こいつは誰だ
【このままじゃ、俺バカになる、の夜】
こいつは誰だ?
思わず そうつぶやいた
トイレの鏡に映ったその顔は
浮かれた酒と遊びにふやけた30男
そう、まぎれもない“僕”の顔だった
バブル時代が終わりかけていた90年代のある夜
営業セクションにいた僕は
いつものごとく顧客との会食接待に六本木に出没し
いつものごとく電車で帰れる時間をやり過ごし
タクシー待ち(電話がつながるようになる午前2時過ぎあたりまで) の時間帯に
いつものように怠惰に体を委ねていた
「奴隷のように働き 王様のように遊ぶ」
当時の僕のキャッチフレーズ
今のように働き方改革なんて優しい時代ではなかった
だから死ぬほど残業もした
そして寝る間も惜しんで遊んだ
若かった僕はバブルの熱風に憑かれたように
毎日のように六本木に通った
その日もいつもの怠惰なルーティンに身を委ねた僕は
日付が変わってしばらく経った頃
トイレに立って小用をたしたていた
そして、酒で少しぼやけた目をこすりながら
目の前のガラス窓に映った自分の顔を見て
僕は驚いた
こいつは誰だ?
あれから30年以上経った今も
冷水を全身にいきなり浴びたように
あっと言う間に酔いが冷めたあの時の感覚は
昨日のことのように鮮明に覚えている
こいつは誰だ?
こいつは誰だ?
改めて、二回つぶやいてみた
そして それがまぎれもなく自分の顔だ
ということをもう一度、しっかりと確認した
そして、思った
俺、このままじゃバカになる
どうして、その時、突然そう思ったかは
今もわからない
だけど あの時 突然そう思ったのだ
しかも強烈に
俺、これじゃまずい
ほんとにバカになる、と
【あの「瞬間」】
グローバルで活躍したい
大学を卒業した僕は
当時の実力には全く見合わない夢のような希望と共に
大手国際海運会社に入社した
毎日一生懸命働いた
少なくとも自分ではそのつもりだった
営業職に回された
夜の接待も含めたお客さんとの営業活動の毎日は
それなりに充実もしていたし
自分としては一生懸命働いていたつもりだった
それなりに少しだけど成長していると思っていた
それなりに実績も上げていたのだ
と多少の言い訳めいた自負とともに、そう記憶している
バブル時代、日本全国が浮かれていた
浮かれ放題だった
令和の今を生きる失われた30年を経たあとの若者には
おそらく頭では理解できても
肌感覚では全く理解できないと思う
今では考えられないほど世の中が浮ついていた
そして僕も間違いなく浮ついた人達の一人だった
憑かれたように浮かれ
ひたすら青春を謳歌していた
もちろん
青春を謳歌するのは全く悪いことではない
それはいつの世でも若者の特権だ
けれど
その浮かれた楽しさとは裏腹に
当時の僕の心の中に
30歳という年齢に達したと同時に
これでいいのか、という
理由の判然としない
漠然と、だが、急速に広がる黒雲のような不安が
頭をもたげ始めてもいた
そんな時
あの「瞬間」がやってきた
何の前触れもなく 突然に
ありふれたいいかただけど
”雷に打たれた”ような感覚だった
(実際に打たれたことはないけれど)
このままでは本当にバカになる
俺の人生先行き真っ暗だ
このままじゃヤバイ
なぜそう思ったのかわからない
けれど、なぜだか分からないけれど
そのとき
正しい日本語ではないと思うけれど
「一ミリの曇りもなく」 そう思った
このままじゃぁ俺の人生まずいぞ、と
長く生きていると
人生には忘れられない「瞬間」がいくつかある
僕にもそんな「瞬間」が人生の中で何度かあった
僕の人生に、あの時 突然舞い降りた
あの「瞬間」は
まさに、それだった
理由はよくわからないけど
とにかくなんとかしなければ
このままではまずい、絶対にまずい、ヤバい
と”正気”に戻ったあの「瞬間」が
突然、楽しく浮かれた僕のバブルの毎日を
いきなり、そして、大きく変えたのだ
じゃあ、どうすればいいのか、なんて
とっさには皆目見当もつかなかったし
あの時の僕は当然
全く気がついてはいなかったけれど
あの「瞬間」が
その後の僕の人生を決定的に変えた
間違いなく
大きな人生の転機の「瞬間」だったのだ
【そうだ、米国MBA留学生になろう】
ではどうすれば良いのだろう
それからいつも考えた
そう、うなされたように、一生懸命考えた
昨日までのバラ色のバブルの景色は
突然、セピア色に変色した
そして、僕は
自分のささやかな人生に真剣に向き合いはじめた
どうすればいいんだ
何度も考えた
お前は何をしたいんだ
自分に何度も問いただした
その時
僕の頭に唐突に浮かんだのは、なぜか
「海外留学」
と言う文字だった
もともと国際海運会社を働く場所に選んだのは
国際ビジネスをしたい
海外を飛び回りたいと言うシンプルな
だけど心の底から湧き上がる希望だった
でも、あの頃、waiting circleでバットを振りながら
順番待ちしていた20代のひよっこの僕が
希望通りの機会を会社からもらうのは難しかった
機会に恵まれて海外に羽ばたく仲間をよそ目に
僕は国内で仕事をすることを余儀なくされていた
海外に行きたい!
