【短編】『ジョルティン・ジョーの鼻』(後編)
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ジョルティン・ジョーの鼻(後編)
私は度々、冷蔵庫をこっそり開けては白トリュフを一欠片ちぎって用意した袋に入れた。白トリュフからはほのかに燻さたような上品な香りがした。これを犬は毎日嗅げるなんて、どれほど幸せなのかとひどくジョルティン・ジョーに嫉妬した。それも、私はこのトリュフを使ってジョルティン・ジョーの訓練を試みようとしていたのだ。どのようにしてトリュフを嗅ぎ分ける嗅覚を備えさせるかと言うと、白トリュフをすり潰して、野球ボールに固めるのだ。そうすることで、ジョルティン・ジョーがそのボールで遊べば遊ぶほどその匂いに敏感になっていくという考えだった。ボールの匂いが薄れてきたら、再びレストランで誰もいない時に白トリュフを調達すればよかった。なんてもったいないことをしているんだとふと我に返る時もあったが、自ら価値のあるトリュフを発見するにはこれしか方法が思いつかなかった。
ジョルティン・ジョーは相変わらずの反射神経でボールをキャッチした。ここからが本番だった。ボールの匂いを嗅がせた上で、ボールを見つけられるかが問題だったのだ。初めは、そもそもボールを隠したことすらわかっていないという様子でジョルティン・ジョーはポカンとした顔を見せていたが、しっかりとジョルティン・ジョーの目にも見えるように土の中に埋め込むことでジョルティン・ジョーに穴掘りを促した。この訓練という半ば遊びに近いことを一年ほど続けてみたものの、一向にジョルティン・ジョーのボールを嗅ぎ当てる打率は低いままだった。
ある日の街での出来事だった。ジョルティン・ジョーの散歩をしに人通りの多い石畳の道を歩いていると、ジョルティン・ジョーが何か気になるものを発見したかと思うと、突然どこかに向かって駆け出してしまったのである。ようやく追いついた先にあったのは以前しっぺ返しを食らった高級レストランだった。外にはいくつかの席が並べられておりランチ営業をしているようだった。ジョルティン・ジョーはその一角に座って食事をしている黒シャツ、黒ワンピースを身につけたいかにも富裕層らしき老夫婦に向かって吠え始めた。私は突然の出来事に驚嘆してしまい、ジョルティン・ジョーを無理やり押さえ込んで、老夫婦に申し訳ない表情を見せると、何者かがそれを目撃して怒鳴った。
「おい、おまえ!この前の万引きだろ!」
私はその男の顔を思い出した。以前新聞を盗んだことのある売店の店長だった。私はすぐにジョルティン・ジョーを抱えてその場を走り去ったが、やはり彼は以前手強かっただけに今回も負けじと追いかけてきた。幸い、道は人混みが多かったためにより人の多い方へと舵をとって彼を撒くことができた。しばらくするとジョルティン・ジョーが私を見つけ出して体を擦り付けきた。私は事態が落ち着いたことで少し気が抜け、路地裏の壁を背に腰を下ろした。あの時、一瞬の出来事だったためにどうも状況把握が追いつかなかったが、今一度一連の経緯を振り返ってみた。私はなぜあの男に追いかけられたのか、それはジョルティン・ジョーが老夫婦に対して騒ぎたてたからだった。ジョルティン・ジョーはなぜ老夫婦に向かって騒ぎ立てたのだろうか。そもそも、あの時ジョルティンは本能のままに何かを嗅ぎ取ってあの老夫婦に近づいたように見えた。一体何を嗅ぎ取ったのだろうか。私はしばらく思案していると驚くべきことに気づいた。ジョルティン・ジョーが嗅ぎ分けたものがきっと白トリュフの匂いに違いなかったからである。訓練を続けて一年、ようやくジョルティン・ジョーは白トリュフの匂いも嗅ぎ分けられるようになったのだ。
私は無駄に時間を過ごしてはしていられないと、その夜すぐにトリュフハントをしに森に入った。鞄の中には、たくさんの荷物を詰め込んだ。懐中電灯から、トリュフを土の中から取り出すための小型シャベル、収穫物を運ぶためのナップサック、そしてジョルティン・ジョーへの褒美だ。私は寒さ対策にウールのズボンとダウンジャケットを身につけ、ハイキング用の靴を履いた。すべて近場の店から拝借したものだった。トリュフハント初心者にしては用意周到の方だと思う。と言いつつ、ハンティングに関してはなんの収穫もなかった。しかし私には並外れた根性だけはあった。それも何度も仕事を断られ続けるうちに身についたのだ。しかし一ヶ月間続けてトリュフのトの字も見つからないとなると、さすがの私も心が折れる寸前だった。一年もかけてトリュフハントの訓練をしたにもかかわらず、ジョルティン・ジョーが口にするものは、他の動物の食いかけの果物や木の実ばかりであった。その後も毎日夜になるとただ森の中を彷徨うばかりであった。
ある日、ジョルティン・ジョーの後を続いて森の中を歩いている時だった。ジョルティン・ジョーはいつになく息を荒げており、私にもそのトリュフハントの熱心さが伝わってきた。突然ジョルティン・ジョーが駆け出したかと思うと、私はすぐ手に持っていたリードを失ってしまった。暗闇の中、懐中電灯をそこかしこに照らしながらジョルティン・ジョーを探していると、遠くから犬の吠える声が聞こえた。一歩一歩とその鳴き声を辿っていくと、そこには必死に土に向かって吠え立てるジョルティン・ジョーの姿があった。私はそれと同じ情景を以前見たことがあった。街を歩いている時に急にジョルティン・ジョーが駆け出したかと思うと、高級レストランの外の席に座る老夫婦に吠え始めたのだ。その記憶が脳裏に蘇ると同時に私は固唾を飲んだ。鞄から小型シャベルを取り出して慎重にその土の下を掘り始めた。慎重がゆえにシャベルが何かに当たる感触を得るまで5分ほどかかってしまった。私は期待を込めてそれを素手ですくいあげた。しかし出てきたのは白トリュフではなかった。土の中に埋まっていたのは野球グローブであった。その時私は悟った。この一年間自分が試みた訓練に大きな間違いがあったことを。私はそのグローブを見ながら、大きな後悔をよそに一瞬にして懐かしい気持ちに満たされた。なぜグローブが出てきたかを理解するのは容易かった。そのグローブは昔父親とキャッチボールをする時に使っていたものだったのだ。つまりは、ジョルティン・ジョーは今までずっと野球ボールの匂いを嗅ぎ取る訓練をしていたのだった。私は家へと帰ることを決心した。
一度閉めてから何年も開けることのなかった玄関の扉をゆっくりと開けると、年老いた父親と母親の姿があった。二人は私を見るなりすぐに顔をしわくちゃにし、互いに駆け寄っては家族の再会に涙を流した。私はジョルティン・ジョーに感謝の祈りを捧げた。
了
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