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みかげが運んだカツ丼と微熱さんのカツサンド

吉本ばななの『キッチン』『満月——キッチン2』のみかげが伊豆から伊勢原市(小説の中ではI市)にいる雄一のところまでタクシーで、カツ丼を運ぶシーンがあります。

みかげはたったひとりの肉親の祖母を亡くし、雄一も母である(父だけど)えり子さんを亡くして。

食べものって光をだすだろう。それで食べると消えちゃうだろう。

雄一

雄一に光を与えるために。

微熱さんのカツサンドにも光がありました。

みかげや、雄一の周りには、死があって。
微熱さんもおそらくそれに近いところにいる。
なんでだろう。なんで、カツ?
孤独や怖れ、病気、哀しみに、カツ?

繊細な世界を生きている彼らに、暴力的なほどの力のあるカツ。ボリュームがあって、たくましいカツだけど彼女の言葉はどこまでいっても繊細だ。ああ、カツだけじゃない。言葉だ。言葉に光がある。

ヒカリに導かれて、カツサンドを作りました。

チルドに冷えたロース肉を見たとき、もうそれしか考えられなかった。時計仕掛けの人形のように、調教された犬のように。カツサンドに仕えた操り人形だ、まるで。

『さくさくカツサンド』 微熱

わたしがこの子に会ったのは、スーパーだったけど。すでに微熱さんに操られてました。脂がヒカリ!

ロース肉は優しくおだやかな肌色。ひんやりとした白い脂が石鹸のよう。

『さくさくカツサンド』 微熱

透明の油の中にくぐっていくお肉。じわん、と音を立てる。中で少し揺れて、止まる。じーーーーー。低く細かい音が続く。

微熱さんの衣は、卵白だけ。泡立ててないけど、わたしは衣がはがれないように少し泡立ててみました。油は、揚げ物loveのぽなちゃんnoteで知ってからずっとこめ油・お高いけど健康にもいいし、冷めても美味しい。

ウスターソースがなかったので中濃ソースで。

冷水に浸してしゃきっとさせたキャベツをからしを塗ったパンに並べて、カツをのせます。カツは大きいので半分。

油とウスターソースが食パンの中に少しずつ吸われていくにを待って、上からもう一枚のパンをかぶせる。ここが好き。

この「ここが好き」が好き。つくる過程を愛しんでいる。好きだから、つくっている。食欲と愛情と光。好きには光がある。

オレンジジュースでなく、ジンとシークワーサー。

お肉はジューシーで柔らかく、キャベツはシャキシャキ。甘い。

私はこの瞬間だけ、自分が病気であることをすっかり忘れていた。一晩中おきていたことも、六歳の子供のように泣きじゃくったことも忘れた。

なぜ、カツなのか。

死がたくさんのみかげたち。
病気で眠れぬ夜を過ごしている人たち。
長く暗いトンネル、もしくは井戸の底にいる人たち。

わたしもそこに何年もいました。
23歳から33歳まで。母を亡くし、父が出ていき祖母の縊死、死と絶望と孤独と貧困。ただ生きているだけ。ただその日をやり過ごしていただけ。その生きることも投げ出したくなったり。

暗黒時代は数行で描ける、と言っていた方いらっしゃるけど。
誰にもそれぞれの黒い時代はある。

カツ、つくればよかったな。

みかげは、料理を学ぶことで光を見出しました。
雄一は、みかげのデリバリーしたカツ丼で踏みとどまりました。

微熱さんが、カツサンド!と叫んだ光。

ああ、影だ。死や病、孤独、絶望という暗い部分があるからカツなのかも。

カツ丼、カツサンド、元気が出てくるような食べ物だから。

生きる、生を感じる食べ物だから。

ここにも繊細で暴力的な魅力の焼肉があります。

食べられなくなって、骨と皮になった骸骨のような母を知っている。壊れた祖母を知っている。食べられなくなった老犬を知っている。

食べることが、希望や光、力になるのだと知っている。

世の中は光と影でできている。
光が眩しいと思うこともある。
影に救われることもある。