焦りにも似た強い渇望が
僕の心の底から沸き上がっていた
そうだ!
その時に
「米国MBA留学制度」
と言う社内の制度の存在に気がついた
いや、正直に言おう
正確に言えば
その制度の存在は実は前から知ってはいたけど
自分には無理、全く縁のないものと
諦めていたしろものだった
勉強秀才が多く存在する会社の中で
何十人もの希望者の中から1人しか選ばれない狭き門
企業派遣 米国MBA留学の切符は
自分にとってはほとんど関係のない
誰か特別なヒトのためのものだ
そう思って はなからあきらめていた
1ドル360円の時代に生まれ
300円の時代に学生生活を過ごした僕たち世代
庶民の家庭に育った僕にとって
海外留学は夢のまた夢
高嶺の花以外の何物でもなかった
だから
「海外留学」
は、これまでの僕の人生の選択肢としては全く存在しなかった
憧れだったけど どうせかなうことのない夢だった
誰か特別なヒトのための人生の選択肢なんだ
そう思ってあきらめていた
だからこそ、会社に入ったら海外を飛び回りたい
留学がだめでも
せめて海外を飛び回ることを可能にしてくれる仕事をしたい
そう思って国際海運会社に入った
でもその思いも希望も未だ満たされてはいなかった
あの時は まだ
挑戦してみるか
いや
冷静に考えれば(冷静って何だよ(笑))無理だな
想いは交錯し続けた
逡巡の限りを尽くした
俺だってできない事はないんじゃないか
そう思ってもみた
ただ、現実は厳しい
選考の際に求められるTOFELという英語力を示す試験
その時の僕のスコアは要求基準からは遥か遠く
限りなく下限に近かった
大学受験は英語が得意で受かった(はず)なのに
浮かれ放題で遊びほおけていたせいで
数少ない武器であったはずの英語試験力も
いつの間にかかなりさびついていた
ただ
もう一つだけ、正直に告白しよう
何よりも あの頃は
自分自身に今一つ自信がもてなかった
今思い起こせば 必要な努力を怠っていたことを
「自信ない」
で、ごまかしていただけなのだけど
真正面から向き合わなければいけないものに
「自信ない」
で、向き合っていなかっただけだったのだけど
それじゃあ、あきらめるのか
自分に何度も最後通牒をつきつけた
やっぱり
あきらめきれなかった
チャンスがあるならやってみようぜ、そう思った
でも、その瞬間に
無謀な選択だよな
と弱虫が顔を出した
行先しれずの長い自問自答のあとに
無謀かもしれないけど
可能性がゼロでないのなら
チャレンジしてみるのは悪くない
あるとき
なぜか、そう思った
このままあそびほおけて
あの時挑戦しておけばよかった、と後悔するより
努力して、それで失敗した方がましだな
なぜか素直にそう思えた
やって失敗して落ち込む方が
やらないで後悔するよりあきらめがつくよな
自分の気がつかないところで
あの「瞬間」が
僕の中で小さな化学反応をおこしていた
バカになるとまずい、と思ったあの夜から
僕は少しずつ努力を続けることを始めた
匍匐前進、尺取り虫の遠足のような
直線的に成果の出る効率的かつ合理的な努力
とは全く程遠いものだったけど
それなりに 自分なりに必死にあがいた
努力を続けた そう思う
働き改革などという優しい言葉の無い時代
残業三昧の毎日のなかで
「お前、最近付き合い悪いな」
と遊び仲間に揶揄されながら
セピア色に変色した毎日の中で
ひたすら もがき続けた
人生は努力する人間を裏切らない(こともある)
留学に必要なTOFELのスコアも
一歩進んで
時には二歩下がりながらも
すこしずつ伸びていった
ほんのすこしずつ、ではあったけど
努力は報われる、のかもと少し嬉しかった
そして
Make a long story short(結論を言えば)
紆余曲折を経て、凡庸な雑草系の僕は
