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【短編】『尾行族』(後編)

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尾行族(後編)


 あの夜、社長と隣で話をしていた男は誰だったのだろうか。なぜ社長をわざわざ人気のない千葉の断崖まで連れ出したのだろうか。社長は会社のすぐ側の公園で何を思い悩んでいたのか。僕には全くもって犯人の見当がつかなかった。愛人でなかったのだからやはりカネか。もしや闇金から借金でもしていたのだろうか。僕は社長と繋がりのある者を片っ端から調べることにした。もし闇金に縁のある者がいればその人物が殺したに違いないと思った。

「あの、今お時間よろしいですか?」

「はい」

と女性秘書の阿久津さんは返事をして、何事かと僕の顔を眺めた。僕は指を差して彼女を会議室へと呼んだ。阿久津さんは社長が突然いなくなってしまったせいか、どこか気落ちしているようにうかがえた。連日悲しみに明け暮れたようで瞼は酷く腫れ上がって目の下には大きなクマができていた。

「実は、社長を殺した犯人を探そうと思っているんです」

彼女は腫れた目で僕を見ては、真剣な顔つきで頷いた。

「ぜひ協力させてください」

間宮くん以外にも社内に頼れる人間がいたことに僕は安堵し、張り詰めていた気持ちが少しばかり解れたような気がした。阿久津さんは社長に随分と可愛がられていたようだった。いつどこへ行くにも社長は彼女を一緒に同行させ、阿久津さんは社長の言うことにきめ事細かく従った。僕は社長の彼女に対する接し方に異常さを覚えた時もあったが、彼女の反応を見る限りむしろ阿久津さんの方が社長を大いに尊敬しているようだった。もちろん彼女が優秀で起点の効く秘書であるからこそ社長に気に入られていることは言うまでもなかったが、何より美人な阿久津さんの容姿が社長を虜にしたことは一目瞭然だった。彼女は僕に対していかに社長が良い人だったかを熱弁した。残念ながらそれらが僕に響くことはなかったものの、彼女の計り知れない悲しみは色濃く伝わってきた。

「そこで、提案があるのですが」

「はい」

「阿久津さんの知っている範囲で社長の交友関係や仕事の付き合いを教えていただけないでしょうか?」

「もちろんです」

「まずお聞きしたいのが、社長は闇金などと繋がりはありましたか?」

「闇金?」

「はい。実は社長が何かしらの金銭トラブルに巻き込まれたのではないかと推測していまして」

阿久津さんは何かを思い出そうとするかのようにしばらくテーブルのはじを見つめていた。

「闇金は知りませんが、組とは関係がありました」

「本当ですか!」

まさか阿久津さんの口から組という言葉が出てくるとは思いもよらずつい大きな声を出してしまった。

「なぜ社長は組と繋がっていたのですか?」

「社長のご友人で組長の方がございまして、よくその方とのお食事に連れて行ってもらったことがあります」

「その組の連絡先はわかりますか?」

「えっと、ちょっと待っていてください」

と言って阿久津さんは会議室を出ると、数分後に何かを片手に持って戻ってきた。

「こちら、組長さんのご名刺です」

「ありがとうございます」

名刺には《株式会社ミライ土木設計事務所代表 稲森一郎》と書かれていた。

「事務所に行かれるんですか?」

「はい。また何か分かりましたらお伝えします」

僕はそのまま会議室を出て、支度をしてから外勤を装って会社を出た。

 ミライ土木設計事務所の建物は、どこか自分の会社のビルと似ているところがあった。外壁には赤と黒のタイルが交互に並べられ、その模様はどこか昭和を感じさせた。僕はエレベータで事務所のある7階へと上がった。多少の揺れはあったが、自分の会社ほどではなかった。組とは言っても表向きは土木業者であるため、特に案ずることはないと思った。扉が開くと目の前に会社の石碑が設置してあった。《株式会社ミライ土木設計事務所》。おおよそうちの社長はこの会社をそのまま真似たようだった。受付にある受話器を取ると女性の声が聞こえた。

