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わたしの中の「腹黒ちゃん」カモーン!

こんにちは。
自分のことを「腹黒いタイプ」だと自認しているアサですよ。
今日も腹黒い話をしましょうね。ひひひ

まず、私がどのくらい腹黒いかと申しますと、
こんな風に、「わたしって、腹黒いんですぅ」とわざわざ記事にして、

「あら、そんな風に自分で言うくらいだから、実際にはそれほど腹黒くないんでしょうね」


と思わせようとする程度には、腹黒いということです(笑)

でもまぁ、そんな腹黒のわたしの心の中は、
言葉にしなけりゃ分からないでしょ。


ああ、よかった 
あぶねぇあぶねぇ
これからも元気よくこっそりと腹黒でいこう


……ってならねーのよ、これが。

***


わたしは若い頃、比較的いい子ちゃんを演じて生きてきたため、自分のずるさや姑息さ、計算高さを薄々感じながらも、「よくないよね」と思い、なるべく隠ぺいしながら生きて参りました。

あまり自慢できる種類の性質じゃありませんし、そもそも自己受容できていなかった私は、自分の内心で感じることにも自信が持てずに、必然OKが出せなかったのです。

「心の中の腹黒ちゃんよ、おまえはどす黒くて、みにくいから、絶対に表に出てくるなよ。永遠に眠っておけ!」


や!


チョップして「腹黒ちゃん」を気絶させておきました。


***


社会人になって、働いていたころ。


突如、同僚の女の子に、こう言われました。






「アサ(わたし)って、腹黒いよね」





WWWWWWWW



バレてるぅ!(笑)



隠せていると思っていたのは私だけ??
丸裸だったの?

えっはずかし!!


彼女は、一緒に仕事を進めていく中で、わたしのことを「腹黒いな」と感じたんでしょうな。わたしは彼女のことを結構好きで、仲良くやってきたつもりだったんだが………そうかいそうかい……

……フフフ……ハーッハッハッハ!!!


バレちゃーしょうがねぇな!!
その通りだよ!!
あたしが、腹黒のアサだよ!!



……にしても、あんた、
人に「腹黒いね」と素直に言うなんて
どんだけ腹が真っ白なんだよ(笑)


腹黒い人はね、腹黒い人を見かけても、
「あなた腹黒いですね」なんて言わないのよ。
心の中だけで腹黒を炸裂させて、社会の荒波をうまいこと、くぐり抜けているの……


ま、わたしは、完全にバレていたけど……(笑)

***

実際には、人の心の中は、その人だけの安全地帯であるため、他者に完全に読み取られることはありません。


ふぅ、よかったね。


でも私たちは、日頃、人の言動を見ながら、「この人は、こういう人だな」と、その人の「人となり」いうものを、案外、正確につかんでいるように思うのですよね。

私たちは主に、その人から発せられる「発言内容」から、その人の考えや想いを知るわけですが、
実際には、相手の「言語」よりも「非言語」から多くのことを読み取ると言いますし、隠している心の状態を、「行動」がよりあらわにしている可能性がありますよね。

ひとさまには、想像以上に見透かされていると考えておいた方がよさそうです。


***


そして、このnoteの世界。

私は、姿かたちを、あなたの前にさらしていない。私の行動は、あなたには見えておらず、文字情報だけのつながり。

よって、わからんじゃろう、
私が本当に何を考えているかは!


……と言いたいところですが、

いや……バレてるのよ、これが……



読み手のあなたは、「私が書き記す言葉」を読みながら、おそらく、ここに書かれている活字以上の、多くの情報を読み取っていますよね……

私がどれほど計算し、意図して、言葉を過不足なく紡ごうとも、読み手の感受性と読解力よっては、言語そのものよりも多くのことがバレている。

私の体臭が、文章の中身ではなく、むしろ行間から、漏れ出しているのだ。


ぷぅ~ん

くさかったら、ごめんなさいね

***


実際に、わたし自身も、人のnoteの記事を読んでいるとき、よく知りもしない、会ったこともないその人の、心模様や人間性みたいなものが、言外にダダ洩れになっていると感じることがある。

例えば、書いてある文章とは裏腹な感覚を感じるときもあって、「人前に明かす言語」と「心の内側」の両者に、大きな隔たりがある、齟齬がある、と感じる場合も、なぜかそれが丸ごと伝わってくる。

何をどうしたって、文章にはその人のキャラクターや心象が反映されるのだが、書かれた文章そのものよりも、その人の隠れたこだわり、自己顕示欲や承認欲求、不安や焦りや憎しみや虚栄心がプンプンと匂い立つ場合、「隠された想い」の方が際立ち、肝心の「文章の内容」がスムーズに頭に入ってこない。

しかしだからこそか、今現在、逆境のただ中にいる人の記事の、その苦しみが切々と綴られているのを読むとき、その困難さを軽々と凌駕する「その人のエネルギー」を感じることもある。
ハードな状況下で、その人に、偽りのない明るさや健全さを感じて、こちらまでもが励まされたりする。

そんな風にして、書き手の本人が気づいていないことさえも、読み手は嗅ぎ取っている。

人はすべからくエスパーなんよね


よって、私が何かを隠そうとしても、ムダなのだと知るのです。

ぷぅ~ん

***


私は日常的に、割と悪辣なことを考えて生きているタイプなのですが、
だいぶ大人になってから、晴れて「ああ、私ってイヤなやつ。腹黒ちゃんだわ。でも、そうなんだから、仕方ないでしょ」と自認できるようになったため、これまで抑えつけていた私の中の「腹黒ちゃん」がぴょんぴょん飛び跳ねて、それはそれは喜びました。

「やったー!! 私、生きてていいの?」

「いいよ、もうバレてるから」


今も、「腹黒ちゃん」のダンスが止まりません。

そして、

どうせバレているなら、
腹の中の自分と、表に出す自分とを、
なるべく一致させたい。


そう思うようになりました。

ま、しかし、完全一致できるほどの勇気は、
まだありません。


なぜなら、えげつないほど腹黒だからです(笑)


***


そんなしょうもない話はさておき、

これまでにも私は「自己受容」や「自己肯定感」にまつわる記事を頻繁に書いてきましたが、

なにが人を生きづらくさせるかって、
要は「ギャップ」なのかなと思うんですよね


▢人前にさらす自分と、心の中の自分のギャップ
▢理想の自分と、現実の自分のギャップ
▢自己評価と、他者からの評価のギャップ
▢自己認識と、他者から誤解されるギャップ

自分という人間を、過大にも過少にもとらえず、なるべく等身大に、正しく理解する。
人前でも、なるべく誤解を生まぬよう、自分を適切に表現する。

それらの「よりよい一致」が叶うほどに、私たちの生きづらさは、軽減されてゆくように思うのですが、いかがでしょうか。

あなたがもしも、わたしのように「いい人ぶりっこ」ならば、一緒に毒を吐き出して楽になりましょうね(笑)


noteなんて、その練習にすごく役に立つんじゃないでしょうか。

さあ、どんどんnoteを書こう。

書けば書くほどに「ぷぅ~ん」が出て、やがて書かれる文章は、無臭でさわやかになるのです(笑)

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