生きるって、なんてバカバカしいんだ!! と絶叫した日のこと
今から20年くらい前。
30歳くらいだった、ある日のこと。
その感覚が、突如わたしの全身に、啓示のようにして舞い降りてきた。
生きるって、なんてバカバカしいんだ!!
との切実な思いである。
人が生きていることが、「朝起きてから夜眠るまでの時間の集積」であるとするならば、私は
朝起きてから、眠るまでに、いったい何をして生きているのか?
それを思い、なんだか笑えてきたのであった。
当時、30年ほどの人生において、例えば会社勤めをしていて、
朝になると、死ぬ思いで起床し、歯を磨き、顔を洗い、着ていく洋服を選び、アパートを出る。電車にゆられ職場に向かう。
通勤途中で買ったコンビニのサンドイッチなどを頬張りつつ、仕事を開始。
昼も、夜も、夜食も、コンビニか、外食。
ときどき栄養ドリンクごくごく。
深夜に帰ってきて、風呂に入って、歯を磨いて、気絶するように眠る。
このエンドレスループで生きていた。
しばらくして夫と暮らし始めて、家事をするようになったときにも、
生きるって、なんてバカバカしいんだ!!
との想いが、ふたたび舞い降りてきた。
朝ごはん作りましょう、食べましょう、食器を洗いましょう。
昼ごはん作りましょう、食べましょう、食器を洗いましょう。
夜ごはんを作りましょう、食べましょう、食器を洗いましょう。
トイレットペーパーが切れるよ、醤油がなくなりそうね。
お風呂に入って、歯も磨きましょうね。
爪がのびたから切りましょうか。
髪が伸びたから美容院に行かなくっちゃ。
家電が壊れたから新しいのを買わなくっちゃ。
そろそろ支払いがあるよね。
衣替えの季節でございます。
贈り物が来たから、お返ししないとね。
なんじゃこりゃーーー!!
働いてお金を稼ぐこと、家事をしながら生活を運営すること。
どちらにしても「なんじゃこりゃ!!」と思わずにいられなかった。
加えて育児中の方などは、もっと「なんじゃこりゃ」なのではなかろうか。
この「なんじゃこりゃ」を伝える相手は、夫しかいない。
私は、隣の部屋で仕事をする夫に、話しかけに行った。
「ねえねえ、生きるってなんなの!! お腹がすいてさー、なんか作って食べるでしょ、そんでトイレで出すでしょ。そんでまたお腹がすいてさー。食べて出して……これって死ぬまで続くわけ? そんでその食べ物を買うために、お金が必要だから働くでしょ、そんでまた食べて、出して、また働くわけだよね……ねぇ、これって、なんか、おかしくない?? それについて、どう思いますぅ?」
なにを子供じみたことを言っているんだ。
生きるってそういうことだろ。
……とは言わない人でよかった(笑)
夫が腕を組みつつ、言った。
「……やらなきゃいけないことをいかに減らして、やりたいことをやるかだな」
「……ですな」
そのときに、私たちは思い出したのである。
あのとってもえらーい、ソクラテスおじさんが言ったとされる、
「生きるために食べよ、食べるために生きるな」という言葉を。
そうだよね、分かってるのよ。
お金を得るために、自分の時間の大半を切り売りすることって、本末転倒というか、何のために生きているのか、だんだんと意味不明になってくるのよ。
食事だって、義務的・機械的に摂取するんじゃなくて、今日という日を楽しく生きるための糧として、「おいしいね」と思って味わいたいよね。
でもね、やらなきゃいけないことは、エンドレスループのようにして、襲い掛かってくるのよ……
そんな私をあざ笑うためにあるような、ニーチェおじさまのお言葉。
「1日のうちの、3分の2を自己のために持っていない者は、奴隷である」
……ったく、言ってくれるよねぇ。
***
くらしというのは「面倒くさい」の連続でできている。
生きているというのは、「カラダがある」ということだから、腹も減れば、爪も伸びるし、頭もかゆくなる。
「カラダがあるから、こんなに面倒なんだ! 意識のみ・想念のみの存在になれば、食べなくてもいいじゃないか」などと私は考えていた。(アホである)
そう言っているうちに、私は40代前半でガンになる。
「前言撤回させていただきますっ!!」
私は神様に、大慌てで伝えた。
普通に朝起きて、ごはんを食べられるだけで、とてつもなく素晴らしいことでした!!
私のニヒリズムを、一挙に吹っ飛ばしていったガンは、私にとっては明らかなギフトであった。
***
人は、人生が100年あると思うから、「もっと働かなくちゃ・貯金しなきゃ」と追い立てられながら生きる。
ただ、生き長らえるためだけに、生きているとき、「100年のうちの、どうということのない今日一日」という、消化試合のような一日がたち現れる。
味わえるのは、いつだって「今」だけなのに。
そのことを、ときどきハッと思い出す。
こうしてnoteに、思うことを好きなように書いている時間。
脳みそと戯れながら、言葉を紡いでゆくあそびの時間。
なにかに夢中になっているとき、体中の細胞が喜んでいるのがわかる。
そんなときは、自分が人生の奴隷にならずに生きていると確信できるような気がする。
……よし、書き終わってスッキリしたぞ。
さて今日一日、これからの時間をどう過ごそうか?
普段はつまらぬ炊事も洗濯も、味わいながらやってみようか(笑)
あなたも、どうぞステキな一日をお過ごしください。