半ば憎んでいた親への感謝が噴き出した件
乳房の摘出手術から、約一年間にわたる抗がん剤を終え、しばらく経ったころ。
街は変わらずコロナ一色でしたが、母の体調も落ち着き、私の通院頻度も減り、平穏な日常が戻ってきました。
さて、これまで『脳みそジャーニー』では、ときおり「母へのもやもや」について書いてきました。互いの闘病で、母との関わりが急に密度を増し、もやもやがピークになって、私の中で弾けたわけです。
(詳しくはこちら⤵)
そうして、40代になって初めて、母への様々な気持ちが、私の心の中ではっきりと言語化されました。
どうして、どうして、どうして。
その恨みつらみがはっきりしたところで、認めるのが辛い、こんな感情まで認識することになりました。
このように自分で認めることはしんどかった。しかし、同時に私を慰めもしました。
そうやって素直に自分の気持ちを認めることで、「別に母を嫌いでもいいんだ」と再認識したのです。
そんな風に思えるようになったある日。
両親もそろそろ80歳。
もし突然、両親とのお別れがきたら、こんな感情のままでは「後悔しそうだなぁ」とふと思うことがありました。
私は親を憎んでいるけど、同時に愛してもいるのです。
だから、両親に何はともあれ「ありがとう」だけは言っておこうと決めました。
生きて親を見送りたいとは思っていますが、どちらが先に逝くとしても、さよならの前に「ありがとう」と伝えて、後悔を減らしておきたいと考えたのです。
「ありがとう」の内容は、子供のころ、両親にしてもらって嬉しかったことを、50個ほど箇条書きにして、パソコンのメールに添付するというもの。
最初は、100個と思っていたのですが、ひとつずつ書くたびに泣けて泣けて、疲れて果ててしまって(笑)、「もう無理」と思い、50個のところで送りつけました。
送った内容は、こんな感じのモノです⤵
……と、こんな感じでひとつずつ、父や母からしてもらったことを順番に書き連ねていったのです。
これが芋づる式に次々出てきて、終わらないのです。
書き終えられないのです。
ああ。
私は、これまでの人生で、どれほどの愛情をもらってきたのか
その記憶が、私の脳みそに全部ストックされているのに、してもらったことは忘れて、「傷ついたこと」「悲しかったこと」ばかりにフォーカスしていた。情けなさとともに、泣けて泣けて、ずるずると鼻水を垂らしながら書き続けました。
ひとつずつ思い出しながら、「私が、今ここにこうして生きられていること」の、大前提を作ってくれた両親に対しての、心からの感謝が溢れてとまりませんでした。
そうして、書いている途中から、母へのうらみごとがスーッと氷解してゆくのが分かりました。
自分がされてイヤだったことの何百倍もの愛情を、父も母も私に浴びせてくれて私は大きくなった。そのことに今さら気づいて「これまで感謝できなくて、ごめんなさい」という気持ちでいっぱいでした。
父のパソコンに送った、感謝の添付メール。
プリントアウトして、2人で読んだとのことでした。
母も泣きながら読んだそう。
父も一緒に読んで、嬉しかったようです。
私は結婚式を挙げていないので、改まって両親への感謝を伝えたことがなかったのですよね。
ああ、なんか、ホッとしました。
この儀式(?)を終えて「これで死ぬ前の後悔をひとつ減らせた」と思えました。
「許せない」と思っていたことがあった。
けれども、それをまだお互いが生きている間に、自ら手放せた。
そのことが嬉しく、気持ちも楽になりました。
ちなみに、親を許せない人は、無理に許さなくてもいいと思います。傷つけられた気持ちが深いほど、許すって簡単なことじゃないですよね。
だから、「今は許せないけど、いつか許したいと思えるときが、もしかしたら、くるかもしれない」。
そんなゆるっとした余白があると、自分の苦しみが幾ばくかは減るんじゃないかと思います。