国家の破壊者、その名は民主主義
この手の話の何が胡散臭いかと言えば、まず「民主主義こそ天壌無窮の唯一絶対の政治体制なり~」という前提です。
記事の解説なんて完全に南蛮(欧米)の思想に偏りまくっています。
デモクラシーの元になったデモクラティア(民主制=衆愚政)は、アリストテレスに言わせれば「今まで人類が試みてきた政治制度の中で最も劣ったもの(ティモクラティア=有資産制)の、そのさらにまた逸脱形態」です。
アテネ王を輩出した大貴族出身のプラトンは当然のこと、スタゲイラという超ド田舎出身の平民に近いアリストテレスもデモクラティアを頭から全否定しています。
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そもそもアテネを含めて、ギリシャのポリス(都市国家)とは「戦士共同体」として形成されたものであり、それゆえ戦士になれない女や奴隷、そしてもちろん外国人は政治の場から爪弾きされて当然でした。
ですので「軍と密接な結びつき」どころか、軍はポリスそのものであるというのが古代ギリシャを貫く一般論です。
ただ、そういった社会でペルシャ戦争以後、ふと戦いが止んだ時が出てきて、その時に自然や社会(の一部)を省みるだけの精神的余裕が生まれたことが古代ギリシャ哲学の誕生の土壌となり、それと同時に、戦争がなくなったことで社会の秩序が弛緩し、王や貴族ではなく、金持ちが政治を牛耳るティモクラティア(有資産制)になり、そこで生じた商業主義的悪徳がデモクラティア(民主制=衆愚政)へと逸脱していった、というのが「アテネの黄金期」と呼ばれる「アテネの仇花」の正体です。
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つまり、軍事への接近によってデマゴーグに煽動された民衆が「民主主義」を捨てたことでアテネは衰退したのではありません。
実際はその真逆で、社会の秩序が緩んだことで生じた「民主主義」がデマゴーグを生み出し、その煽動で軍事をないがしろにしたことによってアテネは戦争に負け続けて他国に征服されてしまったというのが、歴史の事実としても論理としても正しいものになります。
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実際のところ、アテネを下したスパルタも、アテネを征服したマケドニアも、徹頭徹尾一貫した「軍事政権国家」であり、アテネは自らが招いたデモクラティア(「民主主義」)という最悪の政治形態によって軍事をないがしろにしたことで自滅した、ということです。
古代ギリシャの歴史を直視すれば、「民主主義」とは国家の自殺に他ならず、「民主主義」は軍事と国家、軍事と市民の切り離しを招き、それによって非「民主主義」である軍事国家の前に屈服してしまうということです。
近代「民主主義」が世界を征服したことで、それが優れた政治形態であるかのように錯覚してしまったのは、アテネには存在しなかった資本主義という経済の在り方によって、軍事を含めた国力や技術力が爆上がりしたことによります。
つまり、資本主義による国力・軍事力の増強を最大化するために、資本家の言い分を最も通しやすい形態として、かつてのティモクラティア(有資産制)がデモクラシー、議会制民主主義という形を取って再び現れたに過ぎないということです。
ですので「資本主義による国力・軍事力の増強の最大化」という大前提が存在しないのであれば、民主主義はその存在するための基盤が欠片も存在しないということになります。
なぜなら、資本主義を推し進めることで国力・軍事力を増強させる、その資本主義の推進のためにこそ民主主義があったのであって、その逆ではないからです。
言ってしまえば、古代ギリシャも近代から現在に至るまでも、「民主主義という名の衆愚政治から決別して」「軍事といかに接近するか」が国家の命運を決するものであるということです。
これをポジティブな意味で証明するのが中共率いる支那であり、ネガティブな意味で反面教師として証明するのが現代日本であることに異論はないでしょう。
事実を直視することができるのであれば。