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【短編】『じんぶんがく論』

じんぶんがく論


 個人というのはとても無力だ。有名になれば多少なりと言葉に力を得られるだろうが、その名声も社会の信用があってこそのものだ。つまりその信用がなくなった瞬間、いとも簡単にその力は消滅するのだ。人間はなぜ力を得ようとするのか。その答えの一つとしてあげられるのは、人間という存在が貧しい生き物だからである。人間の日常は目まぐるしく便利になっていく一方で、人間の欲求もそれに伴って高まっていく。欲求が高まるとはその分、欲求を満たすことも困難になっていくということだ。故に人間は発展を遂げるとともに貧しくなっていく運命にあるのだ。

 そんな欲求不満な生き物が使う表現方法というのも、これまた非常に貧しいものなのだ。何が言いたいかというと、言語というものは人類史上最高の発明品でありながら、反対に欠陥品でもあるということだ。もし仮に言語に欠陥がないとするならば、言語によって戦を止めることは容易いであろう。しかし現実には言語はそれほどまでに効力を持ちえない。やはり人と人がお互いに分かり合うことは多分に難しい。必ずやその個人の持つ疑念や自尊心、はたまたエゴが邪魔をして、自分以外を理解することを断念する。あるいは理解したと思い込むのである。

 しかし、文学という媒体は言語を最大限に活かした画期的な表現方法だ。文学を通すことで人は自然とその感情の深部にある考えを誰かへと伝えることができるのである。ある種能動的な言い方をするのであれば、文学は思想の移植を可能とするのだ。その人間が実際に体験したことと全く同じ考えや感情、情景を持つのを受容側に求めることは不可能だが、その中核に位置する本質的なものをより正確に主張することはできるのだ。

 例えば私がある経験を通して人間の恐ろしさを痛感したとするならば、文学を通して人に全く同等の体験をさせることは難しい。しかし、人間は恐ろしいという本質的な主張をその文学のテーマとすることで人に伝えることができる。そしてその主張が本質的あるいは抽象的であればあるほど、それを理解できた時に最大限の欲求充足を実現するのだ。人間の表現欲求を最大限に満たすものが映画や小説、芸術作品であり、それらを総称した文学こそ人類史上最高で最良の発明品ではないだろうか?


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