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ベートーヴェン作品とその歴史|『バカロレアの哲学』裏メニュー|ウィーンまかない編
今回の哲学問題
「芸術作品はその時代の人々に対してのみ訴えかけるのだろうか?」
『バカロレアの哲学』の裏メニュー「ウィーンまかない編」。本連載では、著者・坂本尚志さんのウィーンでの生活と、実際に出題されたバカロレアの哲学問題を引き合わせて記録していきます。
今回は、音楽の都・ウィーンで聴くオーケストラ音楽とその歴史について。
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ウィーンといえばやはりクラシック音楽は欠かせません。日本でも毎年放映されるウィーンフィルのニューイヤーコンサートは有名ですが、連日連夜、ウィーンのどこかでさまざまなコンサートが開かれています。
私は学生時代に吹奏楽団やオーケストラでバストロンボーンを吹いていたこともあり、ウィーンでさまざまなオーケストラの演奏を聴くことを楽しみにしていました。日本ではホールの往復にも時間がかかりましたが、今の住まいはコンサートホールにも近く、物理的にも心理的にもアクセスのハードルが下がったように感じています。
私が好きなのは19世紀末以降から21世紀の現代の音楽です。こちらでオーストリアの現代作曲家の作品にも多く触れることができていますが、今回はウィーンならではのコンサートについてお話ししたいと思います。
ウィーン交響楽団のオールベートーヴェンプログラム
1900年創立のウィーン交響楽団は、名指揮者カラヤンもかつて音楽監督の任にあった、ウィーンの名門オーケストラです。現在は、コロンビア人のアンドレアス・オロスコ=エストラーダが首席指揮者を務めています。意欲的なプログラム編成を行うと同時に、子どもやクラシックにあまりなじみのない聴衆も対象にした活動も続けています。
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2022年1月9日のコンサートは3曲すべてがベートーヴェンの作品でした。
カンタータ「栄光の瞬間」作品136
「ウェリントンの勝利またはビトリアの戦い」作品91
「交響曲第7番」作品92
漫画『のだめカンタービレ』でも使われた「交響曲第7番」以外の2曲は、あまり演奏機会のない曲です。
「栄光の瞬間」は4人の独唱と合唱、オーケストラという大規模な編成です。6楽章から成り、演奏時間は40分です。もし遅刻してきたお客さんがいたら、曲が終わるまでロビーで待つことになりますが、なかなか終わらずやきもきしたのではないでしょうか。
「ウェリントンの勝利またはビトリアの戦い」も、大編成のオーケストラに加え、客席にもトランペットや太鼓、そして本来なら火縄銃や大砲(!)が必要とされる曲です(今回は大太鼓で代用していました)。この曲は客席に配置されたトランペットと太鼓の演奏で始まります。開始直前に指揮者オロスコ=エストラーダが客席の方を向き、「皆さんの後ろで大きい音が鳴るけどびっくりしないでね」と一言注意して、観客からは和やかな笑いが漏れていました。
イギリスとフランスの戦争の情景を描くこの作品は、ベートーヴェンが当時の聴衆受けを狙ったもので、実際大好評だったようです。21世紀のわれわれにとっても面白いものでした。
休憩をはさんで演奏された交響曲第7番は、疾走感と躍動感にあふれる名演で、新型コロナウイルス感染症の規制のせいもあり満員とはいえない客席からも、大きな拍手が聞こえてきました。
「重い」プログラムの謎に迫る
というわけで楽しいコンサートだったのですが、カンタータと交響曲という「重い」2曲が入るプログラムが異例ではないかと思い、帰宅してから調べてみました。実はこのプログラム、1814年11月29日にウィーンでベートーヴェン自身が企画した演奏会と同じものだったのです!
1814年といえば、ナポレオン戦争後のヨーロッパの秩序再建を目指して行われたウィーン会議が始まった年です。9月1日始まったこの会議は、「会議は踊る、されど進まず」と揶揄されたように、社交の場でもありました。
デヴィッド・キングの『ウィーン、1814年』によると、王宮で開催されたこのコンサートには、ロシア皇帝やプロイセン王をはじめとしたヨーロッパの首脳が来場したようです。
当時の曲順は「ウェリントンの勝利」が最初で「栄光の瞬間」が2曲目でした。そこは少し異なります(おそらく合唱団の入れ替えの関係でしょう)。しかし、両者に共通しているのは、ナポレオン戦争に勝利したヨーロッパ諸国の高揚感を、音楽を通じて表現するというベートーヴェンの芸術的かつ政治的な意図でした。
そう考えると、交響曲第7番も勝利の凱歌として聴かれるべきであったのかもしれません。ベートーヴェンは、革命に熱狂した時代の後に、新秩序の構築への期待を抱いていたのでしょうか(もっとも、コンサート後に収入が少なかったと愚痴をこぼしていたようです)。
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200年以上前のコンサートと同じプログラムをウィーンで聴くという経験を通じて、時間を超えて訴えかける芸術の力が感じたように思います。当時の人々の熱狂を、確かにベートーヴェンは表現していたのでしょう。芸術と歴史の関係にも思いを至らせる、そうした機会でした。
しかし、このコンサートからわずか6週間後には新たな戦争がヨーロッパで始まりました。そのゆくえはまだはっきりとしませんが、平和が再び訪れるのはいつのことでしょうか。
芸術作品はその時代の人々に対してのみ訴えかけるのだろうか?
ベートーヴェンの作品は、同時代の人々の精神をとらえて離さないものでした。評判のよくない作品もあったとはいえ、偉大な芸術家として認められていたことは疑いありません。
しかし、芸術作品は時間を超えて人々に訴えかけるものでもあります。極端な場合、同時代の人々にはまったく受け入れられなかった芸術作品が、後世にその価値を認められることもあります(ゴッホの作品はその例でしょう)。
芸術作品は目的をそれ自体の内にもち、快の感情をもたらすものとして定義できます。芸術作品の目的とは、有用性や道具としての価値ではありません。芸術作品とは、そうした外的な価値とは独立して、それ自体が一つの完結した世界を作り出す存在です。
芸術作品を鑑賞することによって、快の感情以外の感情をかき立てられることもあるでしょう。それは単に美的な創造物であるだけでなく、世界や人間の異なるあり方や多様な姿を明らかにもします。芸術家が同時代の人々に向けて作品を作るのであれば、芸術作品はその時代の人々に訴えかけるものであるはずです。
しかし、作品とその作者を同一視することはできません。芸術作品は作者の情報が失われても存在可能ですし、作者の意図とは異なる仕方で受容もされます。つまり芸術作品は、制作された時代や場所を超えて鑑賞される可能性を持っています。
ところで、問題文には「のみ」という限定表現があることも重要です。それを踏まえると、考えるべき選択肢は「芸術作品はその時代の人々に対してのみ訴えかける」と「芸術作品はその時代以外の人々に対しても訴えかける」という二つになります。
芸術作品は、特定の時代や場所でのみ芸術としての価値を持つのでしょうか。それとも、時代や場所を超えて普遍的な価値を持つのでしょうか。
ある作品が芸術作品として受け入れられるためには、どのような基準があるのでしょうか。その基準は時代によって変化するのでしょうか。芸術作品の価値を決めるのは、作者の意図でしょうか、それとも、受容する人々の感性でしょうか。あるいは、政治、社会、経済といった、それ以外の要素が価値を決めるのでしょうか。
そもそも、芸術は普遍的でありえるのか、あるいは普遍的でなければならないのでしょうか。
この問題は、芸術とは何かという問いを、作者や時代と切り離しつつ考える必要性を示唆していると言えるでしょう。
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