悲しくてもお腹はすくし、トイレもいくし、眠くなる
大家族の中で育ったので、家族がひとりひとりいなくなる寂しさは知っているつもりだ。祖父・母・祖母を20代で失くし、5年前に父が逝った。
幸運なことに「配偶者、もしくは恋人の死」というものは経験していない。でもやがてそれは訪れるだろう。私が先かもしれないし、夫が先かもしれない。誰にもわからない。
母を亡くしたとき、父は配偶者の死に打ちのめされていた、ということを私たち子どもは量ることはできなかった。あの頃はそれぞれ自分が一番哀しんでいる、と思っていた。それぞれが自分自身が持ち堪えることに必死だった。
今なら、父の気持ちもわかる。私たち子どもは若かった。若かったから、救われた。若いと未来がある。
昨夜のカレー、明日のパン 木皿泉
夫を亡くした妻とその夫の義父を中心とした物語。
7年前、25歳で死んでしまった一樹。遺された嫁・テツコと今も一緒に暮らす一樹の父・ギフが、テツコの恋人・岩井さんや一樹の幼馴染みなど、周囲の人物と関わりながらゆるゆるとその死を受け入れていく。8つの短編連作からなる。
私が好きだったのは『パワースポット』
一樹の幼馴染みのタカラと一樹の父のギフとの そっとした関わりがなんとも温かく、ほろりときた。息子が死んで星になったとは信じられない気象予報士のギフがタカラに言う。
ギフの哀しみの深さがわかる。この言葉に涙がでた。死ぬことは星になるなんて、ロマンチックなことじゃない。消えることだ。私もそれを知っている。
一樹の形見が空を飛ぶ。
消えていないよ、とギフに伝えることができたタカラ。
こんなやさしい人たちが私の周りにいただろうか。いたのかもしれないけど、私自身が気づかずまた新たな死を招いてしまった。
『虎尾』も私の経験とシンクロしたような感じがしてきゅんとなった。
一樹の従兄弟である虎尾は残された一樹の車を引き取った。車にまつわる一樹の武勇伝を守りたかった。
彼の車を思い出した。赤いミラージュターボ。彼も私も実家暮らしでお金もなく、ふたりきりになれる場所は彼の車だった。デートの帰りに私の家から少し離れたところに車を止め、別れがたくいつまでもしゃべっていたら、母に窓をコンコン叩かれたこともあった。
カーセックスって、昭和の匂いがする。この言葉、今あるのだろうか。女の子にもてたくって、やりたくって車の免許をとる、そんな時代も背景となっている。
一樹の白い車は虎尾にとってセックスそのものだった。白身と黄身は、どんな形で絡み合い、その殻の中にうまくおさまっているのか。虎尾が一樹の死を知ったのは、はじめて女の子とセックスしたときだ。母親からの電話でそれを知る。即席ラーメンに入れた卵の黄身を見ながら、彼女に頭を抱かれながら泣いた。
虎尾と私の青春が重なる。
卵の殻を割ることに夢中になっていた若かった私が祖父の死を知らされたのも彼と一緒のときだった(セックスはしていない。銀座で遊んでいた)
銀座から実家に帰りつく電車の中で、ずっと泣いていた。
死とは思いがけなく日常に入り込んできてしまう。気がつかないうちにするりと、割り込んでくる。それがくるとなかなかそこから抜け出せない。暗いところに引っ張り込まれる。ずるずると。
やがてその悲しみに慣れてしまう。だからそこから動けない。動くと忘れることになりそうで。
私がそこから抜け出せたのは、やはり日常の繰り返しだろうか。
昨夜のカレーの匂いをつけ、明日のパンを買いに行くこと。
一樹の病院で待つことに慣れきってしまったテツコとギフが病院の近くのパン屋さんで、焼きたてのアツアツのパンを抱いて幸せな気持ちになること。
悲しいのに、幸せな気持ちになれるのだと知ってから、テツコは、いろいろなことを受け入れやすくなったような気がする。
悲しくったって、しあわせを感じてしまうことがある。悲しくったって美味しいものを食べたら、美味しいと思えるし、お腹はすく。仕事もある。眠くなる。朝起きる。日常は流れていく。
悲しみの中の日常をたんたんと描かれている。
けっして派手でない、悲しみを知っている、悲しみの渦中にいる人たちの日常。死があるのに、重くはならない。むしろコミカルな感じもする。
テツコに限らない。何かを抱えている人は多い。noteでも。病気だったり、ご家族のことだったり、自分自身のことだったり。悲しみや憎しみや葛藤。
そんなドロドロ、もやもや、ざわざわしたものを抱えている人に読んで欲しい。
日常を大切にし、少しづつ前に進んで行こうと思える物語だ。
#読書の秋2020 河出書房新社 優秀賞受賞
175 (2020/10/18 00:12)