本当に自分がしたいこと?
今まで生きてきて自分が心の中からしたいことはどれだけできていただろう。
それは本当にしたいことだったのか?
したいと思っても「みんな」がしているからしたいと思い込んでいることだったかもしれない。
忙しい毎日にかまけて自分の心の声をおろそかにして、無視して押し込めてしまっていたのではないか、そうするうちに心も声を上げ続けることを無駄に感じて声を上げる気力すら無くならせてしまうくらいに押し込めてしまっていたのではないのか。
大人がよく言う小さい子に対しての「大きくなったら何がしたいですか?」の答えにつまる子だった。
何にも知らないのに何がしたいかなんてわかるわけないし、大人になったら今と気持ちが変わっているだろうしそもそもその大人たちが職業という答えを欲しているのもよくわからなかった。
おいしいものだけ食べて暮らしたい!や、なにもせずにのんびりしたい!という答えは求められていないし許されておらず期待にそぐわないとやり直しをさせられるのだ。
なので、子供の頃は特にできそうなことの中からリスクが少なく難易度が低そうで自分が傷つくリスクが限りなく低いものをやりたいこととして自分に思い込ませようとしていたように思う。
失敗というものを一度してしまうと、そこから這い上がることができないものとしてこの世の終わりのように感じていたし、そこから学べることがある事や何度でもやり直し可能なこと、違う道に行ったとしても間違いではないし、自分が思っている正しい道も実は正しいとは限らないこともある事を知らなかったから。
なので私の大人になる計画は熱意がなく理由もなく周りからこう思われそうだからやめておくといった芯のないものになってしまい、結果なにかの目標に向けて積み重ねることなく学生時代を終わらせてしまったように思う。
目標が短期的なのだ。
心は変わるからそれでもいいこともあるのかもしれないが、同じことをずっと続けたり長期的な考えが苦手な大人になってしまったように思う。
それはそれで寄り道だらけで経験できたことも沢山あったけれど遅れているなとは感じる。競争ではないのだけれど、何かをこつこつできていたら違ったかもしれないなとは大いに思ったりする。
私は割とこんな年だからとは思わないタイプで、そう考えてしまって自分で可能性を消すよりも、いまから始めてみればいいじゃないかと思うタイプなので、ちゃんと自分がこれからどこに向かって何物になりたいのか?と向き合っていきたいと思う。
ここから先は
¥ 100
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?