【短編】『コンピュータが見る悪夢』(前編「殺人」③)
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コンピュータが見る悪夢
(前編「殺人」③)
カーソルを右端の五年三ヶ月のメモリから十分ほど前の位置に合わせた。
01:05:22:00 「――クタクタだ」
01:05:30:41 「ビールでも飲もうか。いや、今日はもう疲れたから寝よう」
タイムコードの数字が秒単位で進むと同時に、目の前の何もない空間からくぐもった声が聞こえてくる。
01:05:45:22 「はあ、明日も仕事か。いつになったら休みが取れるんだ――」
01:05:57:08 「機械が仕事をするようになったのになぜ人間の仕事量は減らないんだ」
まだ犯人は家に侵入してはいない。四分三十秒ほど先にカーソルを移動する。
01:10:15:48 「おい、勝手に入るな」
01:10:15:48 「う、なにすんだ。やめろ。あ、」
どうやらカルロス・サンチェスという男は殺されたようだ。それを示すようにタイムコードは左端の、〇年〇ヶ月00:00:00:00に戻っている。再び右端にカーソルを合わせる。
01:05:22:00 「――クタクタだ」
01:05:30:41 「ビールでも飲もうか。いや、今日はもう疲れたから寝よう」
先ほど聞いたインナーボイスが再生された。男は仕事漬けの日々に疲れ切った様子で再び心の中で自分に語り始めた。
01:05:45:22 「はあ、明日も仕事か。いつになったら休みが取れるんだ――」
01:05:57:08 「機械が仕事をするようになったのになぜ人間の仕事量は減らないんだ」
01:06:10:28 「まあ、働けてるだけマシなのかもしれない。ホームレスになるのはごめんだ」
01:06:22:15 「だがこの安アパートに住んでるんじゃあ、ホームレスとさほど変わらないか」
01:06:22:15 「いつになったら昇給してもらえるんだろうか」
どこか自分の心の声を聞いているような気分だった。男の言う通り、機械が仕事をするようになったことで、不思議と人間の仕事が増えることがあった。特に警察やFBIにおいては、犯罪予測の技術が進化したことで逮捕や捜査の仕事量は増大した。かといって組織は新たに人員を採用しようとはしないのだ。警察やFBIだけでなく、どの企業も設備投資にコストをかけて資金が枯渇しているのだ。
三分先にカーソルを移動させた。
01:09:25:12 「ん、なんだ?」
01:09:33:24 「こんな時間に荷物の配達? おかしい――」
01:09:45:03 「本当に配達員だ」
01:09:58:11 「そんなもの頼んだ覚えはないぞ?」
01:10:05:28 「どこかで見たことのある顔だ。そうだ。この前も配達に来た」
01:10:15:48 「おい、勝手に入るな」
01:10:15:48 「う、なにすんだ。やめろ。あ、」
カルロス・サンチェスは再び殺された。犯人はどこかの配送業者の配達員のようだった。人間を使って配達をする企業は限られていた。機械に頼む方が一段と値段は安く、ほとんどの企業は競争に負けないよう次々と配送ロボットへと切り替えていったのだ。実際に人が配達をするよりもミスは少なく、荷物が破損することもなかったため自ずと顧客満足度は向上した。一方で、生身の人間に荷物を届けてほしいという声もあった。ある企業はその声に応えて、人間による配達を続けた。我が社は売上や効率性よりも人情やコミュニケーションを重んじる。企業はそう謳った。――それも売上を目的にした差別化戦略でしかないのだが。
現場に駆けつけた警察官のレポート資料によると、凶器はハンマーが使われたらしい。ハンマーは犯人が用意したものだろう。配達員の格好に見せかけたわけでなく、実際に配達員であることがカルロス・サンチェスのインナーボイスからわかった。やることは決まった。まずは男の携帯端末から一週間以内の荷物の受け取り履歴を確認する。その後、配送業者に担当配達員の身元を問い合わせる。身元が分かり次第、犯人の捜索を始めるという段取りだ。
きっと最近になってプラズモグラフィアの通信が切れた人物と合致するだろう。犯人は殺意を抱いてから初めて通信妨害用の特殊装備を身につけるはずだ。殺す相手すらいないのにわざわざ自分の身を隠す必要はない。通信が途切れた者の中から探る手立てもあったが、大抵の人はプラズモグラフィア導入時から職業の変更手続きを行なっていないのだ。犯人が配達員として職業登録をしているとは限らなかった。国民は半ば強制的に特殊な遺伝子を持つ寄生虫を摂取させられたため、目的が犯罪防止とは言え、国に対する不信感は拭えなかった。
早速、回収したカルロス・サンチェスの遺品を検査にかけるため受話器をとった。技術が進化した今でも旧式の内戦を使っていた。極力コストを抑えようとする組織の考えが手に取るようにわかった。
「もしもし。おれだ」
「サム?」
女性の凛々しい声が受話器の中から響いた。
「ああ、テンダーロインの殺人の件で申請を出したい」
「なんの申請?」
「遺品を検査にかけたい。所持していた携帯端末にある荷物の受け取り履歴の情報が必要なんだ」
「わかったわ。今日中に許可をもらっとくわね」
「助かる」
「そういえば、あなた宛の手紙が一通届いてたわ」
「そうか。たぶん妻からだろう。帰りに寄っていくからデスクに置いておいてくれ」
「わかったわ」
「ありがとう」
ここ一週間、捜査に追われて家に帰れず、妻からきた連絡もろくに返していなかった。きっとそれで手紙をよこしてきたのだろう。前にも一度同じようなことがあった。自分が夫から無視されているのではないかと思い詰めて、FBI安全公共分析課のサム・スコット宛に謝罪の手紙を送ってきたのだ。本文にはダラダラと自分が今どれだけ惨めな状況にいるのか。これからの二人の関係はどうなってしまうのか。それでも夫を愛している。自分のこれまでの態度が良くなかった。もう一度やり直したい。重たい自分を許してほしい。悪いのは全て自分なの。申し訳なく思ってるの。そういった内容が美しい筆跡で綴られていた。
妻は病気だった。数年前から鬱症状を患っていた。こっそりホモシミュレーターで妻の精神状態を覗いた時に、グレー反応が出ていたのを覚えている。断続的な反応のため、自殺の未来予測はされなかったものの、心の声は聞くに耐えなかった。勝手にありもしない事実を作り出して他人や自分を責め始めるのだ。統合失調症の傾向があったものの、診断結果は単なる日々のストレスによる鬱症状とされた。そんな妻を一週間も独り家に放置することは決して良い策とは言えなかった。もし銀行員を続けられていれば毎日家に帰ることはできたが、今やその職業は存在しない。家庭を守るためには目の前に残された仕事にしがみつくしか方法はなかった。しかし偶然手にしたFBIの職は、ただ給料をもらうための働き口でなく、なりたい自分でいられる天職になりつつもあった。人手が足りていない今、自分の捜査能力は求められ、それに応えることで新たな自分の可能性を感じていた。
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