並み居る何十人もの秀才軍団の応募者の中で
奇跡的な
そう本当に奇跡的な幸運に恵まれて
企業派遣 米国MBA候補生という
一枚だけの当たりくじを引き寄せた
周囲も驚いたが
実は自分が一番驚いた、と思う
そしてこれまた嬉しいご縁に恵まれ
希望していた米国ジョージア州アトランタにある
Emory大学ビジネススクールに合格が決まった
晴れて企業派遣の米国MBA留学生の一丁出来上がり
こんな奇跡が
人生に起きることはあるんだ
奇跡だった
今でもそう思う
強く思えば 思いは叶う
いや、叶わないときの方が多いけど
チャレンジしてみなければわからないなぁ
あきらめなくてよかったよな
米国MBAへの切符を手にしたときに
なぜかとても人ごとのように、そう思ったことを
僕は今でも忘れない
【僕はエリートではない、so what?】
ここまで読んでくださった皆さんは、
ひょっとして
企業派遣の米国MBA留学生、って、あんた、
ずいぶんエリート系じゃないのか
謙遜するふりをしてるだけなのじゃないかと
美しく誤解してくれているかもしれない
ありがとう
でも、僕は決して社内でエリートと言われる種類
の人間ではなかったのだ
それを裏付ける数多ある(残念な)根拠の中で、こんな話がある
一つだけご紹介しよう
もう時効だな(笑)
入社したときに、新入社員歓迎立食パーティーの席で
人事部門の高い職責にあった人に
「君は間違って入った」
的なことを言われた記憶がある
何しろ40年前の話なので
細かな言葉のやり取りの端っこは
やや記憶も朧気だけど
彼の言葉の強いネガティブな衝撃は
昨日のことのように覚えている
今の僕なら
「へぇ、そうなの でも 入ってしまえばこっちのもんだよな」
などと言って(きっと言わないだろうけど)やり過ごすだろうけど
当時の若い僕は それなりに悩んだ記憶がある
そりゃそうだよね
人事部門のそれなりの立場にある人が
酒席とは言え、どんなつもりで
(酒で口が緩んで思わず本音がでただけなのだろうけど)
入社ほやほやの若者に吐いた
いわば暴言そのものだから
今の時代の文脈なら
パワハラのそしりすら受けるかもしれない・・
でもないか(笑)
でもね
人生はやはり
捨てる神あれば拾う神あり
かなり落胆・意気消沈した僕は
その同じ立食パーティで偶然同席した
誰だか知らないけれど会社の上層部と思われる人に
「こんなことを言われました、僕は大丈夫ですか」
あまりにもナイーブに唐突に尋ねた
若い(笑)
そもそも、大丈夫か、といきなり聞かれてもなぁ
ところが、そのおじさんは
豪放磊落
という言葉が当てはまるような大笑いのあとに
しょぼくれた新入社員をなぜか力強く励ましてくれたのだ
「そんなこと気にするな 俺だって補欠合格
君と同じで間違って入ったんだよ
間違って採用してくれてありがとう
で、こんなに立派に会社に貢献しました、と、
これから仕事で見返してやれ」
なんて男前なんだ
彼のその時の顔と
強いポジティブの塊のような言葉を
これまた僕は昨日のことのように思い出す
人生は何が起きるか分からない
自他ともにエリートを自認していた
僕に伝えてはいけない“真実”をうっかり告げた
例の人事部門の彼は
いつのまにか本社からはいなくなり
「俺も補欠合格だ、気にするな、仕事で見返してやれ」
と激励の喝をいれてくれたおじさんは
その後数年経って、社長になっていた
あれから幾星霜
結局仕事で見返せたかどうかはわからないし
サラリーマンすごろく
中途半端なところで 僕は終了した
そう
自信を持って言えるけど(そんな自信は本来いらないが)
僕は間違いなくエリートではなかった
ちょっとだけいい恰好を言えば
誇り高き“雑草”
ぐらいではあった、と思う
でも so what?
