私は私の名前がずっと好きになれませんでした。 なぜなら、「華」という字は自分にはもったいなさすぎて名前負けしていると思っていたし、ヤンキー文字のイメージが強くて私にはそぐわない気がしていました。 名前の由来も父の故郷にある山にゆかりのある「華」という字と、母の故郷の都道府県の名前から一文字とっており、女の子なのにごつごつしたイメージの山からと県の名前から字をもらうとかないわーと幼かった自分は考えが及ばず思っていました。 なによりこの名前は誰も呼んでくれなくて使われていな
今家に帰りたくない。 私の唯一の姉弟である弟が病院に行ってこれからについて聞いてくるのが今日なのだ。 病名を聞いて、早めに見つかってよかったやん!大丈夫やろ!と答えた。 本人も、ま、なんとかなるやろ!と言っており普段と全く変わらなく過ごしている。 正直私だったら無理だ。 少し調べてしまったのだが、こわいことばかり出てくる。 人それぞれだし、確率なんてどこに当てはまるのかなんてわからないけれど、もし自分だったら正気で生活なんてできてないと思う。 別に仲良いかと言われ
何が正解かわからないよね。 というか、正解なんてないだろうと思いたい。 例えば若くして母親になってしっかりしている人達、私にはできなかった。 どんどん人生のライフステージを進んで簡単に切り替えるなんて恐怖でしかなかった。 今の自分が確立していないのに誰のパートナーになって家庭を作るなんて考えられない。 誰かの親になるなんて、そんな人として未熟なのに責任をもって小さい命を守る事なんて想像できない。 私はそんなに立派な人間ではない。 今だってそう。 もう大人なのに中身は子供の
ほとほと自分が嫌になる。 自分はできていると思いっきり勘違いしていたことに気づいた時、一体私はこれまでどうして気づかずに生きてこれたのだろうかと恥ずかしくなる。 これまでも、これからもその繰り返しなのかもしれない。 私は自分のことを恥ずかしながら優しい人だと思いやりのある人だと思っていた。 相手に対して柔らかい口調で話すように心がけ怒鳴ったりなんてしない。 嫌味も悪口も言わない。 相手の意思を汲み取り共感して場を和ませる。 お願いするときは謙虚に、申し訳ありませんがお
みんなどうしているのだろう。 自分が思い描いた、なりたい大人になれている人は100人いたら何人いるのだろう。 子供の頃からの夢を叶えるために勉強して、そのための大学に入って自分の思った通りの人生を計画通りに進んでいるのだろうか。 数年後を見据えて今すべきことを逆算して行動しているのだろうか? 途中人生のアクシデントがあったとしても、こんなはずじゃなかったと思っても、そこから歯を食いしばり返り咲いたりするための努力ができる人はどのくらいいるのだろうか。 みんながみんな今
今どはまりしているものがある。 みんな大好き!ちいかわだ。 どはまり具合に自分でも驚いている。 なんせ私は20代ではなく若者でもない、いわば世間でいういい大人だ。 これまでキャラクターにはあまり興味がなかった。 グッズを集めたこともなかったし、たまに買ったとしてもごくわずかでシンプルなものだったりキャラクターというよりもサイズがちょうど良かったからという理由だったりであまりそういうことを楽しんでこなかった。 それに半年前まではちいかわの存在すら知らず、くまとねことうさぎだ
私はスタバやマックなど、ゆっくりできるカフェで書くと降りてきたかのようにスラスラ出てきて楽しく書けるですが、 家で書くとなんと言いますか出にくいと言いますか、家でうーん、うーんなってるのが嘘のようにカフェで書くとスラスラでてくるんですよね。 かといって、趣味で書いているだけなので毎回お出かけすると、そのカフェですら遠出になる田舎住みの私には時間も出費もかさむ、、、 ただ自宅だと気持ちよく書けないこともわかっている、、、 まだまだnote 初心者の私なので、選択肢があまり
職場の同期の娘さんからお手紙もらった。 お熱が出ていると聞いたので、何もできないけれど少しでも気持ちが上向きになればと、ちいかわのいちごラムネをプレゼントしたら喜んでもらえたみたいで 「お手紙書くー!!」 と張り切って書いてくれたようだ。 小さい子のお手紙は純粋さがダイレクトに伝わってくる。 頑張って一生懸命習いたての文字や絵を書いてくれたこと、気持ちを伝えようとしてくれていることが嬉しくてたまらない。 お手紙は書くのも、もらうのもどちらも好きだ。 書くことは、相手に読
今まで生きてきて自分が心の中からしたいことはどれだけできていただろう。 それは本当にしたいことだったのか? したいと思っても「みんな」がしているからしたいと思い込んでいることだったかもしれない。 忙しい毎日にかまけて自分の心の声をおろそかにして、無視して押し込めてしまっていたのではないか、そうするうちに心も声を上げ続けることを無駄に感じて声を上げる気力すら無くならせてしまうくらいに押し込めてしまっていたのではないのか。 大人がよく言う小さい子に対しての「大きくなったら何
音楽は私の人生になくてはならない。 もう何と言っていいのか、音楽がないと何も乗り越えることができなかったと言い切れるし、ここまで心を豊かにしていろんな感情を味合わせてくれたのも音楽だ。 その時に流行っていた音楽を聴けば、その瞬間中学生の少女の心に戻ることができるし、経験を積んだからこそその時とはまた違う味わい方もできるようになり何度でも新しく味わうことができる。 歌詞に注目して主人公になりきることもできるし、ベースの音のみを感じて体に振動を震わすこともできる。 流して聞い