おもいこみがおもい
栗ごはんを作るためには
前日から栗をぬるま湯につけておいて
栗の鬼皮と渋皮を剥かなくてはならないのだけれど
その皮剥きをする度に
手の使い方が悪いのかその後10日くらい
ものすごい肩こりからくる体調不良
に悩まされる。
とはいえ
主婦たるものそうも言っていられないので
ついついあれもこれも
と家の中のことをしつづけてしまい結局
調子が悪いままなんとなく不機嫌で
でもその不機嫌を発散する場所も表明する場所もなく
家庭で母親が不機嫌でいると家が上手く回らないなあ
とつねづねそう思っているので
不機嫌であることに自己嫌悪を覚え、
というより
そんな時は休んでしまえば良いのではないか?
と気が付けるようになったのがここ3年
さらには
そんなに後が辛いなら栗ごはんは止めたらどうか?
と気が付いたのがここ2年
最近よく思うのだけれど
どんなことでも
思い込んでいることを手放すと
上手くいく、というか
目の前がパッとひらけたようになることが多い。
というか
その思い込みのモトってなんだっけ?
と考えるとそれが
会ったことも話したこともない人の言っていたことが大モト
だったりして
そんなどこの誰かも分からない人の言うことを
そこまで長年真に受けて、しかもそれを手放さずにいて・・・
と思うと、アホやなあ・・・
と笑ってしまうばかりですが
作ればおいしいから作りたい
季節のものだから作らないと
私が作れば家族が喜ぶのだから
(これはまあ今でもそうなのだけれど)
ということで
去年も今年も栗ごはんを作りたいつくりたい
と思っていたので
毎年栗やららっきょうやら柿やら
お餅やら梅干し里芋キウイなどなど
あれこれお世話になっている
自然栽培農家の X さんからとりあえず栗だけは買って
しまったもののそれは青森旅行の直前でした。
自然のものなので
ざらんざらん
熟れてますよ
と栗が言うのをこちらの都合には合わせられないので
そのタイミングだったのですが
栗は買ったらすぐに調理すること!
と昔何かで聞いたか読んだかした覚えがあって
それを馬鹿正直に真に受けたままでいたので
とりあえず青森へ行く直前に
1/3ばかりの栗を蒸して食べて、それから旅に出たのですが
帰ってきてまた1/3を蒸してみると
冷蔵庫の中で熟成したものか
甘さが増していて、最初に食べた時よりも格段においしくなっていた。
その数日後に、最後の1/3を蒸してみた時は
2度目と変わらないか若干落ちるくらいだったので
どこまでも熟成出来る
というものでもなさそうだけれど
かぼちゃだって丸のままであれば冷蔵庫で
(少なくとも)1ヶ月は熟成出来るのだから
同じ糖質、そんなに急ぐことはなかったのね、
これもまた
思い込みを手放してみたら上手くいった例だと思う。
何でも自分でやってみないとホントのところは分からない。
蒸し栗は
蒸気があがったら栗を入れて
蒸気が上がり続ける最小限の火力にして
じわじわと40分、
そんなふうにしてから頂くと甘くておいしいーです。
お匙でほじくるのがちょっと面倒ではありますが
今年もまたコレを食べることが出来たなあ、
と思いながら家族全員で食べるしあわせ。
あー
しあわせ。