人生は
人生の可能性を信じる者たちにとっては
実に奥深いものなのだ(と信じよう!)
90年代の米国MBA留学時代に話を戻そう
僕がEMORY大学を留学先に選んだ一番大きな理由
それは
ジミーに会えるかも、だった
大学生の時に専攻していたアメリカ政治学
その時代にジミーカーターと言う大統領がいた
僕は彼の大ファンだった
そのEMORY大学にジミーは名誉教授として当時存在していて、
入試の面接の時に面接官にそれを話したら
”入学したら彼に会えるかもしれないよ”、と言われた
疑いも無く、その真偽も定かではないコメントを
僕は真に受けた
よし、決めた!
結果、僕は入学後
留学生代表の生徒会長みたいなものを経験し
学生代表の1人として憧れのジミーと会うことができた
ついでに言えば
その時の大統領だったクリントンにも
学生代表として会って話をすることができたのだ
隣にはヒラリーがいたな
バブルの夜に 酒でふやけた自分の顔を見て
こいつは誰だ、と唸った
道に迷っていた情けない若者は
それから、数年後に、
その当時の会社の社長でも
多分経験できなかった経験をするという
幸運に恵まれたのだった
人生って面白いね
僕はエリートでは間違いなくなかったが
もしかしたら
ちょっとだけ持っている男
だったかもしれない
【君が? そうです、僕なんです】
当時の会社は異動の内示が出るその日に
内示の紙を上司からもらって
関係部署に挨拶に行くという習わしがあった
古いね~(笑)
その日、僕はアメリカにまさに旅立つ直前
「企業派遣 米国MBA留学生」
というやや晴れがましい
自分には本来全く似つかわしくないタイトルの紙をもって
あいさつ回りをしていた。
その際中、社内の廊下で、自他ともに認めるエリート系
(そう、あの人事の彼と同じ大学出身でしたな)
先輩にばったりと出会った
はっきり言えばあまり好きな先輩ではなかったし
(許して 時効です(笑)
まあ、きっと彼も僕のような人間は好きではなかったろう
人生そんなもの)
仕事の関係も薄かったけど
彼が同じタイミングで留学生選抜の試験を受けていたことは理解していたし
(きっと、ああいうエリート系が選ばれるのだろうなと思ってた)
一応 会社員のたしなみ
後輩として挨拶をしなければなと思い
自分の背中を少しだけ押して 口角を無理やり上げて
「今回異動になりました」
と爽やかに(多分)挨拶をした
「へー、どこに行くんだい」
彼は僕に聞いた
彼にとってはおそらく驚天動地の
そのあとの僕の返答を全く予想もせずに
「アメリカMBA留学にいかせていただくことになりました」
僕は答えた
その時 自他共に認める秀才エリートの彼が発した言葉を
僕は今も忘れない
「君が?」
彼は驚いた顔で 僕を見て一言
しかし、一ミリの遠慮もなく、そうつぶやいた
バブルの夜のふやけた顔の僕であったら
その 心ない
でも とても正直な本音の発言に
またがっかりしたり、怒ったりしたかもしれない
でもね
あの夜から 僕は自分なりに
自分の明日のために
時に全く報われないじたばたを懸命に続けていた
その不十分ながらも
当時の“本気”で挑んだ紆余曲折に
ささやかだけど鋼のような自負も生まれていた
そして
勉強秀才ではない僕が
強烈な狭き門の米国MBA留学生に
なぜか選ばれたことにも何かの理由があるのだ
(もちろん優秀だから選ばれたという“誤解”は微塵も無かった)
という甚だ根拠のない自信すら芽生えていた
「君が?」
心の底からの正直な驚きを隠せないでいる先輩に
僕は笑顔で答えた
「そうなんです。まさかの僕なんです。驚きますよね。
自分でも驚いています。MBA行ってきます」
唖然とする先輩に笑顔で爽やかに(かなり爽やかだったはず)
会釈をして僕はその場を立ち去った
エリートかもしれんがあまり好きではない(again失礼、時効です)
先輩をやり過ごしたあとに トイレに入った
洗面台の鏡に映った自分の顔を見た
こいつは俺だ
結構いい顔してるぞ
そう呟いた
本当にいい顔だったかどうかはわからない
が、少なくとも
3年前の酒にふやけた
自分の人生を見失いかけた 自信のかけらもない
あいつ ではなかった
そして もう一度 笑顔で
鏡の中の自分に向かって言った
こいつは、間違いなく、俺だ
【あなたに伝えたいこと】
僕の長い話にここまでつきあってくれてありがとう
最後に (at last but not least)
ここまで読んでくれたあなたに
是非とも伝えたいことを お話したい
こいつは誰だ
あの夜の「瞬間」がなければ
僕は今、ここにはいない
米国MBA留学を経て、雑草系の僕は幸運にも(again!)
