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【短編】『音が消えた日』
音が消えた日
ポツポツポツと雨粒が連続して落ちる音。食器を棚にしまう時にお皿とお皿がぶつかり合って響くカカンココンキンキンという音。隣の家の住人が勢いよく窓を開けて洗濯を取り込むガターカリカリカリガタンという音。テレビの中で皆が一斉に拍手するププププパパパパパパパタタタタという音。それらが順序良く私の鼓膜を通過した時、私だけが聴こえるオーケストラが世界に広がっていた。私はゴクリと御馳走を頬張るかのように喉を鳴らし、音と音とが作り出すコース料理を味わった。
私の周りにはいつも音が溢れかえっていた。あらゆる音を感知しては、その音に合った別の音を外部から拾って重ねていくうちに次第に自分独自の楽曲が誕生するのだ。ある意味で私は音を操ることができたし、音に対して人一倍敏感だった。地震の警報音も、お葬式の時のお坊さんが木魚を叩く音も自然と私の耳元を通過するときには楽曲になっていた。音自体に良い悪いもないのだ。しかし、ある時からプツリと世界から音が消えてしまった。街を歩いていると突然音が止まり、いくら耳を澄ましても何も聞こえてこないのだ。音は私に聞かれることを拒んだ。無音というわけではない。私がいつもあらゆる音から楽曲を作り出す上で必要な脳内の変換ポートが故障してしまったようだった。音がしないのは不思議だった。いかに退屈な日々を皆は送っているのかと哀れんだ。そしていかに音への好奇心が自分の人生に彩りを与えていたかを改めて思い知らされた。スーパーでのレジを打つピッピッピッという音もただの音でしかなかった。無理矢理楽曲を作ろうとすると、それはもはや楽曲ではなく騒音でしかなかった。音にも良い悪いがあるのかもしれないと少しずつ今までの自分が感じていなかったことを抱くようになった。世界はまとめる者がいなくなるとこんなにもアンバランスなのかと解決することのできない巨大な靄が頭上に現れた。
私はしばらくの間風邪を引いて寝込んでしまった。私の身体に異変が起きていた。何もかもが変わってしまうのではないかという予感がした。ドアのノックする音が聞こえると母親がドアの隙間から私の様子を伺い、起きているのを確認すると両手にプレートを持って中に入ってきた。その日は大好物のシチューだった。私は母親の目の前で障子をしがら母親と話した。
「ママ、最近私ってなんか変?」
「特に変じゃないわよ、どうして?」
「なんか、なんとなく変わった気がするんだよね」
「そうね、少し大人になった気がするわ」
「ほんとに?」
「ほんとよ」
私は大人という言葉の響きが好きだった。早く立派な大人になって何か人の役に立ちたいと思った。その日は母親に褒められたおかげか妙に気分が良かった。風邪が治ったらきっと元に戻るだろうと思った。するとみるみるうちに身体は回復へと向かい、ようやく外へ出ることもできた。しかし、依然として今まで聞こえていた音は聞こえなかった。大人になることとはこんなにも辛いことなのかと弱音を吐きたくなった。
しばらく音楽のない日々が続いた。私は退屈な毎日にも徐々に慣れていき、次第にポップミュージックを聴くようになった。最近流行のドラマの主題歌から、リズミカルなテンポの電子音楽まで周りの友人が聴くものは全て聴いていた。しかしクラシックやジャズといったジャンルの音楽を聴くことはなかった。それらを聴くとどこか昔自分が勝手に楽曲を作っていた頃の記憶を思い出してしまうからだ。そのため屋内屋外かまわず四六時中ヘッドホンを耳に当てていた。ヘッドホンからはポップソングが流れてくることもあれば、無音の時もあった。もしかすると昔の自分は音を操っていたのではなく、音に縛られて生きていたのではないかと思った。無音の世界は私を何もかもから解放してくれた。
ある日、ヘッドホンをしながら都会の街を歩いていると、急に誰かに呼ばれた気がした。またヘッドホンをつけて歩くなと注意されるだろうと周りを見ると誰もいなかった。気のせいかと思い、そのまま同じ道を歩いていると、再び誰かに話しかけられたような気がした。しかし誰もいないのである。私は気がおかしくなったかと思い、一度ヘッドホンを外してみると車の走る音や、大きな液晶スクリーンに映るCM広告の音、工事現場の何かを叩きつける音が響いていた。再びヘッドホンを耳に当てわざと何も聞こえないようにポップソングを流し始めた。すると声は聞こえなくなった。道端でドラムを叩いているような男性の横を通り過ぎて、そのままショッピングモールへと入っていった。ヘッドホンを外すとさっきまで聴いていた曲が館内でも流れていた。まるで自分の中の世界が外の現実でも体現されているように感じどこか不思議な感覚だった。曲が変わると非日常が日常へと戻って行った。
私は帰り道に、さっき聞こえた誰かの声はなんだったのだろうかと思った。そのまま忘れることもできたが、なんとか原因を突き止められないものかと思い無理に記憶を掘り起こした。私はあの時ヘッドホンをしていた。しかし何の曲も聞いていなかった。無音の状態だった。そこに突然誰かの声が紛れ込んできた。周りには誰もおらず聞き間違いかと思ったが、その声は再びした。しかしその声の内容を聞き取ることはできなかった。もし昔の自分だったら聞き取れただろうなと思った。ふと今原因を探らないと一生後悔するかもしれないと直感が働いた私はさっきのように曲を流さずにヘッドホンをしてみた。しばらくの間、何もせずに待ってみたが何も聞こえてなかった。やはり聞き間違いかもしれないと思い、すぐに耳からヘッドホンを取り外した途端、ずっと昔紡ぎ出した楽曲が私の耳を勢いよく通過していった。私は突然のことで仰天したがどこか懐かしい気持ちになった。きっと昔私に拾われた音たちが挨拶をしにきたのだろうと思った。しかし声の持ち主は依然としてわからなかった。楽曲が聞こえなくなり少しばかり懐かしい気持ちに浸っていると、ヘッドホンから何か音楽が流れ出した気がした。曲は停止していた。機械の故障かと思い再び耳に当てると、風になびく旗のように
「さようなら」
と一言聞こえたような気がした。
あの声の持ち主が誰だったのかはわからない。しかしどこか寂しそうにしていたのは、年老いて身体が動かなくなってしまった今でも鮮明に覚えている。
最後まで読んでいただきありがとうございます!
今後もおもしろいストーリーを投稿していきますので、スキ・コメント・フォローなどを頂けますと、もっと夜更かししていきます✍️🦉