向上し、『自分のことが好きになれる場所』になれるような気がします。
 そんな場所にいるだけで、そんな場所で活動するだけで、自分が輝いているように感じられるのではないか。
 そう思います。
 それは小さいお子さんでも大人でも同じことだと思います。

 その中で、もし今までできなかったことが一つでもできるようになったら……。

 キラキラ輝き始めます!

 小さな輝きで良いと思うんです。

 ちっぽけでも輝ける場所。
 少しでも自分を好きになれる場所。
 自分を肯定でき、自分の存在意義を感じられる場所。
 それが心の居場所なのだと思います。

 これが、私の考える

『一人ひとりが輝ける場所=心の居場所』説

です。

 例えば会社や学校など、『行かなければならない』とされている場所に、どうしても行けなくなってしまった時、多少なりとも罪悪感とそれに伴う自己否定感に苛まれます。
 家にいても、その感情は拭い去ることはできないかもしれません。
 それを少しでも、一時的にでも、拭い去れる場所。
 ほんの少しでも『自己肯定感』を持てるような場所。
 それが『心の居場所』になれる場所なのだと思います。

 学校ではなくとも、やる気になれば勉強ができて、分からないところを教えてくれる。やる気にならなくても、楽しい体験や新しい経験ができたりする温かい雰囲気に包まれた場所。
 そんな場所があれば、『みんなは勉強しているのに、自分は何をしているんだろう』のような、自己否定に繋がりかねない焦りがちょっとでも少ない環境で自分を見つめ直せて、それぞれのペースで歩む一助となるかもしれません。

 会社でなくとも社会貢献や交流できる場所、例えば『居場所』の作業を手伝ったり、コミュニケーションをとったりすることで、人の役に立つことや人のぬくもりを実感できれば、少しなりとも何かの発見や気持ちの転換のお手伝いになるかもしれません。

 もちろん、そういうことを望まないのであれば、その場所の雰囲気を享受し、自分を整えたりするだけでもOK。その時間で色褪せていた輝きを取り戻すことができるかもしれません。

 人にはそれぞれの『間』があります。
 間を大切にするからこそ『人間』です。
 その『間』を尊重し、時に緩く、時にピンと張るような繋がり。適切な距離感を保てる絆。
 自由なのに繋がりを感じられる場所が作れれば、『心の居場所』に近付ける。
 そんな気がしています。








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