わかば食堂
母方のおばあちゃんは食堂を営んでいた。
昔はおじいちゃんと一緒に。
家もそこまで離れていなくて、車で20分ちょっと。10歳くらいになるまでは、毎週土曜日に兄弟揃っておばあちゃんの家に泊まりに行ってた。まあ、兄弟3人とも年齢が離れているから、最後の方は自分1人だけだったけど。
おばあちゃんの作るご飯は美味しかった。特に好きだったのはオムライス。妙なこだわりが強かった自分はいつもケチャップを卵の表面全体に塗りたくってから食べていた。
でも大人の一食分の量が出てくるから、小さい頃は完食するのも一苦労だった。ご飯の前にお菓子を食べてたりすると、「お菓子食べるけん食べきれんのよ〜」って揶揄われるのが嫌いだった。そして、「食べきったらアイス買っちゃるけんな」と言われるもんだから、お腹が張り裂けそうになりながらも頑張って食べた。
お店を閉めて片付けも済ませると、おばあちゃんが漕ぐ自転車の後ろに乗って、スーパーに行っていた。かなり古いママチャリで、錆の匂いと、少しのカビの匂いがしていた。自分が座る荷台は金属製だから、小さな段差の度にお尻に衝撃が伝わった。二人乗りは自分で漕ぐよりも怖くて、落ちるのが嫌だからサドルを強く握っていた。でも、夏の終わり頃の少し肌寒い夜風に当たるのは結構気持ちがよかった。
夜のスーパー。夜の田舎のスーパー。多分20時半くらい。もうその時間には全然人がいなかった。思わず身震いするような冷房に当てられて、お腹が少し痛くなっていた。おばあちゃんの後ろを進みながら、視線の先にはアイスのコーナーが待っていた。
よりどりみどり。普段お母さんには言いづらいわがままを言って、パフェみたいに盛り沢山なアイスをおねだりした。チョコモナカジャンボも好きだった。おばあちゃん持参のエコバッグに入れて、行きと同じく、特等席に乗って帰った。
閉店後の食堂のシャッターの鍵を開けて、自転車もお店にしまう。たまにニチャニチャと靴が床に引っ付いたりもした。
薄暗いお店はどこか怖くて、ぼんやり見える中から灯りのスイッチを探す。少し青っぽい蛍光灯が、賑わっていたお店の余韻を感じさせた。
お店の上がおばあちゃんの家だった。少し急勾配な階段を四つ這いで登って、おばあちゃんが布団を出してくれるのを待ちながらアイスを食べた。
お日様の香りがする布団に潜り込んで見る「エンタの神様」が好きだった。
歯を磨けと怒られて、しぶしぶ歯を磨く。ついでにトイレにも行って、また布団の中からテレビを見る。だんだんと瞼が開かなくなって、いつも気づいたら朝になっていた。
今となっては全てが懐かしい。
小学校高学年にもなると、滅多に泊まりに行く事はなくなった。
中学校の時は、通っていた中学校がおばあちゃんの家の近くだったこともあって、しょっちゅうおばあちゃんの作るご飯を食べた。その時も変わらずオムライスが好きだった。そして同じくらい親子丼も好きだった。
電車の便が少なくて、15分後の便を逃すと3時間待たなきゃいけなくなる時、口の中を火傷しながら親子丼を掻き込んできたのを思い出す。
中学生のころ、段々と味が不安定になっている気がした。昔は最高に美味しかったコロッケも、とんと薄味になることがあった。そんな時はケチャップをつけたりソースをつけたりして、自分でカスタマイズした。
高校のとき、お店が閉店した。本当にもう開くことがなくなった。
おばあちゃんが認知症になっていたこと。駅前開発で立ち退かなきゃいけなくなったことが原因だ。
今は、小汚い商店街も、規則正しいテナントショップに変わっている。僕は、商品の品揃えが変わらないお土産物屋さんや、行った事はないけどいつも香ばしい匂いがしていたたこ焼き屋さん、おじいちゃんは怖いけど猫を撫でることができた古本屋さんなんかが立ち並ぶ、あの商店街が好きだった。そう、好きだったのだ。
中学3年くらいから、多分思春期に入っていた。自分のことも、他人のこともよくわからなくて、とにかくいつも不安だった。
あんなにビッタリ引っ付いていたおばあちゃんが、段々と記憶力と記憶を失っていく様に耐えられなかった。見慣れた土産物屋さんも、味を知らないたこ焼き屋さんも、本屋さんも、自分から関わろうとはしなかった。
あの頃は、そこにあることが当たり前だった。だから、特段近づく必要もないと思っていた。
今、あの人たち、あのお店、あの猫ちゃん、あの匂いに出会う事はもう叶わない。こうやって思い出すことしかできない。
自分も、そんなに記憶力がある方じゃないが、これほどまでに鮮明に思い出せる。きっと僕は、あの瞬間がたまらなく好きだったのだ。
齢が一桁のころ、おばあちゃんの後ろで夜風に当たっていた自分は、この前の海の日に22歳になった。もう多分、おばあちゃんの記憶の中に自分はいない。
でもようやく変なプライド、そんな大層なものではないか。変な意地のようなものは無くなった。かなり時間がかかった。
今日、自転車に乗っていて、段差でお尻に衝撃が走ったことから、こんな昔の思い出が頭をめぐった。
折角だから文章に起こしてみた。
なかなかに長くなったし、だからどうするでもないけれども、最後まで読んでくれた方がいらっしゃったのなら、心より感謝申し上げます。
余談です。
書い終えてからヘッダーの画像を探すべく「宇和島駅 わかば食堂」で検索してみました。
食べログのレビューがヒットしたので、恐る恐る開いてみることに。なぜ恐る恐るかというと、だって悪く書かれてたらかなりショックじゃないですか。
でもそんな心配は杞憂に終わり、「チャンポンが美味しかった」だとか、「閉店しちゃって残念だ」だとか、「あののほほんとした空気が良かった」だとか、そんなレビューばかり。
自分で文章書いてる時は泣かなかったのに、そんなレビューを見ると思わず涙が溢れ出てきてしまいました。
常連で来ていたお客さん達も、広島から夫婦喧嘩で飛び出してきた末期癌のおじいちゃんも、きっと食べログのレビューなんて書かないけど、同じようなことを思ってくれていたんだろうなぁ。。。
あの、のほほんとした空気感も、懐かしさも美味しさも、おじいちゃんとおばあちゃんとで作り上げた、偉大なものだったんだ。なんかあれだな。じっくりと振り返ることができてよかったな。
以上、長めの余談でした。