【書評】SWITCHCRAFT(スイッチクラフト) 切り替える力【基礎教養部】
自己啓発系の洋書である。この手の本はそれほど読んだわけではない。この本も読み込むことはない。各章のまとめをチラ見しただけである。読み込まずに何が語れるのかと言われても、自己啓発本に書かれている内容に大差はない。変化を受け入れろとか、変化を恐れるなとか、変化への耐性をつけろとか、原始的な感情をコントロールしろとか、そのための手順とか、そんな内容であろう。間違っても役に立たない整数論を勉強しろとか、古文漢文を暗唱しろとか、古代ギリシア語を学べとか、論理哲学論考を読破しろとか、そんなことは書いていない。テンソルと一般相対論を習得しろとも書かれていない。スト6でマスターを目指せとも書かれていない。スプラトゥーンでXマッチに挑戦しろとも書かれていない。書かれている内容は、結局「それ系」の、いつものやつである。自分の中では、自己啓発系の本は、ホリエモンの本を読めば十分という気がしている。洋書と違ってホリエモンの本の方がシンプルである。ホリエモンの本は全て「変化を恐れるな」「やりたいことは今やれ」「情報を大量に取り込め」「嫌なものは切り捨てろ」「楽しいことだけやれ」等の思想で埋め尽くされている。余分な具体論も文章の肉付けもあまりない。よって非常に読みやすい。しかしなぜ洋書はこんなに長いのか。身銭を切れといい、サピエンス全史といい、この本といい、ボリューム過剰である。半分でいい。
さて、この手の本は読み込まないと言っておきながら、唯一と言っていいほど隅から隅まで読み込んで、実際に役に立てた本がある。それは「シリコンバレー式 自分を変える最強の食事」だ。
この本は実際痩せた、体調も良くなったという意味で、真に役に立った本である。当然ながら何においても万人に当てはまる方法は存在しないが、私にとっては役に立った本だ。
なぜシリコンバレー式最強の食事は役に立ったのか。それは具体的な方法論だからである。この本には精神論が存在しない。○○を食った方がいい、△△は食わない方がいいなど、ただひたすらに、この著者が経験し、研究した具体論を述べているだけである。「切り替える力」とか、「レジリエンス」とか、「変化を恐れるな」とか、フワッとした話ではない。このように具体的な記述というのは、ハマる人にはハマるという特徴がある。当然ハマらない人にはハマらない。
受験勉強における勉強法も似たようなものだ。具体的であればあるほどハマる人とハマらない人に分かれる。ハマらなかった場合は痛い目を見るだろう。その自己判断ができる時点で既に勝っているようなものだが、こういうメタ認知はどのように育まれるものなのだろうか。正直、生まれつきとしか思えないが、それを言っちゃあおしめえよ、である。
以前書評に出した「身銭を切れ」も悪くはなかった。
悪くはないが、著者が金融トレーダーみたいな人間で、言ってることとやってることが噛み合わない印象が残る。しかし、リスクを取れ、という話は今でも思考のどこかに入り込んでいるので、役には立っている、とまでは言わなくても、判断基準に入り込んでいる本だと言える。
Gacktの自己啓発本も書評として出したことがある。
どう考えても真似できない行動のオンパレードで、役に立つという意味では全く役に立たなかった。成功する人間の突き詰め方のようなものは見えてきたので、自己啓発というよりも他人の人生をどんなもんか覗いてみる本としては意味があったと言える。おまけに長くなくて読みやすい。
しかし改めて考えると、自己啓発本とは何なのだろうか。啓発とは何なのか。無知の人間に知識を授ける、というのが一般的な意味だろうが、授かった知識で何かが変わるのだろうか。変えたいと思う自分が変わるのだろうか。自分の中で決定的に何かが変わる時、そばにあるものは一冊の本なのか。そういうことはありうる。ただ、ありうると言っても、それは自己啓発本などではない。おまけに知識でもない。言語化しづらいが、そういう本がもたらすものは、「体験」である。
自己啓発本はどうにもこの体験がない。では知識を得る、本を読む、「啓発」される、こういう行動は一体何のためにあるのか。ある意味何も変わらない行動である。じゃあ無駄なのか。そうでもない。いや、そうなのかもしれない。一つだけわかるのは、人生にとって何が無駄で何が無駄ではないのか、それは誰にも分からないということである。後から振り返って色々と言うことはできるが、その分析が正しい保証もない。自己啓発本が有益なのか無益なのか。それも分からない。ただ私にとって、自己啓発本は読んでいてい楽しいものではない。それだけは確かである。