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れいわ新選組を追う

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#ポピュリズム

れいわ新選組の岐路 -山本私党からの脱却-

8月12日、「れいわ地下二階B2サンデー』での代表山本太郎氏の発言を受けて昨日14日『れいわ新選組は立ち直れるか?』をポストし、「れいわはまだ立ち直れるし、貧困と差別に苦しむ人びとを代弁できる党として今後も支持する価値は十分にある」と結論を結んだ。しかし、何かが抜けている感じが残ったので、ここで再考し、補足しておきたい。 が、その前にエピソードを一つ。大西氏の発言をめぐる混乱時に私は連続してnoteに関連記事をポストし、ツイッターでもその告知をしたが、そのうちの一本であった

れいわ新選組は立ち直れるか?

以下、=====で挟まれた部分は、上記のタイトルで今月8月10日に書きはじめていたものである。れいわ新選組(以下れいわ)が現在直面している課題を明らかにし、それに正面から取り組まなければ、早晩ジリ貧になるという危機感から、書き始めたのだが、一昨日の12日夜、youtube番組『れいわ地下二階:B2サンデー』という番組で、ほぼ2時間にわたって代表山本太郎氏が事前に寄せられた質問に答えるというかたちで、私が書こうとしていたことの多くに触れていた。そこでその応答を踏まえて書く必要が

ルサンチマンのゆくえ

れいわ新選組の大西氏除籍処分に対して、これまで熱狂的にれいわと代表山本太郎を支持してきた人たちの一部が憤慨し、一転、陰謀論にまみれたれいわと山本批判に走っている。理屈では「誰もが何度でもやり直せる社会」を綱領(サイト上のタイトルは『決意』)に掲げながら、動画での発言だけで除籍するのは許せない、ということらしい。 この理屈が的外れであることは前ポストで触れたが、理屈よりもむしろ憤慨のほうが問題としては大きい。というのは、憤慨は、信じて支援してきたれいわと山本太郎に「裏切られた

「反小池、反自民派内の予備選挙」を含む都知事選ー宇都宮・山本太郎両陣営の立ち位置

先月の25日、宇都宮健児氏が都知事選立候補宣言をおこない、その18日後の今月15日、山本太郎氏が立候補宣言をおこなった。4月頃から山本氏の出馬はうわさされていたもののなかなか態度表明はなく、山本支持者や宇都宮支持者の間では15日立候補宣言の直前まで出る、出ないの憶測が飛び交っていた。宇都宮氏の立候補宣言のあと、私自身も、山本太郎が出るべきかどうか思案していて、自分の意見など何の影響力もないものの、ツイッターなどで軽々しく憶測を流すのは避けていた。それでも木下ちがやに代表される

人ならざる者たち

まだ整理がついていないが、メモとして残しておきたい。6月7日、ツイートしたことをベースに書き足したものである。 ここ数年、ずっと頭にあったのは、法務省下の出入国在留管理庁(昨年まで入国管理局)が管理する入国者収容所(管理センターとも呼ばれる、以下収容所)と、外国人技能実習制度における、外国人に対する筆舌にあまる非人間的な扱いと虐待である。 どちらもある程度は報道もされてきているし、当事者の必死の抵抗と抗議や支援者の活動も展開されてきている。しかし現在でも、どちらも大幅に改

再生

アベ政権下で予測できること、やるべきこと

コロナ感染拡大の勢いが止まりませんが、アベ政権の無策と迷走、同時にこの混乱に乗じて(ショックドクトリン)さまざまな悪法を国会を通過させている現状を考えてみました

ゾンビとは私たちである

この記事は、『ゾンビ革命的』というタイトルで2016年に書いたものです。現代を考えるときのヒントになればと思い、noteに転載します。 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ 1848年の『共産党宣言』にならって、私たちは、「一つの妖怪が世界に現れている。ゾンビという妖怪が。地球上のすべての権力がこの妖怪を打ち倒すために同盟を結びつつある」と宣言したい。 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ ゾンビが人を惹

事実上の戒厳令を可能にする法を自民党に与えていいのか?