「只今参ります」

しばらくすると秘書らしき女性が入口までやって来た。

「お面会でしょうか?」

「あ、はい。代表の稲森さんはいらっしゃいますか?日の丸地所の者です」

「少々お待ちください」

と言っていなくなった。すぐに秘書らしき女性が戻ってくると僕を中に案内してくれた。面会室に入ると、代表の稲森一郎が手前の椅子に腰掛けていた。

「初めまして。日の丸地所の滝本と申します」

と言いながら深く腰を曲げて名刺を渡した。

「なんだ、阿久津ちゃんじゃないのか。何の用?」

「はい。ご存知かと思いますが、先日うちの社長が何者かに殺害されまして、少しご相談があり参りました」

「相談て?」

「実は、社長の殺害した犯人に何か心当たりはないかと」

稲森一郎はじっと僕の顔を見つめながら言った。

「ないね」

「社長とはどういったご関係で?」

「なんだ?君はまるで事情聴取をしに来た警察みたいじゃないか。もしかしてうちを疑ってるのかい?」

「いえ、少しでも情報を集められればと思い」

「君、そういうのは警察に任せたらどうだね。すまんが何も情報はない。うちはとっくにそういうのからは足を洗ってるんだ。第一、社長とは長い付き合いでね。あの人は私の恩人なんだから。むしろ私が犯人をとっちめてやりたいくらいだよ」

僕の推測はまんまと外れた。なんの計画もなしにただ闇雲に突っ走ってしまったことに自分の甘さを痛感した。

 翌日会社に行くと、阿久津さんの方から僕に成行きを尋ねてきた。

「昨日はどうでしたか?」

「全くダメでしたね。情報を引き出すにもそもそも相手が違いましたよ」

「そうですか」

と言って彼女は顔を顰めた。

「誰か周りで社長のことを嫌っている人などはいませんかね?」

と自分も含め社内の誰もが社長のことを嫌っていたことをわかっていながら、阿久津さんに心当たりがないか確かめてみた。

「そうですね。強いていうなら、近くの不動産会社の社長とかですかね」

「不動産会社?」

「はい。まあ簡単に言うと弊社の競合です。よく社長同士で電話越しに喧嘩しているのを見ていました」

「なるほど。その線はあるかもしれません。何よりあの時社長は犯人と揉めている様子でしたから」

「犯人はどんな人だったんですか?」

「僕も暗くてよく見えなかったのですが、小柄な男で、フード付きのパーカーの上にジャケットを着ていました。それと、革の手袋も」

阿久津さんのその言葉のおかげで、自分がそれらの特徴を押さえた人物を探す必要があったことを思い出した。

「さっぱり分からないですね」

「そうですよね。ちなみにその競合はなんという会社ですか?」

「戸高不動産です」

「ありがとうございます。では、午後イチにでも行ってみます」

デスクに戻ると、いつものように受話器を握って外勤先に電話を始めた。午後イチに不動産会社に行くためわざとアポを遅めの時間にした。皆社長の不在の中、会社の存命をかけて必死に業務に励んだ。空いた社長の席を誰が埋めるのだろうか。僕ではないことは分かりきっていたが、妙にそのことが気になって仕方がなかった。気づくととうに正午を過ぎていた。僕は手早く外勤用の荷物をまとめた。行ってきますと一言阿久津さんに告げてから会社を出ようと彼女のデスクに寄ったが阿久津さんはいなかった。すでにお昼休憩に行ってしまったようだった。僕も先を急ぐことにした。会社を出て駅の方面へ向かう途中、社員の白石が前を歩いていた。彼は間宮くんと同期でいつも何を考えているかわからない変わった男だった。普段彼と仕事以外の話をすることはなく自ずと会社以外では白石のことを避けるようになっていた。今回もいつものようにちょうど良い具合に距離を取って歩を進めることにした。しかし彼はなかなかのスローウォーカーだった。特に荷物を持っているわけでもなく、昼食を買いに外出しているようだった。それにしては歩く速度はゆっくりで、極めつけには途中で何度も電柱の側に立ち止まっては携帯電話をじろじろと見始めた。彼はいつもこうして仕事を怠けているのではないかと思った。案件数が伸びないのも納得がいった。僕は道を曲がって大回りをして不動産会社へ行くことにした。

