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書評「教えないスキル: ビジャレアルに学ぶ7つの人材育成術」(佐伯 夕利子)に代えて

以前こんなnoteを書いたことがある。

このnoteを書いた理由は、永里優季さんのFacebookでの投稿を読んだのがきっかけだった。永里さんの投稿は全然違う内容だった気がするけど、その投稿を読んだ僕は、頭ごなしに指示されるのが嫌いだったせいで、先輩とも上司とも距離をおき、自分で考えて失敗しながら歩んできた僕が、自分の頭だけで考えるのが難しくなってきたことに対して、アドバイスしてくれる「コーチが欲しい」という思いを書いた。でも、今は少し考えが変わった。

僕は「指導者」という言葉が大嫌いで、できるだけ使わないようにしている。なぜなら、自分が「指導」されるのが嫌いだからだ。僕はスポーツが好きだけど、「指導者」という言葉を使うスポーツ関連のSNSアカウントのフォローを外したら、ほとんどフォローする人がいなくなってしまったなんてこともあった。

為末大さんの言葉だった気がするけど、たとえ失敗したとしても、自分の頭で考えて、実行することが楽しいのに、なんでお前の言う通りにやらなきゃいけないのだと常に思っている人なので、「右を向け」と言われたら左を向いてきた。

人の言うことを聞かない、という選択には責任が伴う。なぜなら失敗したら誰も助けてもらえないからだ。僕は人の言うことを聞かない、という選択をし続けた10代後半から20代にかけて、やらなくてよい失敗をたくさん経験しながら、ひとつひとつ学んでいった。

最近40代になった僕が考えているのは、「10代から20代の頃のような自分と一緒に仕事するようになったらどう接するだろうか」ということだ。「右向け」と言ったら左を向くような男と、どう仕事をするか。

現時点での僕の答えは「他の人がやりたがらない仕事をやらせる」と「上手くいかない仕事をやらせる」の2つだ。会社のルールや人の道から外れてなければ、失敗も含めて受け入れる。だって、相手は言うことを聞かないのだから、自分の頭だけじゃ解決できない問題を与えて、アドバイスを求めにこさせるようにするしかない。そう考えると、新人だった僕に、誰もやらない仕事を割り当てた当時の上司は正しかったというわけだ。悔しいけど。

「周りの意見を聞く」「多様性を尊重する」とリーダーは言うのに、リーダー以外の意見が全く出てこないチームと仕事をしたことがある。

リーダー以外のメンバーは、失敗を恐れているのか、自分の意見を否定されることが多いからなのか、意見を言おうと言ってもなかなか出てこない。そんなチームで僕が求められているのは、リーダーの意見を敢えて否定したり、自分の意見を否定されたりといった、他の人がやらないことを実行して安心感を与え、意見が出やすい環境を作ることだったりする。演技だと言い聞かせていても、心地よいものではないけど、そんな事をやっていると少しずつ意見が出てくる。

40代になっても、僕がやっていることと言えば、人より多く、早く、小さく、失敗することかもしれない。失敗することで、他の人が失敗しやすい環境を作る。失敗が多くなると評価されないこともあるのは辛いけど、評価されると面倒なことが多くなるし、もっと失敗できなくなる。

「奇跡のリンゴ」という本がある。絶対に不可能といわれてきたリンゴの無農薬栽培を成し遂げた木村秋則さんの取組みを追いかけた本には、長年無農薬でリンゴを作る方法を模索している間は実現しなかったが、無農薬でリンゴが生まれるような土壌を作ることによって実現したことが書かれている。

育てる、という言葉を目にすると、必ず思い出すのが「永田農法」という農法だ。作物の原産地の環境を再現することで、おいしくて、栄養価の高い究極の野菜、果物をつくる農法だ。トマトを育てるときは、原産地のメキシコと同じように、極力水や肥料を与えず、乾燥した土壌で育てる。水や肥料を与えないことで、植物が持っている力を引き出す。

人の教育、人の指導というテーマで多くの本が出ているけど、僕は農家の人の取組に大きなヒントが隠されていると思っている。折に触れて、奇跡のリンゴの話や永田農法のことを思い出す。本当に必要なのは、方法論ではなく、土壌を耕すことではないか。その土壌で人は育つのか、と。

全てではないが、誰かが誰かに「こうしろ」「ああしろ」と指示したり指導したりする根底には、「自分の言葉で相手を動かしたい」「自分の言葉で相手を変えたい」という考えがあるような気がしてならない。そんな言葉からは、「人を変えたことで何らかの結果を出してリスペクトされたい」「すごいと言われたい」みたいな心が見え隠れする。そんなにみんなチヤホヤされたいのか?と思うほどに。そんな心がハラスメントの要因になるのに。

僕がマグネットを使って戦術を指示する人に違和感を持つのは、マグネットで示した人は、大きさが均一のモノではなく、身長も体重も違う人だ。人をマグネットに例えて均一に扱い、ミスなく行動することによって成立する事象を伝えることが好きになれない。人はひとりひとり違うものなのだから。だから、「〇〇が9割」とか「○○すべき」みたいな答えを与えるような本も嫌いだ。テンプレート化するなよ、フォーマット化するなよ。理論の試し打ちの犠牲になった人が何人いるか。

明らかに答えがあるときは指示や指導が効果を発揮するが、今の世の中は答えがないことばかりなのだから、人が人に答えを伝える場面なんてほとんどない。たとえ親子の関係であっても。僕が子供に伝えていることなんて間違いだらけだ。自分の言うこと、やることなんて、間違いだらけだ。子供は僕の間違いから学んで欲しい、としか思ってない。反面教師にしてくれたら本望である。

2020年2月にビジャレアルに行って僕が学んだことは何か、1年が経過した今もよく分かっていない。1回行ってトレーニングを観ただけで分かるものでもないし、本を読んだだけで分かるものでもない。

ただ「こうじゃないかな」と自分で考えて、いろいろトライすることが、ビジャレアルに行って学んだことが何かを自分なりに活かす唯一の方法ではないかと思っている。失敗して地を這うことになっても、誰からも支持されなくても、立ち上がって笑顔で前を向いて歩く。これまでと同じように。

本の書評をストレートに書こうとすると、冒頭に紹介したnoteと同じ内容になってしまうと思ったので、思いつくままに書いてみたら、こんな内容になってしまいました。

佐伯さんには本が売れない書評を書いてしまったと謝っておきます。


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西原雄一
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