グローバル系のビジネスの分野に多くの機会を得て
就職時の希望通り 世界中を飛び回った
いつしか
社内で国際畑(本当か?)といわれるようにもなっていた
潰れかけた豪州のクルーズ会社の経営者としての建て直しや
国際法務担当として大規模国際有事対応なんていう
映画で見るようなグローバル経験も数多く重ねた
会社指定の某日系航空会社の生涯マイレージは
サラリーマン卒業時には
“月と地球を5往復”
を優に超える数字を刻んでいた
そして今は“グローバルビジネスのコンサルタント”
なんていうのを細々やっている
人に自慢できるようなしろものでは全くないが
さりとて卑下するようなものでもない とも思う
繰り返し言う
人生には大きな転機となりうる
「瞬間」 が必ずある
これを読んでいるあなたにもきっとあるはずだ
それを逃してはいけない
逃したら もったいない
僕にとっては
その「瞬間」はバブルの夜の
こいつは誰だ?
あの瞬間だった
こいつは誰なんだ、と
ガッカリしてとつぶやかなければ
それからの僕の人生はきっと大きく違っていたし
今の僕もいなかった(たいしたものではないけれど)
なぜあの時そう感じたのかはわからない
でもthat was meant to be
(そうなるようになっていた)
であった気もする
だから
あなたに最後に伝えたいことがある
これまでの失敗だらけの僕の人生航海が
人様にお話できるしろものかどうかに関しては
正直、甚だ大きな疑問が残る謙虚さと自覚は持っているつもりだ
いい歳して 他人の評価も少々気にならなくもないが
でもまあ、この際
そんなちいさなことは横に置いておこう
それよりも
あの頃の僕のように
今、人生航海の途中で道に迷ったり
もしかすると
必要以上に自信を失って
あきらめなくてもいいことすら
あきらめようとしているかもしれない
あなたに
どうしても伝えたいことがある
偉そうに、と思われたら
どうか赦してほしい
でも、これを見も知らぬあなたに
余計なお世話かもしれないけれど
なにがなんでも伝えたいために
(どうしてそうしたいのかは実はよくわからないのだけれど)
僕はこの長文をここまで書いてきたのだ
そう、このメッセージを伝えたい相手は
若者だけではない
人生100年時代
僕たち世代や、もっとそれ以上の世代の
あなたにも 伝えたい
年齢なんて関係ない
思い立ったら吉日だ
今の僕は
これ、だけは自信をもって
あなたに、世界中の全ての人に
そして自分自身にも、断言できる
そして、あなたにも同じように
いつか必ず
これ、を言って欲しい
誰かに言わなくてもいいから
せめて必死にもがきながら
自分の一回限りの人生を生きているあなた自身に
自分にはどうせ無理だ
なんて簡単に結論を出さないで
これ、を言ってやって欲しい
そのために
先ずはあなたのためだけに用意された
moment of life(人生の「瞬間」)
を決して見逃さずに
幸福の女神の前髪を
ぜひともあなたの手で掴んで欲しい
成功は
嬉しいけれど 必ずしも全てではない
自分の人生にしっかりと向き合うこと
自分は誰か(who you are) に本気で向き合うこと
そして何より
あなたがあなた自身の可能性を誰よりも信じること
それが大切なんだ
さあ、口に出して言ってくれ
出来れば
あなたのとびきりの笑顔と共に
“こいつは、俺(私)なんだ”
~End~ message from Naruaki Nick Ohnishi