私の不幸を娘の幸せが通り過ぎた時
最近仕事が忙しくて毎日疲れ果てていました。毎日の日課の娘の宿題やご飯を作るなどやる事やってから何日かすぐに寝てたんです。もう眠くて眠くて。そして、3日ぶりに娘とご飯を食べた後も一緒の時間を過ごす事が出来たのですが、娘がめちゃくちゃしゃべるんですよ。ノンストップであーでもないこーでもないとしゃべっとるんです。あまりにもノンストップだったので私は笑いながら
「ようしゃべるな〜」
っと言いました。すると娘が真面目な顔で
「だって話したい事いっぱいあるから。」
っと言ったんです。その後私は娘の話しをノンストップでずっと聞いていました。
私は家庭環境があれだったもので小3になる頃には親と話す事なんてほとんど無くなっていました。そこからずっと親と話す事なく来たものでそういうものだと思っていた所もあります。だからそう言ってもらえて嬉しかったです。子どもには違う未来もあるんやなと当たり前の事ですが実感しました。
親に話したい事、聞いてもらいたい事がある
って感覚がようわからんのですよ。もちろん客観的にはわかっていますし仕事で接する子どもたちのそう思う気持ちも理解出来ます。そこに着目した心理学も沢山ありますので、知識としても沢山学んで来ております。仕事の方では何も支障はありません。でも、自分の事となるとなんせ経験がないもので想像でしかない部分がある訳なんです。こればっかはしゃーないですよね。母親が毎日男の所に行っていて家に居ない訳でしてなんかそもそも親に話しをするという発想や経験がないんです。居ない訳ですからね。もしかしたら初めの頃は私にもそのような気持ちがあったのかもしれませんがね。ただ、そうやって知らないわからない私に対して娘が話したい事が沢山あるって3日ぐらい夜少し寝てしまっただけで言ってくれる訳ですから嬉しかったです。家族を知らないもので見よう見まねでやって来た部分も多い訳ですが、それでもうまくいってたんだなと思った訳です。自分のような思いはさせたくないと思っていたので私なりに一緒の時間を長く取るようにしていたり、保育園も学童も早く迎えに行けるよう努力して来ました。それが返って来た気がしまして嬉しかったんです。もう小学校3年生ですからね。その年齢でも言ってくれるというのは私には大きかったです。
この一年は何となくソワソワしていた一年でもあったんですよ。私が母親と夜逃げして人生転がり落ちた年齢と娘の年齢が同じ年齢になったのです。この唐揚げ弁当事件が3年の2学期の話しですからね。
なんかこう私のような人間は常に不幸の記憶が後ろから追いかけて来ているものでして、
自分が不幸やった年齢を自分の子どもが幸せに追い抜く
というのは謎のプレッシャーみたいなのがある訳なんです。娘が少し離れただけで話したい事が沢山あると言ってくれた事はその謎のプレッシャーから解放された瞬間でもあったんです。自分の穴だらけやった人生を一つずつ娘が埋めていってくれている感覚があります。そうなるとは予想も考えもしていなかったものでして驚きもありつつ感謝もあります。誰も見返りを求めて子育てしてないですからね。
少し話しが変わりますが年始は毎年妻の親戚の家に行って一緒にご飯を食べるんです。こういう経験も生まれて初めてだったのですが、妻の親戚の方が昔から良くして下さっていてもう10年以上行っていますので最近は慣れて来た感じがあります。今年は娘と親戚の方々がトランプをやっていたんですよ。高齢の方々や妻の妹や色々な方が混じってやっていたんです。それがめちゃくちゃ盛り上がっていまして見ているだけの人もめっちゃ笑っているんです。その光景を見て私は、
大人でもトランプでこんなに笑えるんやな
と思ったんです。それが衝撃的でなんかこうええなと思ったんです。そこに参加出来ている自分も有り難いなと思いました。ただやはり心から私は笑えなくて嘘の笑いの表情をずっと作っています。真似事ですね。幸せな家族や人間関係で育った人はこうやってうまく笑えるんやなと思いました。娘にもこの人達のように大人になってもトランプで心から笑える人間になって欲しいなと思いました。すいませんちょっとエヴァンゲリオンみたいなこと言ってしまいまして。
またまた話しが逸れてしまうのですが、その時におせちの話しをしていたんです。おせちなんてものも当然よく知らないで育ったのですが煮物の話しになったんですよ。そこでおせちの時に使われる里芋みたいなのは実は里芋ではなく八つ頭という里芋の上位版だという事を知ったんですね。私は知らないことだらけだなーっとその時に思ったのですが、妻も娘もあの里芋が好きだという話しをしていたんですよ。
後日仕事が終わってたまに覗いている野菜自販機にその八つ頭があったんですよ。これかーっと思って買って早速煮物を作ってみたんです。見た目がなんか
里芋が合体してみたけどちょっと失敗して出来たでっかい芋
みたいな感じだったんですよ。何というかデカめの里芋の周りを小さい里芋がポンデリングみたいにくっついているんです。真ん中にでっかい塊があってその周りに里芋がボコボコとくっついてる感じです。これがめちゃくちゃ皮が剥きにくくて。ピューラーはこの変な形のせいで入りませんし手が痒くなりながら何とか包丁で皮を剥いていって何とか仕上げたんです。調理方法はネットで見ながら美味しく仕上げる事が出来たのですが、おせちの八つ頭めっちゃ大変やなーとか思ったんです。ネットで見た時は皮めっちゃつるーんっと綺麗に剥けていまして自分の料理の技術の未熟さを痛感した訳だったんです。世の中知らん事がいっぱいやわーっと思いながら感心していたんですよ。
それから数日後、いつもよく行く八百屋さんに行きますと八つ頭が売っていたんです。おおー八つ頭やーもう大変やから当分ええわと思って見てみますと、
でっかい綺麗な丸の里芋だったんです
私が買って調理したのと同じとは思えないぐらいに綺麗な丸で余裕でピューラーで皮を剥ける形だったんですよ。
全然違うやん!この間のあれは何やったんや!
っと思った訳なんです。ミャクミャク様みたいなビジュアルしてたのに。めちゃくちゃ小さな話しなのですが、中々深い話しやなーと1人で思った訳なんですよ。私が知らないからこれが八つ頭だと思っていたものはかなりイレギュラーな八つ頭だった訳なんです。だって初めて八つ頭を知って野菜の自動販売機で買う訳ですよ。そりゃ信じるじゃないですか!それがまさかの全然王道とは違った八つ頭だった訳です。人生っておもろいな〜っと思った訳なんです。
私は世の中では当たり前のような事でも知らない事だらけですが、死ぬまで知らない事にはどんどん挑戦していきたいと思っています。知らないからすぐに飛び込む真似してみるフットワークの軽さを常に心がけております。長々とグダグダとすいません。いつもありがとうございます!なお、この記事は私が八つ頭って言ってみたかったから書いた疑惑があります。言ってみたいですやん八つ頭!