というタイトルで、youtubeに動画をupしました。明日13日には国会で採決される予定になっているので、遅すぎるわけですが、ともかく問題点だけを急いでお伝えしたいと思いました。ご覧いただければ幸いです。ご感想などあればコメントを。 それにしてもコロナウイルス感染が始まってから、政局もめまぐるしく変化し、追いかけるのも大変です。しかも一つ一つが結構、大きな問題を含んでいます。考えようとする意思を持続しないと流されてしまいます。 https://youtu.be/qoXHI

解放感覚

このタイトルは取りあえずそう付けてはみたもの出来がよくない。ここで書いておきたいと思うのは、ある「感覚」のことなので、もともと言葉ではカバーしきれず、どんな言葉を持ってきてもうまく収まらないのだが。 その感覚とは、3.11直後の数日間、感じたものだ。あれだけの大地震、巨大津波、それに原発事故が連続した大災害は日本人が戦後65年で始めて体験したことで、それぞれがそれぞれの感受性のもとでこころに大きな衝撃を抱え込んだだろうと思う。 もちろん私もそうであり、地震にも、(現場には

れいわ新選組が抱える難題に対する暫定的な解答

前ポスト『れいわ組織論の難題ー陰謀論、立憲との対立への対処』で、れいわ新選組が現在とっている組織論では、さまざまな陰謀論者の流入と、他の野党、とりわけ立憲民主党との党派対立の激化をコントロールするのは困難だと提起した。しかしこのことを認めた上で、れいわの「中心なきカオス的組織論」は支持者が主体となる新しい試みであり、なお基本的に肯定すべきであり、したがって党と支持者が忍耐強く時間をかけて克服していくしかないと結論づけた。 しかし、我ながらいかにも中途半端な結論であるのは否め

れいわ組織論の難題ー陰謀論、立憲との対立への対処

先月24日、再開した全国行脚先である鳥取の地で開催した「おしゃべり会」で山本太郎は、「れいわとして地方組織は作らないのか?」というメディアの質問に対し、次のように答えている(要約。リンクは下に) いまのところ地方組織をつくるつもりはないんです。これまでと同じような中央からの指令で地方が動くんじゃなく、地方それぞれが工夫とアイデアで独自に動く。これ、敵にすれば誰がどんな動きをするか予測できないわけで、一番嫌がる形じゃないかと思うんですよ この発言は、これまでれいわの組織論と

個人と集合的な力

ポピュリズムがなぜ肯定されるべきかといえば、国家権力の専横を阻止したり、社会を変革できるのは、名もなき人びとの集合的な力によってだけであると考えるからである。国民代表機関だとされる議会だけでは(さらには選挙だけでも)それは不可能である。しかし前ポスト『なぜ左派ポピュリズムか』で触れたように、人びとの集合的な力が右に振れる時、ファシズムを生み出すことも歴史が示している。 ファシズムとは一言でいえば、ある理想社会の実現を掲げながら、最後は人間の大量殺戮を合理化する政治体制だとい

単独の結節点としてのノード

すこし抽象的なポストが続いたので、いったいどんな前提で書いているのかよく分からないというご批判があるかも知れない。そこでもう7年ほど前(2013年)にまとめたものになってしまうが「ノード連合のために」とタイトルを打ったメモがあるので、ここに再録しておきたい。 ----------------------------------------------------------------------------- まず何よりも、言葉が紡ぎだす物語(観念世界)をカッコに入れる

たたかいの意味

人びとのたたかいは、何としてでも守るべきものや、どうしても許してはならないものをめぐって起るものだ。だから人びとが立ち上がり、敵に対峙する時に、たたかいの勝敗はその念頭にはないだろう。 しかし、たたかいが共感を呼び、参加する人びとの輪が広がり、それとともにさらに敵との攻防が激しさを増してくると、どうしてもある局面で、これからのたたかいの展望が問題になってくる。とりわけ犠牲者が出はじめる局面では。 時には敵が譲歩し、その結果、一時的に成果を手にすることがある。一時的な勝利。