見出し画像

作文が苦手な子は本当は素晴らしい文章が書ける子が多い


12月ぐらいになりますと毎年6年生の卒業文集を手伝う事がとても多くなります。中学3年生はこの時期は推薦入試などの作文を手伝う事が増えます。それらに加え国語の課題などで文章を書くお手伝いをする事も沢山あるのですが、長年沢山の子と一緒にやって来て感じているのですが、


文章を書くのが苦手な子って本当はそんなに居ないのじゃないか?



っと思っています。よく語彙力が少ないからとかも言われていますが、これも疑問に感じていまして、



みんなしっかり話せているしこちらの言葉もよく理解出来ている子ばかりなんです



何か文章を書くお手伝いをする時は心理学が専門なのもあり


必ずその子から引き出した言葉で文章を構成する



ようにしているんです。みんなそれぞれ良い考えを持っていていつもええ言葉が引き出せます。その子から引き出した言葉で一緒に文章を構成して最後には必ず


「この中に私が考えた出来事や感じた事は1つも含まれていないからね。これはあなたが考えた感じた言葉で出来た文章だよ。」



っと伝えます。狙いとしましては私の力ではなくあなたの力でこの文章が完成したんだよと知ってもらうためです。それが自信になり自分の中に眠っている言葉を紡ぎ出せるきっかけにもなります。教室では子どもたちが沢山居て中々そこまで出来ませんので個別だから出来る事ではあります。そういう風に取り組んでいる訳ですが、


今までうまくいかなかった事はほぼないんです



みんな書くのが苦手で持って来るのですが、先生方や保護者の方もその認識です。でも私は毎回うまくいくのでそう感じないんです。これは私の能力がとかではなく子どもたちが良いものを沢山持っているからです。それを引き出すお手伝いをさせてもらっているだけですので、私が特別何かしたとかではないです。この認識のズレの理由をずっと考えて来たのですが、私が改めて気付いた事は


感じる気持ちはみんな一緒



っと私は考えているからなのかなと思ったのです。嫌なものや好きなもの、こういう方が嫌こういう方が好き、そういう気持ちを持っていない人は居ないという事です。文章を書くのが得意な子も苦手な子も感じる気持ちは一緒なんです。私はそこにアプローチをかけて進めていますのでいつも良い文章に仕上げる事が出来ます。仮に5段階ぐらいあるとして一番深い所が感じる部分の5段階目だとします。すると、


その部分ではみんな大差がないんです



あるとすればそこから上に上がって来る1〜4段階目までの場所であってこの段階は、


アウトプットする場面



でもある訳なんです。じゃあ5段階目は何になるのかと言いますと、ここが


インプット部分



になる訳なんです。このインプット部分がみんな大差がない感じる気持ちという事になります。語彙力がないって言うのはあくまで表に出ている現象だと思っているんです。


気持ちを表す言葉が見つからないだけでその奥には気持ちが必ずある



という訳なんです。ドリンクバーで飲みたいものを決められない人なんて居ないじゃないですか。そこで何を飲みたいか選ぶにはただそれだけの行動に見えて裏には選んだ理由がそれぞれ隠れている訳なんです。そこには表に出ていないだけで語彙力が高い気持ちの表現が沢山ある可能性があります。例えば、「家族で初めて外食した時に飲んだ甘くて美味しかったコーラ」を再び選んだとしたらこれだけでこの子だけの素晴らしい一文が出来ます。うまく表現出来ないから語彙力がないというのはイコールにならないと感じているんです。奥の深い感じる所では語彙力満載で表現している可能性があるという事です。そうこう考えていて思うのが、


じゃあ語彙力が低い人と言われる人は1人で考え事をしている時も頭の中で語彙が少ないのか?



っと考えた訳なんです。これも必ずしもそうとは限らないのではないかと感じています。むしろ、文章を書くのが苦手な子に対して語彙力が少ないと決めつける方が


もしかしたら語彙力が足りない表現なのかもしれません



その表現こそが色々な可能性を狭めてしまっている気がします。ある種ステレオタイプな部分があってうまく話せない、文章にすると言葉の種類が少ない事は語彙力が関係していると思い込んでいる部分があるのかなと感じています。よくある判断基準であるこの二つが語彙力がないという根拠にはならないという事です。じゃあなんなんだよって話しになると思いますが、それこそ可能性は色々とありまして、


感じた事と言葉が繋がっていない合致していない可能性



色々な言葉を使って表現する必要性を感じていない可能性



など色々な事が考えられて来る訳なんです。ここまでの話しをざっくりまとめますと、


使う言葉が少ないからと言って感じていないわかっていないとは限らない



という事です。だって言葉数が少ない人が話す言葉が少ないから考えていない、わかっていないとは限らないじゃないですか。文章も一緒です。書いていないから感じていないわかっていないとは限らないという事です。


長々と書きましたが、語彙が少ない人が語彙を増やしていく過程というのはまっさらな状態で知らない言葉を獲得していく過程なのか?そこにもズレを感じているんです。どちらかというと、


あーこれの事やったんか


という獲得の仕方をしているのではないかと思っているんです。そう考えると色々な見え方が変わって来ます。


今まで何千人の子どもたちの文章を書くお手伝いをして来ましたが、文章を書くのが苦手や語彙力がないという事に対して辻褄が合わない事が沢山見えて来ているんです。接続詞とかがうまく使えない子でもイコールで話し言葉がカタコトな子は居ないです。むしろ今話しているそれをそのまま書けばええんやでのパターンはめちゃくちゃ多いです。文章を書くスキルに特化するのではなく、


文章は感じる気持ちが元になっている



という原点に戻る事が大切かと感じています。色々な事を感じられるように成長していく事が文章をうまく書く成長へと繋がるのかもしれません。


長々とすいませんでした!頑張って時間をかけて言語化しましたが、数日に分けて書いたもので若干ズレがあるかもしれません。すいません。あと語彙を増やす事はもちろん良い事です。そこは間違いないです!


お読み頂きありがとうございました。

いいなと思ったら応援しよう!