【短編】『主殺し』
主殺し
気づくと私は海岸沿いの岩の上に打ち上げられていた。日はまだ昇っており木々がなびく風の音とともに鳥の囀りが朦朧とする意識をつついた。ぼやけていた景色が徐々に鮮明になり自分の置かれた状況を整理しようとしたがそこまでの経緯が何も思い出せなかった。何やらあたりが煙臭くなってきたかと思うと、近くで誰かが火を焚いているようだった。鳥の囀りも今ではなんの鳥の鳴き声か当てられるくらいにははっきりと聴き取ることができようやく五感が戻りつつあった。私は裸も同然だったため、ひとまず衣服を調達しようと煙の出元を辿った。
どうやら人が何人かで集まって食卓を囲んでいるようだった。焚き火の上には土器のようなものを乗せており、中から魚や木の実をさやのようなもので取り出しては別の容器に入れていた。食事の仕方から考えて原始時代風の生活をしているに違いなかった。衣服を調達しにきたはいいものの、そのようなものはなさそうだった。突然、何か過去の記憶が私の脳裏を巡った。私は袴を着て広い敷地内で警戒心を抱きながら歩き回っている情景だった。その直後ひどい頭痛が襲い床に転げ落ちてしまった。その微動に気づいたのか、火を囲んでいる者たちの一人がこちらに視線を移すと同時に、警戒するように弓をこちらに向けた。私は依然として床に這いつくばっては、体をくねらせてもがいていた。別の者が構えた矢が私のもがく姿に驚いた反動で手元から外れ私の右肩に真っ直ぐに命中した。私は、これまで以上にもがき暴れ、原始人たちにさらなる警戒心をもたらした。その中の一人が弓矢を放り出して走り去ると他の者たちもその者の後を追って姿を消した。
私は腕から矢を引き抜いて焚き火へと近づいていった。傷口に火を直接当てるとあまりの暑さに叫んだ。傷口を塞ぐためにはこれしか方法がなかった。何しろ衣服は遠くへ逃げてしまったのだから。私は再び腕を陽に近づけた。今度はその場に落ちていたさやのようなものを口に挟んだ。火が肩にあてている最中目一杯にそのさやを噛み締めた。無事に傷口は塞がったようだった。火はもって小一時間というところだろう。このままでは夜を越すことができないと思い、衣服の調達が急務だった。探しに行く前に土器に入った食糧を勢い良く胃の中に詰め込んだ。味付けが何もされていないばかりか、木の実の食感も悪く、不味いという域を超えてもはや食糧ではなかった。すぐにその場に中身を吐き出し、土器を遠くへ投げ飛ばした。
近くに奴らの村がないかと探したが全くその気配はなかった。ふと木々の間を裸足で歩いていると、原始人が落としたであろう入念に削られた石を木の先端に取り付けた簡易的な武器が大木の隅に放置されていた。その時、私は過去の記憶がわずかに蘇った。私は包丁のような鋭い武器を持って何人もの罪深い人々を切り倒している情景だった。私はもともと武士であり、その頃は己の刀を所持していたのだ。咄嗟にその原始人の武器を手に取りいつかそれを使う時を待った。
小さな村が一里ほど歩いた先に見つかった。そこには女子供もともに暮らしており先ほど焚き火を囲んでいた男たちもそれぞれの家族と和気藹々と話している様子だった。村の周りには農場に回す用の水路みたいものが張り巡らされていた。先ほどの原始人の驚きぶりからして、この者たちにとって敵という存在は動物を除いて初めてのようだった。私は水路を超えて村の中へと侵入した。
原始人たちはいかにも原始人らしい衣服を身に纏っていた。その中の数名が私の裸の姿に気づいて叫んだ。そこへ先ほどの男たちが集まってくると、再び弓を構えた。私の鈍った体はすでにほぐれ、武器の扱いも以前の俊敏さを取り戻しつつあった。それは一瞬の出来事だった。一人の男の弓が飛ぶ瞬間を見抜いた私は、咄嗟に体が動き床に身を伏せていた。矢が土壌に刺さると同時に武器は男たちの首元に迫っていた。次の瞬間、ザッザッという音と共に男たちの首が飛んだ。そして遠くから来る大きな男の姿を確認すると、武器はその者の胸目掛けて飛んでいき、男が弓を放つ前に突き刺さった。
周りの女子供は喚くばかりで私にかかってくる者はいなかった。その者たちの言葉を理解することはできなかったが、なんとなく彼らが言わんとすることはわかった。私はどうやらこの村の偉い人物を殺したようだった。目の前には先ほどはねた首がいくつも床に転がっており私の方を向いていた。その時過去の記憶が再び私の脳裏を駆け巡った。しかし今回ばかりはもがき狂うことはなかった。私は全ての記憶を思い出した。私は以前、侍として大名のもとで護衛をしていたのだ。しかし自分の家族がひどい仕打ちを受け殺された報復として他の護衛の目の前で大名の首をはねたのだった。こうして今自分が置かれた状況のすべてを理解した。私は島流しの刑に処されたのだった。
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