辛い時は「ただそこにいるだけ」で価値がある
みなさん、こんばんは。【話を聞く人】をしているおかぴと申します。
記事を開いていただきありがとうございます。
noteでは私が考えていることを毎日発信しています。
今日は「ただそこにいることの価値」について綴っていきます。
そこにいるだけの価値
過去につらい経験や、相談してもうまく聞いてもらえなかった経験がある人なら何となくわかる価値ではないかと思います。
いるだけでいい。そういうタイミングもあるんですよね。
別に気の利いた言葉なんてなくていいし、アドバイスが欲しいわけでもないし、共感してくれなくてもいい。一人じゃないんだなって感覚があればそれでいいんだ、という時もあります。
しかし、相談を受けたりする「そこにいる側の人」にとっては、何もしないでそこにいるのが難しいと感じることもあります。
なぜなら、多くの人は優しさから何かをしてあげたくなってしまうから。特に目の前に”困っているように見える人”がいたら、「何か私にできないだろうか」「何とか気持ちを楽にしてあげたい」と思ってしまいます。
もちろん、何かできないかと思うのは悪いことではありませんし、話を聞いて気持ちが楽になることもあります。大切な気持ちです。でも何もしなくていいタイミングもあることと、何もできなくても価値があることも知っていてほしいなと思います。
とりあえず横にいるだけでいい
”ただそこにいる”というのは、私が実際に心がけていることでもあります。
私は自分なりに相手に寄り添うイメージを持っています。
それは
「雨の中、ぼーっとずぶ濡れになっている人がいたら何も言わずに一緒にずぶ濡れになる。相手が帰りたくなったら一緒に寒い寒いと言いながら帰る。」
というもの。
なんじゃそりゃと思う人もいるでしょう。私の感覚の話なので理解できなくて当然です。
ちなみに一緒にずぶ濡れになるのには、傘をさしてあげたくないという理由があります。雨に濡れたくないなら、雨の中を走ったり雨宿りしたりするもの。それらをしていないのなら、何らかの理由があるはずです。
私は”何らか”を言及せずに「とりあえず横にいる」のが大切だと考えています。共感も大してしません。なぜなら楽しい時ならまだしも、悲しい時や辛い時の気持ちは本人にしかわかりようがないからです。(厳密にいえば感情はその人にしかわかりません)
共感はできないし、十分に理解もしきれない。それでもなお、あなたをわかろうとしたいし、味方でいたい。そんな思いが伝わるといいなと思っています。
もし周りに悩んでいる人がいて、自分に何もやれそうなことがないとネガティブに考えてしまうことがあれば、「ただそこにいるだけで価値がある」と思い出してみてください。
それではこのあたりで失礼します。また明日も前向きに生きてみます。