あわいの力「心の時代」の次を生きる
21世紀は「心の時代」と言われていますが、その「心」は昔からあったわけではないようです。
それはどういう事か?その答えとなるのが“あわいの力「心の時代」の次を生きる” 今回の推薦書です。
中国でいまの漢字の祖先に当たる文字が生まれたのは紀元前1300年頃のことで、その時で5000種類くらいの文字がありました。しかしその中に「心」に相当する文字はなかったそうです。ひょっとしたら「心」という文字を持たなかった時代、人間は「心」というものも持っていなかったのかもしれない。
“あるとき人類は、「心」という名の「自己意識」を獲得し、主体的な意思や自我を獲得した。それを表現したのが「心」という文字だったのではないか?”と話は始まります。
迷える人々を救うために儒教では孔子が、仏教では釈迦が、キリスト教ではイエスが、その身を賭けて説いたのが「心」との付き合い方ですが、現代人のぼくらにとっても「心」の扱い方をマスターしたとは言えないと思います。本書で注目しているのが、「文字」と「心」が生まれた順番で、「文字」という道具を獲得し、それを使っているうちに人間の脳がさらに発達し、その結果「心」が生まれたのではないかと仮説が展開されていきます。
「文字」を使う以前の人間は、体の感覚に従って生きていたと、著者で能楽師(ワキ方)の安田登氏は語っています。
能の世界には、シテとワキという主要な登場人物がして、シテは主人公の事を指し、ワキはワキ役ではなく、「横(の部分)」を指していて、古語で「分く」、その連用形がワキとなり、体の横で前と後ろを「分ける」と同時に、前と後ろをつなぐ「媒介」にもなっているのが「ワキ」とあります。この「媒介」という意味をあらわす古語が「あわい・あわひ(間)」でつまり、ワキとは「あっちの世界」と人間を結ぶ「あわい」の存在で、「あっちの世界」は、自然でもいいし霊でもいいし神でもいい。人間と人間以外の世界をつなぐ役割をワキ方は担っているそうです。
デザイン教育者の向井周太郎氏曰く、「間(あいだ)を伴うことによって、人は神や自然とひとつになることができる」とあり、「あひだ」や「あはひ」というのは、「あふ(合う、会う)」と同根の言葉で、自己と環境、自己と他者、時間と空間などなど、ふたつのものが出会う界隈が「あひだ」であり「あはひ」であるとまとめられています。
“ぼくらが身体感覚というとき、自分の内部で起こっているように感じてしまいますが、それを感じている自分という内部があるかぎり、身体は外の存在となり、いいかえれば、身体という「媒介」「あわい」を通して、人は外の世界とつながっている。つまり、身体というのは自分にとってのワキであって、すべての人が「あわい」を生きているということができます。”と本書は教えてくれます。
個人的にいまたいせつだなぁと思っているのは“居間”というあわいです。
漢字の“人間”も“世間”も“間”が入っているところがミソな気がします。
どんどんどんどん間を詰めていってしまうと息ができないし、調子も崩しちゃう。
“間がわるい”を英語では訳せないそうですが、この“間”を意識することは大切な「何か」をみつけるヒントになるような気がします。
※本原稿は〆切に間に合っておりません。
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