御朱印帳
母が御朱印を集めていたことを知っている
今の私と同じ年になるまででも、かなり集めていたかもしれない
お寺のサインをもらう御朱印を、私は集めたいと思ったことはない
長田弘のサインを喜んでいる私ではあるのに
母が写経をしているのを見たこともある
鎮めたい怒りがあったのだろう
悲しみかも知れないが
写経したものは
どこかの寺に納めたと聞いた
母が何から解放されようとしていたのか私にはわからない
解放されていないだろうことはわかってしまうが。
他人の苦しみなんて目には見えない
自分自身が何に苦しんでいるかだって
長いことわからなかったのだから
欠点はわかっても欠落はわからないのが家族なんじゃないか
欠落を見ないふりをするのが家族なんじゃないか
愛があったとしてもそうでなくても
(149)
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?