 戸高不動産に着くと、僕は目の前に聳え立つ立派なビルに圧倒せざるを得なかった。もはやビルのてっぺんすら見えなかった。エレベーターに乗り込むと、右上に50と数字が書かれていた。僕は10階のボタンを押し、ガラス窓に映る外の景色を見ながらなんの振動もないことに腹が立った。受付で社名を告げて代表と話がしたいと言うとすんなり中に通してもらえた。デスクの間には全く仕切りがなく広々とした空間が広がっており、まるでオフィス全体が一つの大きな部屋のように思えた。これぞ今時の会社のオフィスなのだろうかと思いながら、僕は会議室へと案内された。代表は奥の席に座って何やら不動産関連の本を読んでいるようだった。彼は僕の姿を見るなり顔を上げた。

「日の丸のとこの社員が何しに来たんだい?会社の売却か?」

すでにあちらにも社長の死が伝わっているようだった。あるいは、社長を殺した張本人だからこそ、その事実を知っているのかもしれなかった。

「日の丸地所の滝本と申します。少し社長とのお付き合いでお聞きしたいことがありまして本日はこちらにお伺いしました」

「何を聞きたいんだ?手短に頼むよ」

「はい。社長とのご関係で以前トラブルになったことなどはありませんでしたか?」

「トラブル?そんなのしょっちゅうだよ。なんせ同じ区域でビジネスやってるんだから」

「それはどういったトラブルでしょうか?」

「そんなの言わなくてもわかるだろ?」

と代表は言いながらも、僕を馬鹿にするかのような目でゆっくりと答えた。

「顧客の取り合いだよ」

「何か社長の事件で心当たりなどはあったりしますか?」

「ないね」

「そうですか」

すると、代表は急にかしこまっては真剣な眼差しで僕を見た。

「彼が死んだことはうちにとっては好都合かもしれない。けれど俺にとってはとても残念なことなんだ。こう見えて君のとこの社長とは何十年もの付き合いなんだ。今後君の会社がどうなるかは知ったこっちゃないが、これだけは言っておこう。君の社長は立派なビジネスマンだった」

僕は代表のその言葉を聞いて驚きを隠せなかった。昨日も組のところに出向いた際に、組長が同じようなことを言っていたのだ。意外なことに、社長は社外ではとても良い印象を持たれていたのだ。日頃の社内での態度からは到底理解できなかった。どうしてこれほど周りに慕われた存在が殺される羽目になったのかと疑問だけが残った。

 僕は代表に挨拶をしてからその足で外勤をしに行った。会社に戻る頃には夜遅くなっていた。オフィスにはちらほら残業組が残っており、日報を早く書き上げようと必死になっていた。その中には間宮くんの姿もあった。

「お疲れ」

「お疲れ様です」

「今日も行くか?」

「行きましょうか」

自分も日報を書き上げて間宮とともに会社を出た。我々は知らぬ間に以前行った焼き鳥屋の方へと向かっていた。もうすっかり二人の行きつけの場所となっていた。お互いにビールを片手に乾杯をすると、間宮がかしこまった顔で僕に尋ねた。

「滝本さん、ちょっと相談が」

「なんだい?」

「実は、今取り扱っている賃貸物件で不正を見つけてしまって」

「なんの不正?」

「事故物件だったんですよ。明らかに値段が安いなと思ってよく調べてみたらその物件で前に殺人が起こっていて。記載も何もなかったんですよ」

「そうか、よくある話だけどな。わざとそうやって良く見せることで易々と客に契約させるんだ」

「じゃあ見過ごしていいですかね?」

「どうかな。なんの殺人なんだ?」

「息子が父親をロープで締め殺したみたいです」

僕はそれを聞いてすぐに年老いた男と若い男とが争う様子を思い浮かべてしまった。年老いた方は必死に抵抗するも、若い方が絶えずロープを強く握り締め、気づくと年老いた方が力なく床に倒れ込む。男の表情はまるでこちらを睨め付けるかのように目を大きく開けている。そしてその顔は徐々に、社長の死に顔へと形を変えていった。

「間宮くん。やっぱり報告したほうがいいと思う。君が責任を負わされる可能性だってあるし」

「やっぱそうですよね。あーあ、いい物件だったのになあ」

間宮くんは憂さ晴らしをするように左手に持ったビールを一気に飲み干した。


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