世界は自分で創りだしていく
#自己否定してしまう子どもたちをなくすために
こんにちは!
井川ともみです🌈
昨日吹いた強風、春一番だったのかな〜
夜中に雨がザーッと降り
今朝は
綺麗な青空でした✨✨
あったかくなったり
北風吹いたりしながら
だんだん、と
春が進んでいくのですよね〜
さて、前回書いた記事、次女の個展の話から
私たちはこの造られた
最初から存在する世界にいるのだけれど
でも
自分だけの世界を
自分でクリエイトしているんだな、と
ひしひしと感じます。
前回12/20の
「ウチの子学校に行きたくない、と言い出しました」
初めて葉山でやった
学校に行かない、行けない子どもたちを抱える親の意見交換会から
次回は3/2に開催します。
それで1回目と2回目の間が空くので
その間
葉山
逗子
横須賀
鎌倉で
それぞれ小さなお茶会🫖
8人以内くらいのみなさんと
集まって
私がみなさんの話を聴く会を開催していました。
学校に行っていないから
別の場所に行かなきゃ行けないわけでもなく
フリースクールへ行くことがゴールなのでもなく
学校へ戻ること、行けることが
いいこと
なのでもない、という
ことを
もっと子どもたち自身が思えたらいいのになぁ、と
切に思うのです。
なぜ、学校に行けない、行きたくない
だけで
「不登校」というレッテルを貼られ
自分はダメなんだ
自分には何もない
自分はもう生きていても仕方がない
と思ってしまうのでしょう
そんなこと、これっぽっちもないのに
自分の世界は自分で創っていけるのに
学校へ行けない、ということが
どれだけ子どもたちの心を傷つけ
自己を否定してしまうことに繋がるのか
本当に胸が苦しいです。
特に
思春期の中学生は
多感で、ホルモンバランスも崩れやすく
身体も心も壊しやすい
と
皆さんのお話を聴いていて
思います。
この日本の社会の中で
学校
という特別な場所
同い年の男女だけで構成される教室
常に隣の人と比べられ続けて
基準により
「あなたは5ですよ」
「あなたは1ですよ」
と
評価され続けられる世界
なんで、好きなことだけやっていたら
ダメなんでしょう
どうして得意なことだけやっていたら
いけないんでしょう
スーパー自由な10歳の次女と一緒にいると
苦手なことを頑張らないといけないこと
苦手なことを頑張って克服すること
ほど
無駄なことはないな、
と
感じてしまいます。
4年前
次女が一年生で学校にうまく行けなくて
何度となく
担任の先生と校長先生と
面談させて
いただいていたとき
と言われました。
確かにそういう側面はあるかと思います。
ただ、学校に行っている間も
社会の一員であるわけで
学校を卒業して初めて社会人になるわけでもなく
今の次女は
自分の絵を欲しい人に売って
対価をいただいているわけで
それは社会人ではないのかい?と
思ったりするわけです。
私は子育ての目的は
「自律」(最近こちらの漢字がしっくりきます)
だと
思っていて
それは自分で収入を得て
自活して
1人で生きていく
という意味ではなく
自分は自分で在るんだ
自分は自分で生きていくんだ
自分は自分の世界を自分で創っていくんだ
と
生きていくことだと思うのです。
みんなが自己を確立し
「個」
であること
隣の人とも違う、親とも違う
兄弟とも違う
「自分」
であること
それがすべての始まりであり
「個」であるからこそ
誰かと繋がれるわけであり
誰かと助け合っていけるのです。
人にはそれぞれ役割があって
その人にしかできないことがあって
得意なことがあって
それをみんなが持ち寄っていく
横に繋がりながら
みんなの輪が無数に重なり合っていく
球体になっていく
柔らかくて温かい世界は
自分が自分であるところ
から
始まると考えています。
そのままでいいんだ、ということ
何者かになる必要もないし
何か秀でていることを見つけなきゃいけないわけではない
ただ、あなたはあなたでいいんだよ
というところ
を
親も学校も
一番に子どもたちに教えるべきではないでしょうか
だって、本当にそのままで
いいんですから
✨
そうみんなが思えた時
もっともっと世界は美しく優しく見えて
私は私にできることをやろう
私にできることで誰かが笑顔になるかもしれない
と思えるんじゃないかなぁ〜
と
そう思う人が増えること自体が
世界の平和なんじゃないかなぁ〜
って
昨日はそんな風に感じました。
小さなことを大切にしていくこと
自分であり続けること
その積み重ねの先に
優しい世界が待っているのかもしれません。